【今日は何の日】7月14日
7月14日、今日が歴史的にどんなことがあった日なのでしょうか?
何か行事のある日なのでしょうか?
小学生の家庭でのちょっとした会話のために、ぜひ使ってください。
※1872年までの日本の出来事は旧暦を使用しています。
行事・記念日
① フランス建国記念日
7月14日はフランス建国記念日です。
1789年7月14日に起きたバスティーユ監獄襲撃事件を記念する日で、フランスでは「革命記念日」とも呼ばれています。この出来事をきっかけにフランス革命が始まり、王政から国民主権へと歴史が大きく動き始めました。

この日はフランス最大の祝日であり、首都パリではシャンゼリゼ通りで盛大な軍事パレードが行われます。夜にはエッフェル塔周辺で花火が打ち上げられ、世界中から多くの観光客が訪れます。
フランス革命では、「自由・平等・博愛」という理念が掲げられました。この考え方は、その後の世界各国の民主主義や人権思想にも大きな影響を与えています。
② しんぶん配達の日
7月14日はしんぶん配達の日です。
1977年7月14日、日本新聞協会が制定しました。毎日早朝から新聞を配達している販売店や配達員の仕事に感謝するとともに、新聞の役割について考えてもらうことを目的としています。戸別配達のシステムがあるのは世界でも大変珍しいことです。
新聞は、日本や世界で起きた出来事を正確に伝える重要な情報源です。近年はスマートフォンやインターネットでニュースを読む人が増えました。たしかに、新聞は音や動画でニュースを伝えたり、速報を伝えたりすることには向いていません。
しかし、新聞には出来事を詳しく解説したり、取材に基づいて時間をかけて編集されるので誤報がでにくいという特徴があります。また、紙媒体で長らく保管しておくことや、切り貼りして分かりやすく取っておくことができるのも長所です。インターネットニュースは簡単に書き換えることができるほか、一定の期間で記事が消えてしまい閲覧できなくなるという欠点を持つのです。
③ ゼラチンの日・ゼリーの日
7月14日はゼラチンの日・ゼリーの日です。
「ゼラチン」はゼリーやグミ、プリン、マシュマロなど、私たちの身近なお菓子に使われている食品です。この日は、日本ゼラチン・コラーゲン工業組合がゼラチンのおいしさや利用方法を知ってもらうために制定しました。
ゼラチンは牛や豚、魚などに含まれるコラーゲンを原料として作られています。冷やすと固まり、温めると溶けるという性質があり、料理やお菓子作りには欠かせない材料です。
夏は冷たいゼリーがおいしい季節です。近年では、果物を使ったゼリーやスポーツ飲料を固めたゼリー飲料など、暑さ対策としても親しまれています。
中学受験では、ゼラチンと寒天との違いを問う問題も見られます。寒天は海藻から作られるのに対し、ゼラチンは動物由来という違いも整理しておきましょう。
何があった日
① 805年7月14日 最澄が唐から帰国
最澄は近江国(現在の滋賀県)の出身で、804年に遣唐使の一員として中国・唐へ渡り、当時最先端だった仏教を学びました。
そして帰国後、現在の滋賀県大津市に比叡山に延暦寺を築き、日本独自の天台宗を広めます。

天台宗は「すべての人が仏になる可能性を持っている」という考え方を大切にし、その後の日本仏教に大きな影響を与えました。延暦寺では、身分にかかわらず多くの優れた僧が育てられたため、全国から優秀な若い人材が集まりました。
浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など、鎌倉新仏教を開いた人物の多くが比叡山で学びました。

比叡山はやがて僧兵を抱えて武装し、京都の政治に口出しするようになります。織田信長に焼き討ちされてしまい多くの建物を失いましたが、江戸時代にかけて復旧し、現在は古都・京都の文化財に含まれています。
また、比叡山延暦寺に残る、最澄が自らともしたという「不滅の宝塔」は、常にみなで気を使っていかないと途絶えてしまう、という意味で「油断」の由来となりました。
② 1685年7月14日 最初の生類憐みの令が出される
江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって、最初の生類憐みの令が出されました。

生類憐みの令とは、人や動物の命を大切にすることを目的として出された法令の総称です。犬や馬、鳥などの動物を傷つけることを禁じ、病人や捨て子の保護も命じる内容が含まれていました。
政策を始めたきっかけは、綱吉が後継ぎに恵まれなかったことだといわれています。
綱吉が戌年生まれだったこともあり、特に犬を手厚く保護したことから、「犬公方」と呼ばれるようになりました。江戸の中野には数万匹もの犬を収容する犬小屋が造られ、多額の費用がかかったため、庶民からは不満の声も上がりました。

一方で、近年では単なる悪法ではなく、戦国時代から続いた荒々しく人命を軽視するような政治を改め、命を大切にする考え方や、捨て子・病人の保護など福祉的な側面もあったと評価が見直されています。
③ 1789年7月14日 バスティーユ監獄襲撃事件
④ 1867年7月14日 ノーベルがダイナマイトを発表
スウェーデンの発明家アルフレッド・ノーベルが、ダイナマイトの特許を取得しました。

ダイナマイトが発明される前から、「ニトログリセリン」という非常に強力な爆薬は存在していました。しかし、少しの衝撃でも爆発してしまうほど危険で、実用化は困難でした。ノーベルはニトログリセリンを珪藻土に染み込ませることで、安全に運搬・使用できるダイナマイトを開発したのです。
ダイナマイトはトンネル工事や鉄道建設、鉱山開発などで大きな役割を果たし、近代社会の発展に大きく貢献しました。一方で、戦争にも利用され、多くの命を奪う兵器として使われるようになります。
ノーベルは、自分の発明が戦争に利用されてしまったことを深く悩みました。そして、自らの莫大な財産を「人類のために役立つ研究をした人へ贈る賞」の創設に使うよう遺言を残します。これが現在のノーベル賞です。
⑤ 1871年7月14日 廃藩置県が発布される
それまで全国にあった約260の藩を廃止し、新たに県を設置した大改革です。江戸時代には各藩を大名が治めていましたが、廃藩置県によって全国を政府が直接支配する中央集権国家へと生まれ変わりました。当初は3府302県でしたが、やがて統廃合され、1889年に3府42県となって落ち着きました。

明治政府では、大久保利通や木戸孝允が中心となり、薩摩藩・長州藩・土佐藩などの協力を得ながら、一気に廃藩置県を断行します。各藩の大名は東京へ移されて華族となりました。代わりに政府が任命した県令・府知事が中央から派遣され、各地を治めることになりました。
中央の役人が地方を統治するやり方は、律令のころ、都の貴族が国司として派遣されたことに似ています。律令と明治は天皇中心の政治の実現という点で共通点が多いのです。
では、なぜ全国の藩はこの廃藩置県を受け入れたのでしょうか。それはほとんどの藩が財政難だったからです。ききんによる米の取れ高の減少と、戊辰戦争による軍備増強や移動のための出費がかさんでいました。明治政府は、この藩の負債をすべて引き受けることを条件に、すべての藩に廃藩置県を納得させたといわれています。
⑥ 1960年7月14日 岸信介首相が襲撃され重傷
当時の内閣総理大臣岸信介が、自民党本部前で右翼の青年に刃物で襲われ、重傷を負いました。
当時の日本では、アメリカとの日米安全保障条約(新安保条約)の改定をめぐって激しい対立が起きていました。国会周辺では大規模なデモが続き、全国的にも政治的な緊張が高まっていました。


岸首相は一命を取り留めましたが、その後まもなく辞任します。
そして後任には池田勇人が就任し、「所得倍増計画」を掲げて高度経済成長へと日本は進んでいくことになります。
⑦ 1977年7月14日 日本初の気象衛星「ひまわり」打ち上げ
日本初の気象衛星「ひまわり」(GMS-1)がアメリカ・フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられました。
気象衛星は、宇宙から雲の動きや台風の位置、水蒸気の量などを24時間観測する人工衛星です。それまで日本では外国の気象衛星のデータに頼ることも多くありましたが、「ひまわり」の打ち上げによって、日本周辺の天気を自分たちで詳しく観測できるようになりました。
初代「ひまわり」の後も後継機が打ち上げられ、現在運用されているひまわり9号は、約10分ごとに地球を撮影し、以前よりもはるかに高精細な画像を送っています。その情報は日本だけでなく、アジア・太平洋地域の多くの国々でも利用されています。
人工衛星の打ち上げも、JAXA 種子島宇宙センターから行われるようになりました。
⑧ 2008年7月14日 東京スカイツリーの起工式
東京スカイツリーは、高さ634メートルを誇る世界有数の電波塔です。「634」は「むさし」と読めることから、かつての武蔵国にちなんで決められました。構造の参考にされたのは法隆寺の五重塔です。
東日本大震災で被害を受けつつも、2012年に完成・開業し、現在では東京を代表する観光地の一つとなっています。
建設された最大の目的は、地上デジタル放送への対応です。
それまで東京タワー(333m)から電波を送っていましたが、高層ビルが増えたことで電波が届きにくい地域が生まれていました。そこで、より高い場所から安定して電波を送るため、新しい電波塔として東京スカイツリーが建設されたのです。
誕生日
① 1180年7月14日 後鳥羽天皇(後鳥羽上皇)
後鳥羽天皇は平安時代末期に即位した第82代天皇です。源平合戦の最中、平氏によって連れ去られた安徳天皇に代わって即位しました。後白河法皇の院政の下で成長していきます。その後、天皇の位を譲って上皇となり、政治の実権を握る院政を行いました。

後鳥羽上皇は藤原定家に『新古今和歌集』の編さんを命じるなど、日本文化の発展にも大きく貢献しました。一方で、武士の力が強まっていくことを危険視し、鎌倉幕府を倒そうと決意します。
源実朝が暗殺されて源氏将軍が途絶えたのをきっかけに、1221年には北条義時追討の院宣を出し、承久の乱が始まりました。しかし、北条政子の演説によって結束した御家人軍に敗れ、後鳥羽上皇は隠岐へ流されます。後鳥羽上皇は、そのまま隠岐でなくなりました。
この戦いをきっかけに幕府の権力はさらに強まり、日本は本格的な武士の時代へと進んでいきました。
② 1810年7月14日 緒方洪庵
緒方洪庵は江戸時代後期の医師であり、蘭学を広めた人物です。大阪で適塾(てきじゅく)という私塾を開き、西洋医学や外国語を教えました。

当時、日本は鎖国をしていましたが、オランダを通じて西洋の学問が少しずつ伝わってきました。洪庵はオランダ語の医学書を研究し、日本に最新の医学を紹介しました。天然痘が流行した際には、命を守るための種痘(予防接種)の普及にも尽力しています。
適塾からは、日本の近代化を支えた多くの人物が育ちました。福澤諭吉、大村益次郎、橋本左内、大鳥圭介なども洪庵の教えを受けています。
③ 1937年7月14日 森喜朗
森喜朗は石川県出身の政治家で、2000年から2001年まで内閣総理大臣を務めました。小渕恵三首相が病気で倒れたことを受けて総理に就任し、IT革命への対応や九州・沖縄サミットの実現、省庁再編などに取り組みました。

総理大臣退任後は学生時代のラグビー経験をいかしてスポーツ界でも活躍し、東京2020オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を務めました。しかし、2021年には女性に関する発言が問題となり、会長を辞任しています。
亡くなった日
※7月14日は、中学受験で特に重要な人物の命日はありません。
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