ティッシュの価値は、あとからついてくる
京大薬博士が二年かけてティッシュに付けた価値と「創作の渦」《マイトンさん》
こちらの感想記事です。
読み始めた私は、「ティッシュに字を書く」という狂気を楽しむ記事だと思っていた。
ティッシュ字検定。
ラブティッシュ。
ティッシュ専用ペン。
「なんのはなしですか」が何スクロールにもわたって続く。
なのに不思議なことに途中から笑えなくなる。
いや、笑えなくなるというより、笑い方が変わる。
ティッシュの話をしていたはずなのに、いつの間にか「自分が生み出したものに責任を持てるか」という話になっているからだ。
この記事で一番刺さったのは、
「ティッシュ字は私のものではない。」
という一文だった。
普通なら「みんなのものです」と美談にしたくなる場面なのに、マイトンさんは違う。
「責任から逃げていた。」
そう言い切ってしまう。この誠実さがマイトンさんの文章の強さなのだと思う。
創作をしていると「たまたま当たっただけ」「みんなが育ててくれた」と自分を一歩引いた場所に置きたくなることがある。
そのほうが楽だから。
失敗しても傷つかないから。
でも、それでは誰も付いてこない。
記事の中にあった「覚悟のない人には誰も付いていかない。」という一文は、ティッシュの話を飛び越えて創作そのものの真理だった。
だから後半はティッシュに字を書いている人たちではなく、この人の覚悟が育っていく様子を読んでいた。
好きだったのは、この覚悟が「俺がやるぞ」という熱血ではないこと。
「コニシさんを信じられた。」
「エリさんの気持ちに応えたい。」
覚悟の理由が自分ではなく誰かへの信頼から始まっている。だから押しつけがましくないし、読んでいて自然に応援したくなる。
創作って一人で始まるものだけれど一人で育つものではないのだ。
最後には全国でティッシュ字が広がり、ワークショップになり、認定証まで生まれる。
冷静に考えるとティッシュに字を書いているだけである。
なのに読後には、「ティッシュってすごいな」ではなく、「人っておもしろいな」が残る。
意味のない遊びに人が集まり、笑い、誰かが覚悟を決め、その覚悟にまた人が集まる。
価値は最初からそこにあったわけではない。誰かが信じ続けた時間そのものが、価値になっていった。
この記事は「ティッシュ字」の話ではない。
一枚0.3円のティッシュに2年かけて価値を宿した、一人の創作者の物語だった。
……とはいえ、ここまで偉そうな感想を書いておいて最後に一つだけ言いたい。読み終わって最初にやったことは、机の上のティッシュを一枚取り出して、ペンを探したことだった。完全に術中である。
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