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4畳半 風呂なしアパートとピンク電話

1970年代後半、学生時代に住んでいたアパートは、4畳半風呂なしでトイレは共同というものでした。当時としては、普通のレベルだったと思います。いろいろな友だちのアパートに行って泊まったことがありますが、みんな似たようなものでした。

後輩の一人は、3畳一間に住んでいました。押入れの下が半畳の広さの空間になっていて、そこに布団を半分敷いて、足を入れて寝るんだと実演してくれたことを覚えています。4畳半に住む身としては、3畳は狭いけど生活できるんだと感心したものです。

また、裕福な友だちは、東京郊外にある6畳+3畳に風呂・トイレ付きアパートに住んでいて、羨ましく思ったものです。ときどき泊まりに行きました。

私のアパートからは銭湯が歩いて5分ほどだったので、風呂なしが不便には感じたことがありませんでした。

場所は東京都荒川区なのですが、日暮里駅と西日暮里駅の中間ぐらいにあり、どちらにも歩いて10分足らずでたどり着けるので、どこに行くにも便利でした。一番近い駅は、常磐線快速が停車する三河島駅で、京成線新三河島駅も近くにあり、4駅が徒歩圏というのは、なかなかのロケーションでした。

新宿、渋谷、池袋など主な繁華街にも30分ほどで行けるので、趣味の映画を見に行くには最高の立地でした。今から考えても、家から徒歩10分で山手線の駅にたどり着けるなら、こんなに便利なことはないと思います。今ならいったい何億あったら、山手線駅徒歩圏内のマンションが購入できるのでしょうか。

私の貧乏アパートで、もうひとつ便利に思ったのが、アパートの廊下にあった通称「ピンク電話」でした。昭和生まれの方なら、ピンク電話がどんなものか覚えていると思いますが、これは街中にある電話ボックスの公衆電話や、タバコ屋にあった赤電話とはちょっと機能が違います。

ピンクと言っても、いかがわしい電話ではありません。純粋にピンク色の電話です。ピンク映画、ピンク雑誌、ピンク産業などとは違います。

ピンク電話
出典:https://nozawadenki.com/12_13.html

昭和34年(1959)、赤電話機、青電話機に加えて新しく「特殊簡易公衆電話」制度が施行され、通称ピンク電話と呼ばれる公衆電話機が登場しました。この電話機は、一般加入電話を公衆電話としても利用できるようにしたものでアパート、病院、喫茶店など、比較的人の出入りの多い場所にお客様サービス用として設けられました。

出典:https://www.ntt-west.co.jp/info/databook/pdf/095-099_koshudenwa_utsurikawari.pdf

喫茶店のカウンターや病院などでよく見かけたピンク電話ですが、10円玉を入れて通話できるばかりでなく、電話番号が割り当てられていて、外部からその番号にかけると、普通に通話ができるのです。

タバコ屋でよく見かけた赤電話
大型赤公衆電話 1960(昭和40)年に東京駅に初登場

昭和の時代には、喫茶店のピンク電話が鳴って、

「お客様の中に、〇〇様いらっしゃいますか。お電話がかかっております」などと、呼び出しが、よくあったものです。

私はアパート入居の時に、大家さんからピンク電話の番号を教えてもらいました。それを実家の両親に知らせておいたので、親からの電話を受けることもできました。

アパートは1、2階合わせて12部屋あったと思いますが、電話を使う住人はあまりいなくて、電話が鳴ることも滅多にありませんでした。でも、電話が鳴ったからといって、私への電話とは限らないので、私はちょっと工夫をしたのです。

親にはアパートに電話をかける時には、3回呼び出し音を鳴らしてから一度切って、もう一度かけてくれ、とお願いしたのです。そうすると、私への電話だということがわかるので、まるで自分専用の電話のように使うことができました。

これには、親も重宝したと思います。私の母は心配性なので、しょっちゅう電話をかけてきました。でも当時は、話した時間の長さで料金が上がっていくので、短時間で言いたいことを言って、こちらの言い分をあまり聞かずに切るようなことが度々ありました。

10円玉を何枚も用意して、かけたこともよくありました。
出典:https://astro.thanism.xyz/item-vvbxbpxo6n.html

大学の友だちには、うちの電話は3回鳴らして一度切ってかけ直さないと、つながらないと言っておきました。また、自宅に親と住む友人に用事があるときは、私が電話をかけて、もう一度かけ直してくれとお願いして長時間話したこともあります。

当時、一人暮らしをしている友だちのうち、自分の部屋に電話を持っていた友だちは、一人ぐらいしかいませんでした。彼は実家が長野のお寺でお金持ちらしく、クーラーまで部屋につけていて、羨ましく思ったものです。

ピンク電話は、「特殊簡易公衆電話」という名前が示すように、街中の公衆電話がNTTの管理なのに対し、ピンク電話は設置している施設が管理するのです。

だから、ときどき大家さんがピンク電話の後ろに付いている鍵を開けて、10円玉を回収していたのを覚えています。

出典:https://astro.thanism.xyz/item-vvbxbpxo6n.html

大家さんのおばさんは学生にとても親切で、使っていない食器棚があるからと言って、入居時からずっと、大きな食器棚を無料で貸してくれました。

アパートは旦那さんが経営する工務店の敷地内にあり、旦那さんは根っからの下町の男という風情で、とてもきれいな下町言葉を話していました。おそらく代々続くの工務店を受け継いでいたのでしょう。

旦那さんと若い息子さんの会話を聞いていたら、まるでテレビドラマの下町物を見ているように感じました。

そのアパートを退去してから知ったことですが、私の両親がウチ(兼業農家)でとれた野菜やお米を大家さんに送っていたようです。

4年間住んで、アパート退去の時には、敷金2ヶ月分がそっくり返ってきたことを覚えています。その後、別のアパートに何回か住みましたが、部屋のクリーニング代、修理代分が差し引かれて、半分も返ってこないのが当たり前でした。

大家さん夫婦はすでに、黄泉の人となっていると思いますが、Google のストリートビューを見ると、思い出のアパートはまだあるようです。今の時代に風呂なし、トイレ共同の4畳半のアパートに住むのはどんな人なのでしょうか。

当時は、水商売風の一人暮らしの女性、土木作業員風の若者や中年の男性、どこかの店員をしているらしい女性、それと学生が数名が住んでいたと記憶しています。ほとんど近所付き合いはありませんでした。みんなの生活時間がバラバラのように感じました。

私は監視していたわけではありませんが、部屋が2階角部屋だったので、窓を開けておくと、アパート出入りの人が駅の方へ歩いて行く姿が見えたのです。

現代の学生が住むワンルームマンションなら、エアコン・トイレ・バス完備でスマホもあり、比べようがないですが、そのぶん生活が幸せになっているのでしょうか。もちろん、あの環境にもう一度戻りたくはないですが、人間が生きるのに本当に必要なものとは、何だろうと考えてしまいます。

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