九キロは長すぎる(3)
まだ午後五時になったばかりだが、日はすっかり沈み、外はすでに薄暗い。
通りには街灯の明かりが連なり、僕たちと同じ学生の姿がちらほらと散見される。
僕と立花は、藤沢駅に向かって沿線を東に歩いていた。
藤湘高校から藤沢駅までの距離は割と近く、歩いて十分もすれば到着する。
目的地が定まっているわけではないのだが、自然と足は毎日利用している駅の方向に向かっていた。
「立花、まず手始めに何から取り掛かる?」
「聞き込みだよ。これから水本さんと一番仲が良かった、椎名さんに話を伺おうと思う」
「椎名か。確かに彼女なら何か知ってるかもしれない」
椎名胡桃は水本と同じ二年二組で、陸上部員でもある。僕も二人と同じクラスだから、水本と椎名が親しい関係だったのはもちろん把握している。
唯一無二の親友、という言葉で形容することにためらいの余地がないほど、二人は仲が良かった印象がある。
「幸い、水本さんの件で陸上部は今日まで活動を停止している。今日までならチャンスがあると思ってね。だから、どうしても早退が必要だった」
「なるほどね。アポは取ってるんだろ?」
そう訊くと、立花は首を横に振った。「いや、まだだけど。今からするつもりだよ」
「今から? 大丈夫なのか? もし断られたらどうするつもりなんだ」
「そこは賭けだね。でも、僕は草野くんがいるから問題ないと思ってる」
「ん、どういうこと」
「教室の一番後ろの席だからわかる」
立花は二重顎をさすりながら言う。「椎名さんは、草野くんに気があるんだよ。授業中、隣の席の君を何かとちらちらと見たりしてるし。教室での彼女の態度を見れば、一目瞭然さ」
「そんなわけないだろ、椎名が僕に気があるとか。ろくに話したこともないし、何かの間違いに決まってる」
「謙遜するなよ。そもそも草野くんはクラスの女子の間で可愛いって評判じゃないか」
確かに僕は童顔で、身長も百六十七センチしかないから、——男としては複雑だが——クラスの女子から可愛いと評されることが往々にしてある。
だが、そのことと、椎名が僕に気があるかどうかという問題は関係ないはずだ。
僕たちのすぐ隣を、東海道線がジョイント音を響かせながら走っていく。
車両が走り去り、辺りが静かになるのを待ってから立花は話を続けた。
「まあ、あくまでも僕の予想だ。だけど、この予想が当たっていた場合、椎名さんから話を聞ける確率が飛躍的に上がるはずだよ。実際、僕一人だけじゃ自信がなかった」
「だから僕を誘ったのか? このためだけに?」
立花はただでさえ大きなギョロ目をさらに見開き、「いやいや、そうじゃないよ」と必死に否定する。「もちろん、椎名さんのことはあるけれど、それとは別にして、調査を通して草野くんの知恵を全面的に借りたいと思ったからこそ、協力を仰いだんだ。嘘じゃない。本当だ」
「わかったよ」
僕は溜め息混じりに答える。「まあ実際、立花のやり方は堅実だと思う。僕を仲間に引き入れ、竹内から早退の許可を得た上で、椎名に連絡をする。手順としては合理的だ」
「だろ?」
立花はやけに自信に満ちた表情で言い、ポケットから携帯を取り出した。素早く画面をスワイプし、やがて呼び出し音が鳴り始める。
五秒も待たないうちに、電話が繋がったようだ。
「あ、もしもし、椎名さん? そう、クラスメイトの立花。ところで今って家? ああ、よかった。椎名さんの家って藤沢だったよね? いや、それが急で悪いんだけどさ、これから会えたりってできないかな? うん、そう。水本さんのことでちょっと話を聞きたくて。そう、椎名さんに。いや、一人じゃない。草野君もいる。どうかな、問題ない? 本当に? よかった、助かるよ。うん、わかった。そこのゴールデンバーガーね。ああ、なるほどね。今から向かうよ。大丈夫、ちょうど駅に向かってるとこ。わかった。じゃあ、また後で」
電話を切ると、立花は得意げな笑みを浮かべて僕を見た。「予想は当たったよ。椎名さん、草野くんの名前を出すまではあまり乗り気そうじゃなかったのに、出した瞬間即決だ」
「ふうん」
「あれ、あんまり嬉しそうじゃないね」
「お見合いに行くんじゃないんだぞ。仮に立花の予想が当たってるとしても、浮かれた気分にはならないよ」
「相変わらず堅いねえ、草野くんは。ここは普通、男子高校生なら素直に喜ぶとこだぜ」
話を逸らすために、僕は一つ咳払いをした。「それで? どこのゴールデンバーガーなんだ?」
「百三十四号線沿いの。椎名さんの家、その辺りにあるらしい」
「最寄りは鵠沼海岸か。小田急線ならすぐだな」
ゴールデンバーガーは、アメリカ初のハンバーガーチェーンだ。
道が繁華街に入ると、交通量が増し、街の景観は賑わいを見せ始める。
藤沢駅に到着するまでの数分間、僕と立花は自分たちが知っている情報を確認し合った。
「まず前提として、水本さんが死んだのは先週の金曜の深夜。厳密に言えば土曜のことだ。ちなみにその時間帯、大雨が降ってた。死因は、七里ヶ浜の自宅からやや近い、小動岬の崖からの転落死」
「翌朝、地元の住民が崖下で遺体を発見。警察は、飛び降り自殺として処理してる。遺書の類いは残されていなかった」
「そして水本さんは以前から日常的に、匿名の脅迫電話の被害を受けていた。やっぱり、水本さんの自殺の原因として考えられるのが、この脅迫電話だ。その電話の主が、水本さんを自殺に追い込んだ可能性は高い。草野くんは、どんな人間だと思う?」
「なんとなくだけど、女な気がする。水本は結構整った顔立ちをしていたから、同性から嫉妬されるようなこともあったんじゃないのか?」
「確かにね。そういった可能性は否定できない。でも、学校では順風満帆って感じだったよね。何か友達とトラブルがあったとか、そういう話は聞かない」
「トラブルのきっかけが学校内だけで起きるとは限らないだろ。外でも全然あり得る。アルバイトとかをしていたなら、尚更。と言っても、学校で友達と表面上仲良くしてるように見せて、裏では本当は不仲だったなんて線も、ないとも限らないけど」
「それって、椎名さんのこと言ってる?」
「いや、別に椎名一人に限定して言ってるわけじゃないけどさ」
「まあ、結局のところ重要なのは、椎名さんから何を聞けるのかってことだね」
藤沢駅に着くと、人の数が一気に増え出した。主に、学生や会社員か。
駅周辺、帰宅ラッシュの時間帯は人の流れが決して途絶えない。さすが、市の中心といったところだ。
広場に通じる階段を上がり、そのすぐ右手にある駅北口から駅構内に入る。
小田急線に乗車する約三分間、僕と立花は当たり障りのない会話しかしなかった。
誰に聞かれるかわからない公共の場所で、水本のことを話す気にはならなかったのだ。
鵠沼海岸駅で降り、改札を抜ける。目的地を目指して閑静な住宅街を歩いていると、立花がこんなことを訊いてきた。
「緊張してる?」
「誰が」
「草野君が」
「いや、今のは疑問形の『誰が?』じゃなくてだな」
国道百三十四号線沿いのゴールデンバーガーには、すでに椎名胡桃の姿があった。
ニットとスカートという私服で、髪も下ろしていたから気づくのが少し遅れたが、椎名は店内奥の、窓際の四人掛けのテーブルに一人座っていた。卓上には、コーヒーかカフェオレが入った紙コップが置かれている。
僕たちに気づくと、椎名は小さく手を振った。教室での印象とは違い、どこか大人びた雰囲気を感じる。
「やあ、急に悪いね。呼び出したりして」
立花はそう言って、椎名の向かいに腰を下ろした。
椎名は首を横に振って、「大丈夫」と答える。
僕も立花の隣に座ると、マフラーとダッフルコートを脱いで、椅子の背もたれに掛けた。
「サユのことについて、訊きたいんでしょ?」
「うん。率直に言えば僕ら、水本さんに何があってこんなことになってしまったのか、独自に調査してるんだ」
「あたしに話せることであれば、何でも話すつもり」
椎名は言うと、顔を俯かせて声を落とした。「……サユを自殺に追い込んだ人がいるなら、それが誰なのか、あたしも知りたいから。新聞部の二人が調べてくれるのは、心強いよ。だから、何でも訊いて」
「いやあ、ありがたいよ」
「あたしの席、サユの席と前後だからさ……教室にいると、いつもサユが座ってた席が目に入って、息が苦しくなるんだよね。もう、寂しいっていう次元じゃないっていうか」
僕たちの間に、言葉にならない喪失感が漂う。こういう空気に支配されるのは、もう何度目だろうか。
「あ、ごめんね。しんみりさせちゃって」
僕も立花も、無言で首を横に振る。
立花が無理に明るく振る舞うように言う。「じゃあ本題に入る前に、何も買わないのもアレだから、何か買ってきていいかな。草野君、奢るよ。何がいい?」
「いいのか? じゃあ、コーヒーを」
「オーケー。椎名さんは、追加で注文したいやつとかある?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
立花が席を立つと、当然ながら椎名と二人きりになる。
こうしてクラスの女子と向かい合わせに着座するなんて経験がまずないから、なんだか照れ臭く、そして沈黙が気まずい。
何か喋った方がいいんだろうか。
何を話そうかと思案していると、ふと匂いで椎名が飲んでいるのはカフェオレだと気づく。
「カフェオレ、好きなの?」とでも訊いてみようかと思っていると、先に椎名の方から口を開いた。
「草野くんってさ、下の名前、風太って言うんだよね?」
「うん、そうだけど」
「風太。草野くんらしくて可愛い名前だよね」
「僕らしい? そうかな?」
「そうだよ。ねえ、風太くんって呼んでもいい?」
「いや、それは勘弁してくれ」
「ええ、なんでよ?」
「クラスの女子から風太くんなんて言われると、絶対に調子が狂うよ。賭けてもいい」
「何それ、なんか可愛いね」
椎名は口元を手で隠して、穏やかに微笑んだ。
ああ、やりづらいな。今の発言のどこに可愛い要素があるんだ。
頼む、立花。早く戻ってきてくれ。
