九キロは長すぎる(7)
「やっぱり、まともに取り合ってくれなかったね」
いつもの沿線を藤沢駅の方向に歩きながら、立花が言った。
「ああ、単なる労力の無駄だった」と僕は同意する。「にしても、あそこまで拒絶されるとは思わなかったけど」
「しょうがないよ。生徒の自殺なんていうデリケートな問題を、同じ生徒が調べ回ってるんだ。快く思わないのも当然さ」
「なんだかあの男は、死んだ水本のことよりも自分の保身を気にしてるみたいだった。これ以上、事態を大きくしないようにと、僕たちに暗に警告してるみたいな」
「僕らがやってることは、学校からすれば傷口に塩を塗るような行為だろうからね。学校としては、できるだけ事を穏便に済ませたいんだろう」
「そうしてみんなの記憶から徐々に薄れていくのを、じっと待ち続けるわけだ」
僕と立花の間に、悲観的なムードが漂う。しばらく、二人とも無言で歩き続けた。
駅周辺の繁華街が見えてきた頃、立花が口を開いた。「のっぽのサリーでは、何か重要な証言が得られるかもしれないよ。それに期待しよう」
「何も収穫なしに、コーヒー一杯」
「なんだよ、賭けるのか?」
「冗談だ」
藤沢駅で東海道線に乗車し、大船駅で横須賀線に乗り換え、二駅目で鎌倉駅に到着した。
駅東口から出て、小町通りを北上する。空は日暮れが迫りつつあった。
通りの先には鶴岡八幡宮があり、ここ一帯は大勢の観光客が訪れる人気のスポットとなっているため、人の往来が激しい。
僕と立花は人の間を縫うようにして、賑やかな商店街を進んでいった。
僕は自嘲気味にぼやいた。「放課後、男子高校生二人でわざわざ小町のカフェに行くのなんて、多分地元でも僕たちくらいじゃないか?」
「間違いないね。でも僕らは、純粋な気持ちで仲良くコーヒーを味わいに行くわけじゃない。調査の一環だと思えば、少しは気が楽になるだろ?」
もっともな意見だ。そして立花のこういう前向きな姿勢が、時々羨ましくなる。
通りを右に折れ、そのまま真っ直ぐ進んでいくと、西洋の屋敷のような外観のカフェ、のっぽのサリーの前にたどり着いた。
レンガの外壁はつる性の植物に覆われ、出入り口の前には「Long Tall Sally」と書かれた立て看板が設置されている。
木製の扉を開けて入店すると、カランコロン、と心地の良い鐘の音が鳴った。
店の間取りはカフェというよりレストランを思わせる広さで、人気店らしく、席がほぼ埋まっている。見渡す限り、僕たち以外全員女性客だ。
僕と立花は一つだけ空いていた、壁際の二人掛けのテーブルに腰を下ろした。
傍には観葉植物が配置され、背後の壁には抽象画が掛かっている。
コートとマフラーを脱いで、昨日と同じように椅子の背もたれに掛ける。立花も昨日と同じく、防寒着の類いは着ていない。
立花が両肘をつき、芝居がかったような調子で訊く。「さてと、草野君。……どっちだと思う?」
「下山か、下村だったな。そもそも、当の女子大生は今この店にいるのか?」
「女子大生らしき店員なら、一人いたぜ」
「ああ、いたな」
確かにいた。茶色いショートヘアの若い女性の店員なら、さっき僕も見た。
「じゃあ、せーので言ってみようか」
「なんで二人同時に言う必要があるんだ。立花が直感で選んでくれ」
「いやいや、ここはせっかくだから一斉に言ってみよう。その方が面白いからね」
「断る」
「いくよ? せーの……」
くそ、どうしてもやるのか。
「「下村」」
僕と立花の声が揃うと、「はい、下村はわたしですけど……」とすぐ近くで声がした。
見上げると、例の女性の店員が訝しむように、僕たちのことを見下ろしている。
茶色いショートヘアに、丸顔で、少し化粧が濃い。
白いワイシャツの上に、カーキのエプロンを身につけており、背丈は僕より二、三センチ低いくらいで、立花と同じくらいか。
警戒するように、僕たちを猜疑の目で見つめている。
立花が動揺を隠すことなく、「え、えっと、あの、下村さんですか?」と尋ねる。
僕はぼそりとつぶやいた。「みたいだな」
「えと、僕たち、別に怪しい者じゃありません。あの、ここで働いていた水本小百合さん、ご存知ですよね? そのクラスメイトです」
下村さんは目を見開き、「小百合ちゃんの?」と訊く。
「はい、そうです」
立花が肯定する。「僕が立花で、彼が草野と言います。下村さんのことは、水本さんの親友の椎名さんから教えてもらいました」
「ああ、椎名さん。胡桃ちゃんだっけ? 小百合ちゃんから話で聞いたことある。それで、私に何か?」
「はい。あの、水本さんがお亡くなりになられたことは……」
下村さんは沈痛な面持ちで、小さく首を縦に動かした。「もちろん、知ってる」
「実は僕たち、水本さんの自殺に少し違和感を抱いてまして、ただの自殺ではないと思ってるんです。水本さんが生前、仲が良かった方々に話を聞いて、彼女についての情報を集めているんですけど」
「それは……調査、ってこと?」
「そういうことになります」
これは僕が答えた。
「それでですね、宜しければ是非、下村さんにもお話をお聞きできたらな、と思っているんですけど……」
「いいよ」
瞬間、立花が周囲の客のことなんか気にする様子もなく、「ほんとですか!」と歓喜の声を上げる。
下村さんは口元を緩ませ、腰に片手を当てた。「なんか君たち可愛いし、断ったら不憫に思っちゃいそうだから」
どうやらさっきまでの警戒心は、完全に消失しているようだ。
「ありがとうございます!」
立花が深いお辞儀をするのにつられ、僕も同じようにする。
「えっと、今は仕事中だから難しいけど、あと一時間くらいでお店閉まるの。その後に三十分くらい閉店作業があるんだけど、それからなら、大丈夫。それまで待てる?」
「待てます。全然待てます。コーヒー一杯で何時間でも潰せますから」
「わかった」
下村さんは微笑んで言った。「それでは、ご注文はいかがなさいましょうか?」
立花はメニュー表を見ながら、「じゃあ、ブレンドコーヒーを。ミルクと砂糖たっぷりで」と上機嫌そうに言う。
「はい、ミルクと砂糖たっぷりね。そちらの方は?」
「僕はエスプレッソを」
「背伸びするなよ、草野くん。君の見た目だとせいぜい、似合うのはコーヒー牛乳くらいだぜ」
「豆本来の深いコクを味わうには、エスプレッソに限るんだよ。まあ、舌がお子様の立花にはわからないだろうけどな」
僕と立花の子供染みた応酬を、下村さんが微笑ましそうに見てくる。
立花は不満そうな顔で天然パーマの頭を掻きながら、「ああ、あとガトーショコラと洋梨のタルトもお願いします」と言った。
