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九キロは長すぎる(6)

 次の日の放課後、事前に打ち合わせた通り、僕たちは担任の柏木先生に話を聞きに行くことにした。

 椎名から教えられた水本のバイト先、のっぽのサリーに足を運ぶ前に、まずは学校で水本の関係者に聞き込みをすることが先決だという結論に達したのだ。

 教師が生徒の個人情報を他の生徒に教えるなんてことはまずないと思うし、そもそも水本についての何か有力な情報を持っているとも思えないが、それでも訊いてみることに越したことはない。
 立花の言葉を借りれば、何事にもトライだ。

 二年二組の担任で、英語教師の柏木瑠美はまだ教室に残っており、黒板に背を向けて数人の女子と雑談に講じている。気さくな先生なのだ。
 年齢も二十八と、僕たちとそこまで歳が離れておらず、さらに教え子と同じ目線で親身になって接する印象がある。だからなのか、生徒からの人望は厚い。
 見た目も綺麗でスタイルが良く、かと言って派手な感じはしないから、保護者や同僚からの心証もいいはずだ。

 しばらく待っていると、雑談が終わったようで、女子たちは楽しげな様子でぞろぞろと教室を出ていった。これで、僕と立花と柏木先生の三人だけになる。
 柏木先生は教室を後にしようとしたところで足を止め、ふと僕たちに顔を向けた。「あなたたち、まだ残るようなら戸締りお願いね」
「あ、先生、待ってください」
 立花が呼びかける。「ちょっと僕たち、先生にお尋ねしたいことがあるんです」
「わたしに? どんなこと?」
「水本さんのことです」
 立花が間を置かずに、返答した。
 近づくと、身長が百七十センチ以上ある柏木先生は、身長が百七十センチ未満の僕たちをやや見下ろす形になる。

 立花が話を切り出す。「率直に言って、僕たちは水本さんが自殺したのは、何らかの深刻なトラブルに巻き込まれていたせいじゃないかと考えているんです。それで、先生は水本さんのことで、何かお気づきになった点はありませんか?」
 途端に、柏木先生の表情が険しくなる。「あったとしたら、警察に話してる」と言って、浅い溜め息をつく。「あのねえ、立花くん、草野くん。あなたたち新聞部でしょ? 色々と調べたくなる気持ちもわかるけど、さすがに限度ってものがある。何より、ご家族のお気持ちを考えて。パパラッチじゃないんだから、こんなことはもうやめなさい。いい? 新聞部は、校内の広報活動のためにあるのよ。生徒個人のプライバシーを嗅ぎ回るためにあるんじゃない」
「部活は関係ありません」
 僕はきっぱりと否定した。「僕たちは水本さんのクラスメイトとして、彼女に何があったのかを純粋に知りたいだけなんです。週刊誌の記者みたいに、あることないこと無責任に書いて、扇情的な記事で世間を煽るような、そんな生半可な気持ちではやってません。本気なんです」

 僕の熱弁に驚いたのだろう。一瞬、先生は目を丸くしたが、すぐにピンク色の唇をへの字に曲げる。「理由は何であれ、たとえクラスメイトでも、故人をあれこれと詮索することは褒められたことじゃないの。これ以上、先生に心配をかけないで」
 そうまくし立てるように言うと、先生は教室から出ていった。

 僕はふんと鼻を鳴らし、つぶやいた。「取り付く島もないな」
「まあ柏木先生、本当に何も相談は受けていなかったようだし、脅迫電話のことも知らないみたいだ。どっちみち、聞き出せることは何もなかった」
 僕は立花の肩にぽんと手を置いて、「次からの聞き込み、立花が中心で頼む」と言った。
「わかってるって」
 立花は笑って答えた。「元々、人見知りの草野くんは聞き込みに向いてないんだ。頼まれなくてもそのつもりだから、安心してくれ」

 心強いような、少し情けないような、そんな複雑な感情に僕は囚われた。
 そうだ。僕は新聞部のくせに、取材や聞き込みがあまり得意ではないのだ。

 保健室は、一般教室棟一階にある。
 椎名は言っていた——先週の月曜、水本が部活で九キロの距離を途中で走ることを中断した後、彼女を保健室に連れていったと。
 その時の水本の詳しい様子を養護教諭なら何か覚えているだろうと、僕たちは見当をつけたのだ。

 立花が慎重な手つきで、静かに引き戸を開ける。
 スチールデスクに向かう、中年の女性の教諭が顔を上げた。「あら」
「すみません。大江先生にお聞きしたいことがありまして。今、少しだけお時間よろしいでしょうか?」と立花が訊く。「僕たち二年二組の生徒で、僕が立花で彼が草野と言います」
 養護教諭の名前まで把握しているとは。さすが情報通。
「つまり、あなたたち二人とも、どこか具合が悪いわけではないのね?」
「はい、僕も草野も至って元気です」

 大江先生は少し呆れた顔になる。「いいわ。ちょうど今誰もいないから。そこのソファに掛けて頂戴」
 礼を言い、スチールデスクの傍らの、青い革張りのソファに腰を下ろす。
 大江先生は事務椅子を九十度回し、僕たちと向き合った。「それで? 用件は何かしら?」
「水本さんのことです」
 立花が簡潔に答えた。「先週の月曜日、水本さんが保健室に来られたと思うのですが、その時の様子はどんな感じだったか、教えて頂けないでしょうか?」

 僅かに、大江先生の顔が曇る。「それを知って、どうしたいの?」
「あ、はい。僕たちは水本さんが亡くなったのは、誰かが彼女のことを追い詰めていたからじゃないか、と考えてまして。それで水本さんのことを調べているんです」
「それは、いじめられていたってこと?」
「いえ」
 立花がさっと首を横に振って、否定する。「いじめかどうかはわかりません。おそらく、違うと思います。でも、水本さんが何らかのトラブルに巻き込まれていたことは、確かなんです」
「そう」
 大江先生が目線を下げる。「教員として、生徒の死ほど心が痛むことはない。……そしてあなたの言うように、本当に誰かが水本さんを自殺に追い込んだのだとしたら……それは絶対に許されることじゃない」

 立花が首肯する。「はい」
「あなたたちはクラスの一員として、水本さんが亡くなった原因を知る必要があると思ってるのね? 真剣に」
 僕は大江先生の視線を真っ直ぐ受け止めて、答える。「その通りです」
「いいわ。そういうことなら、話してもいいけど」
 大江先生は首を小さく縦に振った。「先週の月曜日だったわね。……ええ、確かにここに来たわ」

 立花が少し前のめりになり、「その時の様子は?」と尋ねる。
「相当しんどそうだったわよ。元々、気分が優れなかったんでしょう。冬は昼夜の寒暖差が激しいから、体調を崩しやすいのよ。その上、長距離を走ったんだから、無理もない。体温を測って、熱はなかったから、ここのベッドで休んでもらったわ。一時間くらい横になってたら、少し体調が良くなったみたいで、お礼を言って、帰っていった」
「それだけ、ですか?」
 立花が拍子抜けしたように尋ねると、大江先生はあっさりと答えた。「ええ、それだけよ」
「では何か、水本さんに対して不審に思ったりしたことはありませんでした?」
 立花が続けざまに訊く。

「特にないのよね、それが。問診にも気になる点はなかったし、脈拍も徐々に安定していったから、わざわざ病院で診てもらうことはないと判断した。だから、水本さんが長距離走を断念したのは体調の問題であって、何か持病を抱えていたとか、そういうことはなかったようだったのよ」
「じゃあ、先生に悩み事を相談したようなことも?」
 立花が躊躇いがちに訊くと、
 大江先生は渋面になり、首を横に振った。「なかったわね。水本さんとは、全くと言っていいほどプライベートな会話はしなかった。……今思えば、彼女がどんなことに悩まされていたのか、そういう心理面にも気づくべきだった」

 僕と立花は目を合わせた。担任に引き続き、養護教諭への聞き込みも収穫ゼロか。
 まあ、わかっていたことじゃないか。礼を言い、僕たちは保健室を辞した。

 家族や警察にも、自分が抱えていたトラブルについて決して相談をしなかった水本が、学校のスクールカウンセラーを利用していたとは思えない。
 かと言ってその予想は、僕たちの「何事にもトライ」という方針を根本から見直すほどの、確実性のある代物でもなかった。

 相談室は、ちょうど保健室の隣に位置していた。「在室中です」というプレートが掛かった開き戸を立花が軽くノックし、開ける。水本の調査に乗り出していなければ、ここに場所に足を踏み入れることもなかっただろう。

 シンプルなデザインの清潔感のある部屋の奥で、眼鏡をかけた黒髪の若い女性がデスクワークをしていた。訝しげな眼差しを僕たちに向けてくる。
 入室したのが二人だからだろう。相談室というのは、原則的に一人で利用するものだ。

「すみません、児玉先生。一点だけ先生にお聞きしたいことがありまして。大丈夫でしょうか?」
 立花が非常勤職員であるスクールカウンセラーの名前まで認知していたことがわかっても、もう僕は驚かない。
 新聞部副部長である彼がその立場に見合う以上に、驚異的な情報収集能力を持っていることは、普段から絶えず認識していることではないか。

 児玉先生はペンをデスクの上に置き、怪訝な面持ちで尋ねる。「何でしょうか?」
「最近、亡くなられたここの学校の生徒である水本小百合さんですが、この相談室を利用したことはありましたでしょうか?」
「なかったですね」
 立花の質問に、児玉先生は無愛想な顔で答えた。「それが、何か?」
「いえ、それならいいんです。ありがとうございました」
 立花は軽く頭を下げ、踵を返す。

 僕たちがドアに向かうと、「もし」と背後から声がした。
 振り向くと、児玉先生は無念そうな顔をして、「もし、ここにご相談されて、悩み事をしっかりと受け止めて、一緒に解決策を見つけていれば、彼女の自殺を防げていたんじゃないかと……そんな可能性を考えてしまいます」と小声で言った。「本当に、残念です。相談に乗ってあげたかった」
 僕にも立花にも、返す言葉が見つからなかった。だから、何も言わずにその場を後にした。

 寒空の下、冬の冷気が漂う中、グラウンドの隅で総勢二十名ほどの陸上部員が固まって、ストレッチを行なっている。
 その近くに、顧問である芹沢先生の姿があった。

 水本の件で一時的に活動を休止していた陸上部も、ついに今日から再開だ。
 しかし、掛け声に合わせて柔軟体操をする部員たちの様子は、やはりどこか悄然としているように感じられた。
 当然と言えば、当然かもしれない。まだ部活の仲間を失ってから、四日しか経っていないのだ。

 学校指定のジャージ姿の椎名胡桃が、さりげなく手を振ってくる。
 立花は大きく手を振り返し、僕も無視するわけにもいかないから、椎名に向かって軽く頷いた。

 僕と立花が芹沢先生の傍まで近寄ると、向こうもこちらの存在に気づいた。
 芹沢透は三十代前半の、男性の数学教師だ。
 精悍な顔つきで、髪は短髪。長身で引き締まった体格をしており、その上独身なこともあって、女子生徒からの人気が高い。
 きっと、女子の理想を具現化したような男なのだろう。

「お忙しいところすみません。ちょっと、先生にお聞きしたいことがありまして。すぐに終わりますので、少しだけお時間、よろしいでしょうか?」
 立花が丁寧な口振りで訊く。
 芹沢先生は怪訝そうに、尋ねてくる。「ええと、君たちは……?」
 芹沢先生は主に三年生に教鞭を取っているから、二年の僕たちとは面識がない。だから、僕と立花のことを知らないのは想定の範疇だった。

「申し遅れました。僕たち、新聞部に所属する二年生です。僕が立花で、彼が草野と言います。二人とも、水本さんと同じクラスでした」
「そうか、水本と……」と芹沢先生は神妙な面持ちで言って、「それで、俺に何の用?」と訊いた。
「はい。単刀直入に言いますと、僕たちは水本さんがどうして亡くなってしまったのか、そのことについて調べています。おそらく、何らかの深刻なトラブルに巻き込まれていたんじゃないかと。先生は部活の顧問として、何かご存知ありませんか?」

 すると、芹沢先生は不愉快そうに眉を寄せ、「君たちは、どうして水本の自殺の理由なんかを調べてる? 低俗なゴシップでも書きたいのか?」と高圧的な態度で訊いてくる。
「違います」
 立花は怯むことなく、芹沢先生の目を真っ直ぐ見据えて否定した。「クラスメイトだからこそ、水本さんのことを知る必要があると思ってるんです。このまま、『クラスにいた女子の一人が、どうしてか知らないけれど自殺してしまったな』、で風化させたくないんです。なぜ彼女がそんな決断をしたのか、その背景を調べることに意義があるんだと信じています」
「それはありもしない使命感に駆られて、自分たちの行動を正当化しているに過ぎないね。そもそもは、そういうのは警察の仕事であって、君たちのような高校生がやることではないだろう」

 僕は黙っていられず、反論することにした。「警察はもう動きません。何の事件性もない、ただの自殺として処理してますから。そして警察が動かないなら、他に誰が動くんですか」
 芹沢先生は眉間に皺を寄せ、露骨に不機嫌な表情になる。「いずれにしろ、君たちに話せることは何もない。顧問としては忸怩じくじたる思いだけど、俺は水本の心の機微に気づくことができなかった。だから水本が亡くなったのは、俺にも責任の一端があるのは事実だ」
 そう言った後、厳しい眼差しを僕たちに向ける。「だが、これから陸上部が水本の一件を乗り越えて、立ち直ろうとしている大事な時期に、そのような水を差す行為はやめてくれ。はっきり言って、迷惑だ」

 部員たちには一連の緊張感の漂うやりとりが聞こえていたはずだが、それでも決してストレッチを中断する素振りを見せることなく、真面目に従事していた。
 きっとこれも、ひとえに偉大なる芹沢先生のご指導の賜物だろう。

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