九キロは長すぎる(5)
椎名から水本についての情報を仕入れた後、僕たちは調査とは無関係のとりとめもない話をして、放課後のゴールデンバーガーを過ごしていた。
椎名から水本について話を聞くという目的は達成されたわけだし、窓の外は完全に夜だったから、僕個人としてはもう店を後にしたかったのだけれど、立花と椎名の二人は雑談を打ち切る気配を一向に見せることなく、長い間話し込んでいた。
午後六時半を回る頃、「ちょっとトイレに行ってくるよ」と言って、立花は席を立った。
立花がいなくなると、椎名は携帯を片手に、「ねえ草野くん、連絡先交換しない?」と訊いてくる。特に断る理由もないから、僕は承諾した。
QRコード読み取りの機能で、椎名と連絡先を交換する。
立花の視線には気づいていた。
視界の端に、立花の特徴的なシルエットが見えるのだ。
きっと意地の悪い笑みを浮かべながら、僕と椎名のやりとりを観察しているのだろう。
トイレに行く振りをして、遠目から盗み見る作戦か。立花、少し悪趣味に過ぎるぞ。
椎名と別れた後、僕と立花は百三十四号線沿いの歩道を東へ歩いていた。
片道二車線の国道を、車が次々と東西に行き交っていくのを横目に見ながら、立花と肩を並べて歩き続ける。
夜になると冷え込みがさらに強くなり、吐く息も白い。
不意に、立花が訊いた。「もし椎名さんに告白されたら、草野くんは付き合うのか?」
「まさか」
「なんだよ。椎名さん、割と可愛いし、もったいないじゃないか。彼女からの好意、自覚してるんだろ?」
「ん、まあ……」
「歯切れが悪いな。男が好きってわけじゃないんだろ?」
「当たり前だ」
僕は即答する。もちろん、僕は異性愛者だし、男にそういうときめきを感じたことは一度だってない。
「それなら差し支えなければ、理由を訊いてもいいかな?」
僕は一つ、控えめな咳払いをした。「例えば、椎名が遊園地か美術館の二択を提示されて、休日にどちらに行きたいかの選択を求められるとするだろ?」
「うん」
立花が少し興味を示すように相槌を打つ。
「椎名は、迷わず遊園地を選ぶタイプだと思うんだ」
「なるほどね。つまり草野くんは、小人や妖精のキャラクターよりも、おかっぱ頭で着物姿の少女に会いに行きたいと考えるような人が、好みだというわけだ」
おかっぱ頭——岸田劉生の麗子像か。
喩えの意味がわかると、僕は素っ気なく返答した。「まあ、極端に言ってしまえばね」
僕の話は、あくまでも立花に納得してもらうためのそれらしい嘘に過ぎない。
実際のところは、単純すぎるほど明快な理由がある。
だから、決して椎名自身に問題があるわけではない。それは紛れもなく、僕個人の問題になるのだ。
楕円形の歩道橋が特徴的な交差点を左に折れ、境川に架かる西浜橋を渡り、そのまま直進すると、やがて住宅地の中に湘南海岸公園駅の姿が見えてくる。
一面一線の、地上と同じ高さの駅で、僕がいつも通学に使う最寄り駅でもある。
僕の家はここから北に二百メートルほど行った先にあり、立花は江ノ島に住んでいるから、この無人駅の前で別れることになる。
暗がりの中で、立花が訊いてくる。「草野くん、この後の予定は?」
「今日はもう帰るだけだよ。立花は何かあるのか?」
立花は一転、渋い表情になった。「僕、予備校だぜ、予備校。つい話し込んじゃって、もうすでに一時間以上の遅刻だけどね。で、またこれから藤沢駅に戻らないといけない。ったく、予備校なんか行かなくても、成績に支障はないって言うのに、親が許してくれないんだ」
「大変だな、成績上位者ゆえの悩みって感じだよ」
僕がそう言うと、立花は困ったような笑みを浮かべ、肩をすくめてみせた。
「でも、悪いことばかりじゃないんだ」
「例えば?」
「実はその予備校には、偶然にも水本さんの妹さんが通ってる」
「へえ、水本には妹がいたのか」
「うん。辻堂女学院の、高等部一年だったかな」
「ああ、あのお嬢様校」
「妹さんなら、何か知っているんじゃないかと思ってね。コンタクトを取ってみようと思ってる」
「姉が亡くなってからまだ数日しか経っていないのに、まともに話なんて聞けるかな」
「まあ、やるだけやってみるさ。何事にもトライだよ」
鎌倉方面から、江ノ電が接近することを知らせる警報音が鳴り始め、遮断機が降りてくる。
まるで周囲の暗闇を照らすように、立花が快活に手を上げた。「じゃあ草野くん、明日も張り切って調査しよう」
僕も片手を小さく上げて、「ああ、そのつもりだ」と応じる。
立花が駅入り口に入っていく。その背中に向かって、僕は声をかけた。「立花」
「ん?」
「必ず真相にたどり着こう」
「もちろん!」
親指を立てるジェスチャーをした立花の屈託のない笑顔に、つられて思わず僕も笑みをこぼしてしまった。
