【イオンモール熊本爆発事故】たとえ「社蓄」と呼ばれようとも労働者は「畜生」ではなく、いつだって「畜生」なのは経営者側であり、会社という仕組みそのものであるという事実。
先日、イオンモールでの爆発事故について少し書いたばかりだが、その後の続報として、今夜はこのようなニュースが舞い込んできた。無論、オンワードとは別のテナントの話であるし、現時点で「裏」がとれていないために断定的なことも書けなければ、指示を出したという人間を断罪するつもりもないが、万が一にも事実であったとするならば、なんともやりきれない思いだ。
実は前掲の記事では、当初、こうした可能性について書いていた。しかしAIに言わせると、「裏」がとれていないことを、筆者特有の“調子”で書けば、即座に訴訟を起こされ、しかもそれなりに敗訴する可能性が高いから「絶対にやめろ」というのである。それで急遽、後ろ髪を引かれながらも“その該当箇所”を根こそぎ削除し、あのような記事として投稿したのであるが、そうした経緯があるだけに、筆者としてはさらに複雑な心境だ。
もともと日本の会社組織というのは、滅私奉公を是とする風潮が広く定着し、それが時を経て「ブラック労働」という新たな形態へと“進化”していったことは世人の多くが知る通りだ。社会化の授業で習うように、鎌倉時代の将軍と御家人は、「御恩と奉公」という形で主従関係が結ばれていたが、かくも「御恩」は極限まで削り、奉公だけを求める闇将軍ばかりが増えるとたまったものではない。
▼「御恩と奉公」とは?
御恩(ごおん)の内容所領安堵(しょりょうあんど):武士が持っている土地の所有権を認めて守ること。
新恩給与(しんおんきゅうよ):戦いで優れた手柄を立てた武士に、新しい土地や仕事を与えること。
奉公(ほうこう)の内容軍役(ぐんやく):戦いの時に、一族や家来を連れて将軍のために命がけで戦うこと。
警備:京都や鎌倉などの大切な場所の警衛や守衛を務めること。
しかも筆者のような「はぐれ者」からすると、そもそもこうした労働環境というのは、かつて海を渡って南米のコーヒー農園などで働きはじめ、当初聞いていたのとは天と地ほどの差がある劣悪な労働環境下で、搾取されるだけ搾取され続けた移民の姿と重なる。しかも移民と現在のブラック労働者が大きく異なるのは、現地での成功を夢見て能動的に賭けに出たというわけではなく、「ただ、国内で普通に就職しただけなのに」という点だ。ただ就職しただけで、奴隷労働以下の「命を賭けた労働」をさせられるわけである。世のブラック経営者たちは自社の従業員たちを自爆テロ部隊か何かと勘違いしているのだろうか。
俗に「社畜」という言葉があるが、いつからこの言葉は「命まで差し出すことが当たり前」という意味を持つに至ったのか。本当の「畜生」は誰なのか。前出の報道によると、女性従業員がその死の直前に、会社からの指示があったことを示唆していたというが、その会社は?といえば、RKKからの問い合わせに対し、「取材はお断りしている」と回答したのだという。たしかにすべての取材に応じる必要があるとはいえないが、これではどこをどう贔屓目に取ったところで、多くの人々は「死亡した女性従業員の個人的な理由で再入場した」と思わないだろう。なお、前述の「御恩と奉公」で知られる鎌倉幕府は、武士への「御恩」を提供できなくなったにもかかわらず、「奉公」だけを強いる形となったことから武士の不満へと繋がり、クーデターによって滅亡することとなったが、現代の「武士」たちはクーデターを起こすよりも先に死地へと送り込まれるため、「幕府」はなかなか滅亡しない。こうした「完成度の高い奴隷労働システム」こそ、現代社会特有の癌であると筆者は常々感じている。
また、記事の中で紹介されている「店の物が倒れたりしているから、片付けて帰る」と父親に語って爆発事故に遭ったという女性従業員については、上役からの指示なのか、はたまた自発的な行動なのかは判然としないが、仮に自発的な行動であったとするならば、それはそれで「有事に際して従業員の安全を最優先にする」という考えが浸透していなかった、あるいは、そもそも組織として存在していなかった可能性がある。
昨日付で投稿した記事では、今回の熊本地震やイオンモール熊本での爆発事故(に限ったことではないが)に乗じて、荒唐無稽な陰謀論や端にも棒にもかからぬようなデマじみた風説をわざわざ動画まで作って実しやかに吹聴するという、火事場泥棒以下の不届者が後を絶たないということを書いたが、今夜飛び込んできたこのニュースは、仮に事実であったとするならば、どんな陰謀論よりも恐ろしいし、おぞましい。「現実」というものは、得てして、多くの人々が思うよりもさらにたちの悪い要素を孕んでいるといえるだろう。
無論、真相がどうであれ、失われた命はもとより、その命が続くはずだった未来も、二度と戻ることはない。故人の周囲に残されるのは、いつだって過去だけだ。そうした「誰に言われるまでもなく皆が理解している常識」に、年甲斐もなく苛立ちを覚える筆者は、プロの書き手として、まだまだ未熟なのかもしれない。
(猪)
