一日一頁:島薗進『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』朝日新聞出版、2019年。
島薗先生のグリーフケア入門を紐解いているが、「悲嘆をともにする」こと、「ともに悲嘆を生きる」ことは死別にだけ限定されたものではなく、認知症を受け容れる
当人や家族にも当てはまるなあと考えさせられている。
ともあれ「失の経験」や「悲しみ」をマイナスとして封印するのではないオルタナティブが一人一人に要請されている。
悲嘆とかグリーフという言葉の指すものは幅広い。大事なものが失われた、その失の経験が引き起こす。典型的には死別による愛する他者の喪失によるものだ。大切な人との別れは悲しい。人ではなくペットや故郷、職場、交流仲間から離れることも大きな喪失になりうる。さらに、自己の能力の喪失やプライドの喪失も悲嘆の厳しい試練となる。このように喪失による悲嘆を広く捉えていくと誰にでも身に覚えがあるだろう。喪失による悲嘆は、人生の意味が問われる大きな意義をもつ経験だ。私にとってもそうだった。
痛切な死別の経験がない人でも他者の死別の経験に共感し、ともに涙を流すのは自然だ。映画の主人公の身に起こることに共鳴して自ら涙を流したことのある人は少なくないだろう。「悲嘆をともにする」こと、「ともに悲嘆を生きる」ことは、つらさに耐えるというだけではなく、生きている意味を問い直し、生きる力を得直していくことでもある。
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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。