翠恋譚《すいれんたん》⑮
蘭秋の果てに 1
◇◆◇
「″夢蘭″…。こりゃまた…。」
門柱の都の名を見て荻が呟く。
「九月よー、蘭秋の各都の名、一体誰がつけた?何で揚燕の都だけ蘭の字ついてねえんだ?」
関所の門を抜けながら、荻が不思議そうに九月に問う。大高も同じく不思議に思う。
「さあ。初代かその辺の時代の王がつけた名だと聞いていますが、それ以上は分かりません。私も不思議に思った事ありましたけれど、誰に聞いても知らないという事でした」
「夢蘭。夢、かあ…」
大空がぼそり呟く。
「何ですの?何か気になる事でも?」
九月が後ろから声をかける。周囲の森から蝉の声がうるさい程に聞こえてくる。
夏真っ盛りの陽射しを避け、一行は涼しい森の木陰を歩いていた。
旅の始まりからすでに半年近くが経っていた。
「いやよー、おれの村の連中、まあおれもだが…よく変な夢見るぜ。予知夢みてえなのとか。おれのこの弓剣も母様が夢を通じて父様達から受け取った物だしな。そういや里で、長もおばばも言ってたなあ。″夢″操れて便利とか何とか…。おれ、よく意味分かんねえからいつも聞き流してたが、ひょっとして皆、夢操ったりしてたのかな…と、ちょっと思ってよ」
蝉の声が響く中、荻が呆気にとられた顔で大空を見るも九月と驚きの目を合わせる。その目をまた大空に向ける。
「お前…そんな事できんのかよ?夢なんか操ってどうするよ?」
荻の声が一瞬、うるさい蝉の声に紛れる。
「あほか、おまえ。そんな事できるわけねえだろう。ったく阿呆だな。しょうがねえ」
大空がばっさり切り捨てるように返していた。
「何だとこらあー!てめえが今、言ったんだろうが!夢操るとか何とかよお!」
「はっは…アホだな。ほんとアホだ。何となく言ってみただけだろうが。そんな事できる奴いるわけねえ」
大空が荻に心底ばかにした視線を残し、背中を向けてさらに笑う。
「こいつ―――!」
荻が腰の剣に手をかける。
「何だよ、おまえ、死ぬ気かあ。やるかあ?おれと?死んじまうぞー」
大空が余裕の笑いで背を向けたまま告げる。
「てんめえーっ!」
荻がますます頭に血を上らせる。
「まあまあ、お二人とも。おやめ下さい。それに荻様。護衛が頭斬っちゃいけませんよ~」
人っ子一人通らない森の道を行きながら、九月が荻にさらっと告げた。
「しっかしよお~…。何でここ〜、誰もいねえんだあ~?この都さびれてんなあ〜。途中の村もさびれてたあ~。これまでの都と大違いだあ」
何度目かに現れた荒れ果てた村の民家を見て大鷹ががっかりした声で吐き出す。
「お気をつけになって下さい。ここは確かに、これまでの都とは違います。ここはまだ都外れの森ですけれど、充分危ない所です。この都は特別です。あの人買いがまかり通っていた沙蘭の都と同じような所。ここは前元締めの強い息のかかっていた地。まさに性質の悪いごろつきどもの巣窟です。女には最も危険な都。まあ、海京様は、今は頭の恋人という事になっていますから安心とは思いますが…強い者が弱い者を支配する世界。寝首かかれぬよう、大空は特にご注意下さい。二つの銅章、落としたり奪われたりせぬよう用心に用心を重ねて下さい」
九月が珍しく緊張の面持ちで忠告を発する。
「皆さん、旅は、ここからが本番です。これより先へ行く観光客は一人もいません。裏の世界の者達か、弦星の都へ向かう旅人が行くのみ。ここを抜けたら、私でもよく分からぬ謎の国――炎が待っています。皆さん、気を引き締めて参りましょう。人買いの生業を廃した事により、大空はこの都の連中からよく思われてはいないでしょう」
九月が真剣な声で忠意を促す。
「どうやら…そうらしい。ここはおれ達にとって一番安全じゃねえ都か。こりゃ相当やりがいありそうだなぁ」
心なしか大空がどこか楽しそうに呟き、周囲の森の茂みに警戒の意識を向けている。
大高も荻も感じとる。隣で大鷹がゆっくり腕を上げ、背中の大刀に手を伸ばす。
「よせよ、大鷹。まだ暴れるな。まだだ」
荻も大鷹もさすがの九月も、驚き、一瞬、足を止めたように見えた。大高には大いに理解できる驚き。
大空は一度も後ろを見る事なく今の言葉を発したのだ。
「何で…分かったよ~?空。おまえ何なんだあ~?」
「はっは…凄い師匠達のお陰だぜ。大鷹、おまえはもう少し殺気を落とせ」
相変わらず振り向きもせず笑って答える大空。
大高は思う。大空なら、故郷の将軍どころではない。世界中の王族や高官、貴族達、果ては山賊の頭までもが護衛に欲しがり大金を積み、側にと請われる事だろう。
大空が小さな器の男でなくて良かったと、今、改めて本気で思う。敵ではなく仲間で良かったと。善良な心ざしを持つ優しい男で良かったと、本気で思い、安堵した。それ程に大空の武の腕、頭の切れは、ずば抜けたものがあったのだ。
全ては、何かの使命の為。そうして培われた高い技術、能力だろう。大空の父や兄達、里の仲間達も皆、同じ腕、能力を持つ者達だろう。
『お前さんより重いもん背負って歩いとる。おくびにも出さんと平然とな…』
大空はその肩に何を背負って歩いているのか。平然と何事もない顔をして、今、この道を弦星に向かって。
父や兄達、仲間達の魂を故郷へ連れ帰る為と大空は明かしてくれたが、本当に、それだけだろうか。
荻は、海京は、そして、大高自身は──なぜ、弦星を目指すのか、分かったようでいてまた分からなくなる。
謎多いままの一行は、真夏の森の木陰を進む。
どんなに準備していても、ことは時に突然起こり対処しきれない時がある。それがこの旅の特徴となりつつあった。それは、夢蘭の都に入り、三つ目の廃村に達した時―――。
「海京!こっちだ!来いっ!」
大空が突然叫び、海京を抱き上げ、宙を舞った──直後、大量の矢が一行に向かって降り注ぐ。
「大鷹ー!暴れていいぞーっ!存分にやれ――!」
「おお~~っ!!」
思わぬ攻撃と大空の声に大鷹が反射的に叫びながら大刀を抜いて走り出す。
「大空!?元締め!どこです!?」
九月が剣を振り、矢を弾きながら大声で呼んで辺りを見回す。
「おい!空――?どこだ?!あいつどこ行った――?」
荻も叫んだ直後、荒れ果てた民家の窓から男が一人飛び出した。大高に向かって剣を突き出す。避けながら男の手を掴み、地面に叩きつけて気絶させた。その手から剣を奪い、振り向きざま、背後から飛びかかって来た男二人を一振りで一気に斬り捨てた。
軽く丈夫で質の良い上等な剣を手にしていた。
それにより、思う存分、剣術を発揮できるようになる。戦場にいた頃と同じ動きがとれるようになった。
九月達は、剣や刀で賊を討ち、消えた二人を必死になって探していた。
大高も賊を討ちながら二人を探す。
「海京!空ー!!どこだー!」
大声で呼び続けるも森から廃屋から次々と現れるあまりの数の賊に押され、四人はあっという間に追い詰められた。
四人は、崖っぷちの大きな木々を背に賊達と対峙することになった。
「何なんだ、この数はー!?あの二人はどこ行った!?連れ去られたのか!」
荻が何とか抗戦しつつ叫ぶ。
「代理も護衛も皆殺しだー!一人残らず、皆討て――っ!!」
賊の一人が仲間に叫んだ。
「まずいですね…。彼ら、私達を頭一行と分かっていながら討つ気です!」
九月が賊の一人をどうにか討ちとり大声で叫ぶ。
「ちきしょお~っ!空は、どうなったんだあ~!?」
大鷹が大刀を振りながら叫ぶ。倒しても倒してもきりがない。さすがの大鷹も苦戦していた。
「ちきしょ〜〜っ!空――っ!どこ行ったんだ~!!無事かあ〜~っ?!」
大鷹が一際大きく叫ぶ。
抗戦しながら大高も必死に二人を探すが、姿はどこにも見当たらない。どこからも声さえ聞こえない。荻の言う通り二人は連れ去られたのかと焦る。海京の安否を思い、生きた心地がしなかった。早くこの場を抜け、一刻も早く二人を探しに行きたかった。賊は尚も増え続け、数が減る気配を一向に見せない。
押し寄せる賊達を前に、大高は初めて死を覚悟した。戦場にいた頃の精鋭部隊は、ここには今は一人もいない。
圧倒的な数に圧され、大木を背に動けなくなる。
死を意識した瞬間、突如、目の前に空から一陣の風が吹き降りた。眼前に爽快に翻る──空の色が一瞬──。
目に爽やかな残像を残し、風は瞬時に賊達の群れに消え去り直後、光が走る。悪意にまみれた人の波間を一閃の煌めきが流れ始める。
見えているのは、不思議なほどに美しい蛍の飛翔を思わせる残光。
鮮烈な蛍火の残光は、ただ静かに美しい煌めきを残し続け、やがて突然、先頭の賊達が一斉に固まる。
驚きの目が、宙に向けられ止まったまま、数十人の賊達が一気にその場に崩れ落ちた。
「お、おいっ!?何だ…どうした!」
闘っていた仲間達が目の前で突然固まり、一瞬の間を置いて倒れる様子に賊達がざわめき叫んだ直後、彼らもまた動きを止めた。
剣を振り上げ、目を見開いたまま宙を見つめて動かない。その背後で、煌めきは光を残しながら変わらず優雅に流れ続ける。美しい光の絵を描くように、群れの中、光の残像を残して動く。
驚き叫んだ男がまた、いきなり驚愕の目で固まる。男はゆっくり体を傾け、数十人の賊達が、一斉に声もなく崩れ落ちた。
それは、静かに引きゆく波のよう。四人から遠く離れながら、静かに確実に沈みゆく。無言で驚き、目を見開き、賊達は次々と地面に沈み、抵抗もできず息絶える。
やがて、誰の目にも明らかに、煌めきと共に軽やかに翻る空色の衣が見え始めた。
悪意に満ちた群れの中、大空が一人、流れるように美しく優雅な動きを見せていた。まるで舞でも舞うように、美しく速く無駄のない動き。
正確に一人も討ちもらす事なく賊達の間を擦り抜ける。剣がどんな風に動くのか、太刀筋がまるで見えなかった。
大空が動く度、光が煌めきの流れを残し、蛍火の飛翔を美しく生み出す。
美しい光の飛翔は、あっという間に地上に無数の屍を生み出し、やがて、光が静かに動きを止めた。
百人近い賊の群れが、ほんの数回の瞬きの間に、全員、見事に討ちとられていた。
見慣れたはずの光景ながらいつ見ても驚くことがある。どの死体も、ほとんど血を流していない。やはり、驚きを隠せない。
唖然と立ち尽くす四人の男達に背を向けて、無数の屍の中、一人、悠々と立つ大空。
それも束の間。大空は振り向き、四人に向かって駆けて来る。地面に手を着き、何度も体を捻りながら宙を舞い、風のように軽やかに屍の間を飛んでくる。
「何してやがる!ぼーっとしてんじゃねえ!これで終わりじゃねえぞー!」
四人の眼前で身を翻し背を向けながら剣を振った。
「まだまだいるぞー!動け、皆!ここを離れろ!!」
大空が剣で矢を弾くのを見た瞬間、反射的に体が動く。走り来る襲撃者を寸前で迎え討ち一気に五人斬り倒した。
「右から動く!右は任せろ!!おまえら全員、左から来い!」
剣を収め、背中の弓を外しながら大空が目の前を走り抜ける。
言われた通り向きを変え、左からの襲撃者に剣を向ける。荻達も同じく体を向け、剣と刀でひたすら応戦し続けた。
何とか襲撃者を半分近く倒した頃、目の前の賊達がいきなり数人、まとめて吹っ飛ぶように横倒しに、突然、視界から消え去った。それを合図に、次々と勢いよく吹き飛ぶ賊達。
右側の賊を制し、大空が四人の援護を始めたのだった。一人も討ちもらすことなく正確に射続ける矢の攻撃。賊達は怯み、恐怖と焦りで圧倒され、襲撃の輪が乱れ始めた。
大空の弓に護られながら必死で抗戦し続けた。どれほどの抗戦が続いたのか、やがてようやく、全ての襲撃者を討ちとった。
夥しい屍の中、大地に何とか立っているのは、五人の男達だけだった。
大鷹と荻、九月の三人は苦しそうに息を切らし、肩を上下させながらその場に呆然と立ち尽くす。息も乱れず立っているのは、大高と大空だけだった。
戦場での激しい戦闘に慣れている大高。無駄に動かず体力があり、戦闘技術に長けた大空。それでも明らかに大空は、誰をも上回る武の腕で四人の倍は動いていた。
何度も見た山賊との交戦は、大空にとっては何でもない事だったと改めて知る。だが、大空はこれでもまだ、実力を出しきっていないように思えた。それほどまでの武の腕だった。
大空以外、四人の男達は皆、横たわる屍を放心したように見回した後、大空をまじまじと見てしまう。
大空がこの視線に気づく。
「おい…おまえら平気か?それ、おまえらの血か?どこか怪我したのかよ?」
問われて皆、改めて互いの姿を見合う。
衣服は破れ、武器も血まみれ、顔も手も土埃と血飛沫で、それはひどい有り様だった。
四人はぼろぼろになった互いの姿を繁々と見合い、ほぼ同時に、大空へと放心の目を向けた。
涼しげな顔で立つその姿は、一人だけ戦闘を免れた人であるかの如く何事もない清潔さで、血飛沫も土埃も浴びていない、普段通りの大空だった。
「何だよ、お前…。どうなんだ、それ。本当に毎回…一滴も血を…浴びてねえな。何度見ても、慣れねえな。慣れねえよ。あり得ねえ、お前……」
荻が四人を代表して唖然と呟く。
「あなた、本当に…凄すぎです……」
九月が初めて見た予想を超えた頭の凄さに、唖然となって首を振り、驚きの声をもらしていた。
「よお~!空〜。どこにいたよお~?連れてかれたのかと心配したぞ~!」
大空の様子にすっかり慣れきり、大鷹だけは二人と違う言葉をかけた。
「ああ。それだがよ…高、ちょっと待ってろ。今、連れてきてやる」
大鷹に続いて聞くより早く、大空が大高に告げてきた。そのまま返事を聞くことなく四人に背を向け、側の大木に向かって走る。数歩で幹を駆け上がり、近くの枝に手をかけてすぐ、幹を掴んで枝に乗る。器用に枝に飛び移りながら大空は見る間に数百歩程の高さに登り、やっとそこで動きを止めた。
大空が枝上から笑顔で男達を見下ろす。
「大空。何でそんな所にいる?どこ行くんだ?」
「おう。ちょっと待ってろ、高。おまえの心配の種、この上にいる。今、連れてきてやるからよ」
なぜ木に登るのか問う大高に大空は変わらず枝の上からよく分からない答えを返す。
「どこに、いるって…?何してる大空?どこに行く?」
今にも消え去りそうな大空に急いで尋ねる。
「おい!だからお前は、どこにいた?どこ行く気だ?お前一体、どこから俺達の前に現れた!?お…前……まさか――」
荻が大空を見上げたまま、ぽかんと口を開けて固まった。
「ああ、それだがなあ…ちょっと距離があったからよー、さすがに戻るの時間かかった。遅くなってすまなかった。海京この上にいるからよ。ちょっと待ってろ。今、連れて来る」
「お、おい……待て…おい!」
荻が次の言葉を告げる前に大空は枝上から姿を消した。飛びながら枝を渡り進み、どんどん上へ登ってゆき、あっという間に見えなくなった。
「……何…ですの…?あれは…。私の新しい頭、本当に…相当な人物のようですね。武器を身に着けてあの身軽さ。普通、あんなナリで木など登れませんよ。一体どういう身体能力…ですか!?」
九月は、見るもの全てに面食らった様子で、もはや溜め息を通り越し、感嘆の息をもらしていた。その驚きは、さすがに自分も同じだった。
「それにしても本当に…一滴も血飛沫を、浴びていない…。あの剣さばき、動きも弓も…普通じゃない。″おふれ書″通り…いいえ、それ以上の腕です!武の腕、まさに天下一。あの腕、超える者いますか!?」
「あの腕超える奴~?いるわけねえよ~。いたらちょっと凄すぎだあ~」
大鷹が頭を掻きながら九月の独り言に思わず答える。
「そんな奴いたら会いてえな。俺は迷わず弟子になる!」
荻が怒って告げていた。
「何だよ~。じゃあ〜、空の弟子になりゃいいじゃねえかあ~」
大鷹が、空気の読めない一言を発した。
「馬鹿っ言ってんじゃ、ねえー!冗談じゃ、ねえぞ!この、あほ鷹がー!!あほは、てめえの面だけにしとけー!!」
「ひえ~!何だよ~?何でそんなに怒る~?」
荻の本気の怒りに大鷹は巨体を縮こませた。
「あの人に、弟子…ですか。とれますか…ねえ。弟子なんて…」
九月が苦笑で呟く。大いに納得の苦笑と呟き。
「あの武の腕を伝授しないのは惜しいけど、あの腕を受け継げる人…中々いない、だろうなあ。九月の言う通り、空は師匠には向いてない。あの破天荒さについて行ける人は少ないよ。弟子は一日で根をあげるだろう。弟子泣かせの師になるな」
「その通りですね。やる事いつも派手過ぎです。豪快過ぎて、とてもとても、師匠の枠には収まりませんよ。あのまま年をとられたら、あの方さぞかし困った年寄りになるでしょうね。弟子でそれなら、あの方…どんな方を嫁にもらうのやら…興味、ありますねえ」
九月の発言に皆、途端に乾いた苦笑をもらしていた。
大空もいつか妻を娶る日が来る。何とも想像し難い不思議な話に思えた。
「嫁え…空の…嫁ぇ~…?」
大鷹が首を捻り、何とか想像しようとしていた。
「あいつの嫁に、なる女ぁー??変わり者じゃなきゃ無理だろうな。普通の女じゃ絶対無理だ。あんなの毎日相手できるか。繊細な女もまず無理だ。豪快な女も、合わねえな。何だな…興味あるぜ」
荻が発言通り興味津々の顔で腕を組む。
「見てみてえな~。空の…女かあ~。興味ある~」
荻や大鷹の意見に心から大いに賛同した。
「本当に、興味あるな。空は一体、どんな人を好きになるんだろう」
四人の男達が黙り込む。
全ては、生きて帰れたらの話だと、誰もが瞬間、心で思った。
やがて、一人で上がった時とは違い、枝葉を揺らす音と共に、大空が海京を連れて降りてくる気配。
次の瞬間、目の前に鮮やかな二つの色彩が降るように目の前に降り立った。大空はその腕に軽々と海京を抱きかかえ、難なく木から飛び降りた。
「よお。待たせたな」
海京を降ろしながら大空が大高に向かって笑い、その目をすぐに海京に向ける。
「木上の眺めはどうだった?いい眺めだったか?風が冷たくなかったか?平気か?」
「大丈夫。いい眺めだった。楽しかった。もう二度とない経験。風が気持ち良かった」
「そうか。そりゃ良かった」
楽しそうな二人を見て聞かずにはいられない質問をぶつけた。
「大空…。この木を、海京を抱き抱えて登ったのか?」
「あぁっ?何でだ?」
大空に不思議そうに問い返される。
「どうやって…登ったんです?両手塞がりますよねえ?その上、武器も身に着けて。一体、どうやって…」
九月が同じく問うていた。
「そうだぞ。人、一人抱きかかえて木なんかどうやって登るんだよ」
「おうよ~。空~。そんな事どうやったらできるんだあ~?」
荻と大鷹の疑問を聞き、大空が呆れた顔で笑う。
「何言ってるよ、そんなもん。今さら聞くまでもねえことだ。今、見てたろうがあ」
その答えは、これ以上ないくらい簡潔だったが、誰もその瞬間を見ていない。
「お前、は…分かりやすくて分かりにくい…変にもほどがあるアホ男だっ!」
荻がとうとう苛立ちの言葉を吐き捨てた。
その後、一行は一人の賊も現れぬ寂れた村や森を抜け、やがて、夢蘭の都の中心街に辿り着いた。
意外なことに寂れ果てた都外れの村とは違い、都の中心はそれなりに、ひとまず人で賑わっている。
ここもまた、他の蘭秋の都と同じく温泉の湯気で白い煙が漂っていた。だが、これまでの都とは明らかに違い、排他的な空気の漂う場所だった。
九月の言った通り、この都に観光客と呼べる者はおらず、柄の悪さはこれまで以上のものがあった。男も女も退廃的雰囲気を漂わせ、荒んだ目をして気だるそうにしているばかり。だが、一行が都入りするのを見た途端、皆、驚いた目を向けて立ち止まり、通り過ぎた後もまだ見ていた。
「無理もないです。この有り様です。私達、血みどろでひどいナリしてますよ。皆どこかで着替えを調達せばなりませんね。どうします、大空?まずはこのまま代理に顔見せに行きますか?」
「このまま行くのが妥当だな。その姿見せて、まずは代理を押さえねえとな。侮らせてなるものか。簡単に寝首はかけねえと思い知らせてやらねえとな」
大空の面白そうな響きに荻が冷たく視線を向ける。
「きれいなの、頭とその女だけだがな。連中、どう思うやらだな。奴らたまげるぞ。誰かあいつらの数、数えたか?」
荻が隣の大高達を振り返る。
「ざっと二百人はいたかなあ~?おれは数を数えるの苦手だあ~」
「それ、夢蘭の手下連中半分近く討ち落とした事になりますよ」
大鷹の答えに前を歩く九月が振り返って補足する。
「いや。三百人以上だ。二百なんてものじゃない」
戦場で瞬時に敵の数を把握する訓練を受けている大高は、三人に向かってほぼ正確な数を伝えた。
「三百人以上ー!?」
荻がさすがに驚きを隠せぬ声を出す。
「どうりで…苦戦した、筈です。手下を…半分以上討ってます!」
九月が大きく溜め息つく。
「でもよ〜、ほとんど空が~…倒したなあ~……」
大鷹が小さな声で付け足した。四人は一瞬黙り込む。
「確かに…あの方、ほぼお一人で……」
九月が放心したように呟く。
「大空一人で半数以上の賊を討った。二百人程…。おれ達は、四人でようやく残り百人程を討ったまで」
すばやく算出して教える。たった一人で、しかも僅かな間に大空はそれだけの賊を討ちとった。
四人はとうとう言葉を失い、海京と楽しそうに前を歩く大空の後ろ姿を眺めた。
「もしかして…私達、本当に……」
九月がぼそり呟く。
「ああ。生きて帰れる。そう思えてきた」
荻が九月の呟きの後を引き継ぐ。
「ああ~。帰れるかも、しれねえ~」
大鷹も嬉しそうに後を続ける。
「ああ。なれるかも、しれない…」
大高も思わず言葉にする。
「生きて帰る、最初の旅人…」
香姫の願い通り、今もって誰も生きて帰らぬ弦星の旅から、初めて生きて帰る旅人に、自分達はなれるかもしれない。
四人の心に、力強い希望の光が見え始めた―――。
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