【短編小説】頭の中の雲 #シロクマ文芸部
雲を売る男が、今日も自転車を引いて公園にやってきた。男の周りには子供たちが群がり輪を作っている。
男が目をつむると、さきほどまでじゃれ合う子犬のようにはしゃぎまわっていた子供たちがピタリと動きを止め、黙って男の顔に視線を集める。
やがて男の頭のつむじあたりから、白い蒸気がひとすじ立ち昇った。それは徐々に勢いを増し、男の頭を覆うほどの雲の塊になった。男はその塊に割りばしを差し込むと、アニメのキャラクターが描かれたカラフルな袋の中に、その雲をそっと閉じ込める。男はその袋を恭しく子供たちの前に掲げると、いつもの口上を唱え始めた。
「さあさあ、とっておきの空想だ。おいらの頭には千と一の物語が詰まってる。今日のはビルよりも大きな怪獣に食べられた、お姫様を助け出すヒーローのお話だ。お姫様は怪獣のおなかの中で生きているのか、ヒーローはビルよりも大きな怪獣をどうやって倒すのか?気になる人は、雲食べな!」
わっと歓声を上げながら、子供たちが一斉に手を伸ばす。男の自転車の荷台にくくり付けられた箱の中に小銭を落とすと、袋に群がり雲を千切って口に運んでいく。
「順番だよ、順番!押さないでね!あ、キミ、そんなにいっぱい取らない!みんな、一口ずつだよ!」
男はそんな注意をしながらも、その顔は喜びを隠せない皺くちゃの笑顔だった。
「観たことありますか?彼の雲」
「ないんですよぉ。1回観てみたいんですけど、いつも無くなっちゃうでしょ?」
「ぼく1回だけ観たことあるんですけど、すごいなぁと思いますよ。よくあんな混じり気なしの空想ができるものだなって感心してしまいました」
「ほんとですよねぇ。もし雲を出せたとしても、私だったら怖くて雲なんて人に観せられない。知らず知らず変なものが混じっちゃいそう」
隣に立つさっちゃんママは首を振りながら意味深な笑みを浮かべ、上目遣いにぼくを見た。曖昧に相槌を返しながら、目を閉じて空想に身を委ねている詩音を見つめた。詩音は眉を寄せて渋い顔をしたかと思うと、口を大きく開き体を左右に揺らす。怪獣と戦っているのかな?
真っ先に雲を食べた男の子たちがひとり、またひとりと空想の世界から帰ってきた。
「おっちゃん、最高!まさか怪獣が──」
「しーっ!まだ雲の中の子がいるから。静かに、物語の後味を味わっててね」
花が咲いたような笑みを浮かべた詩音がゆっくりと目を開けた。物語の余韻を噛みしめるように、自分の体を抱きしめるとぴょんぴょんとその場で跳ねている。
「しーちゃん」
ぼくの呼びかけに顔を上げると、ぴょーんぴょーんとウサギのように跳ねて来る。ぼくを見上げる瞳が、濡れたビー玉のようにキラキラと輝いていた。
「楽しかった?」
「……最高!わたしも雲出せたらなー。お姫様と王子様のロマンスをみんなに見せてあげたい!」
「雲は、観るのがいいんだよ。雲なんか出せても……」
良いことなんか何もない。という言葉を胸の裡にのみ込んだ。詩音は小首をかしげて「変なパパ」と友達の元に駆けていった。
詩音を寝かしつけ、リビンクのソファに体を投げ出す。丸い氷の入ったグラスにウィスキーを注ぐと、一息に飲み干した。昼間の詩音の言葉を思い出す。
「雲を出したい……か」
まれに、自分の頭の中の空想が雲になって出てきてしまう人間がいる。雲売りの男のように、純粋な空想ばかりをしている人間は、さらにまれな存在だ。ほとんどの人間は自分の頭の中を人に覗かれることを嫌い、雲が出ることを隠して生活している。かくいうぼくもそのひとりだった。
「雲さえ出なければあんなこと……」
もう、何度悔やんだか知れない後悔をぐちぐちと思い出す。忘れようと思っても忘れられない光景。瞼の裏に鮮明に焼き付いた映像が、目を閉じる度に浮かび上がってくる。グラスの氷がからりと音をたてた。
「パパ……雲出せたの?」
飛び上がるように後ろを振り向くと、ぼくの頭からもくもくと湧き出した雲の塊に詩音が手を伸ばしていた。静止する間もなく、詩音はぱくりと口の中に雲を放り込んだ。
美味しいものを食べたときの幸せそうな顔はたちまち色を変え、詩音の顔はみるみる青ざめていく。
「え……なんで……ママ……なんでお庭に……ママは、旅行にいってるんだよね?」
ぼくは無理やり笑顔を貼り付けると、頭の上に浮かんでいる雲を、手を振って散らした。
「──ママがね、早く帰ってきたらいいなぁと思ってさ、お庭から出てきたらいいなぁって思ったんだよ!」
詩音はまだ納得のいっていないような顔でぼくを見つめていたが、眠気も手伝ったのか「そうなんだ……」と呟きトイレに向かった。トイレの流れる音のあとに、子供部屋の扉が閉まる音がかすかに響いた。ぼくは長く息を吐き出すと、ソファに倒れるように座り込んだ。
まだ幼くてよかった。あいつをどこかに移さないといけない。もう、骨になっているだろうか。そもそもあいつがぼくの雲なんか食べなければ、こんなことにはならなかったのに。
気が付くと頭の上にはどんよりとした雨雲のような黒い雲が浮かんでいた。
ぼくは長く深いため息を雲に向かって吐き出した。雲は真ん中に大きな穴を開けると、ふわふわとリビンクの天井に散らばって、跡形もなく消えた。
終
せっかくのファンシーなお題を、ダークサイドに蹴り落としてしまいました。。
私の空想も、とても子供には見せられません😅
小牧幸助さまの企画 シロクマ文芸部「雲を売る」に参加させていただきました。 よろしくお願いします。
ダークサイドなお話が好きなあなたには、こちらなどいかがでしょうか?
