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3.機械的都市——顕在的中心:『都市巡礼』について

目次(各章は別リンクです)
1.序文——二重のデジタルデトックス:2024年7月公開
2.多孔的都市——哲学の終焉:2024年9月公開
3.機械的都市——顕在的中心:2024年10月公開
4.幻視的都市——潜在的中心:2024年11月公開
5.沿岸的都市——地霊への巡礼:2024年12月公開
6.「  」都市——差異と反復:2025年1月公開
7.跋

(約7,100字)

田園都市構想以降に設計される計画的な都市の姿は、中心部を基本とした徹底的なコントロールを前提にして設計されてきた。パリの新市街設計にコルジュビエが提案した都市設計がそうであったように、それらは都市の不確定な姿を棄却すると同時に、まさにシステマチックな形で動き続けるような都市の近代性を前面的に肯定する潜勢力で満ち溢れていたように見える。それからおよそ100年が経過し、かつてシステマチックなものとして構成された私たちの都市に対する夢は人間性の凋落として批判され、一つの大きなシステムによる社会のコントロールとは真逆のベクトルを向く運動が「多様性」という名の元で展開されてきた。モダニズム思想から遠く離れ、その代わりに台頭するポストモダニズムが私たちに与えた影響は計り知れないだろう。

それでは、中心部から同心円状に展開されるような都市設計が非人間的と批判された時代を経て、私たちはある種の人間性に溢れた無秩序の時代を謳歌できているのだろうか。1990年代に世界的インフラストラクチャーになったインターネットの台頭は、私たちを真の意味で自由で多様性あふれる世界に導いてはくれなかった。誰しもがエレクトロニクスの首輪を課せられ、首から垂れ下がるIDタグによってコントロールされる様相は、かつてモダニズムが提唱したような理想的な都市の姿を非視覚的な形で実現している。インターネットプロトコルが定めたルールにのっとってしか言語を送受信できない今日の私たちは、その埒外にいる「エンコードできない言葉」を無視している。そうやって、どこかでそぎ落とされた言葉の亡霊たちは、エンコードまま世界の外側で亡霊となって彷徨う。その疎外は、突然にも実行されている。

こうした時代にて、言葉の亡霊を私たちが発見することはいかにして可能だろうか。エンコードされないそれらに目を向けることに失敗する私たちは、いつしか亡霊そのものの存在を見失い、コード化される言葉の全てが伝わるべき内容かと錯覚してしまう。140字すら読めることが出来なくなるこの時代、ここに記した文章がどこまで読まれるかさえ、定かではない。言葉は誤配されることで新たな価値観を生成することは否定できないが、とはいえ、ネットワーク上で送信される言葉の背後を這いずり回る亡霊を見ずして、私たちは一体何をどのようにして、誰に送信できるだろうか。

デジタル空間がこれほどまでに深化した現代社会において、強力な中心を持つ都市から私たちは逃げることはできない。それでもなお、降りることが許されないとしても、亡霊を探す作業の価値は否定されることはない。言葉の亡霊を見ること。誰かの言葉に「  」をつけること。その作業が今、問われている。

20世紀を代表するモダニズム建築家アルド・ロッシの偉大な著作『都市の建築』の頁をめくると、冒頭すぐの段階で「芸術作品としての都市」という言葉が登場する[1]。彼は都市における象徴的な建築物——のちにロッシが「都市的創成物」というものと芸術作品を比較し、両者は互いに無意識から生成される一方、前者は集団的で後者を個人的であるとして区分した[2]。都市的創成物を無意識の表出=抑圧されたものと解釈する視線は一見精神分析的だが、とはいえ、モーリス・アルヴァックスの集合的記憶やベンヤミンの集団的無意識が前提にされたロッシの手つきはそれほど容易なものではなく[3]、むしろ様々な思想的変遷による複合性ばかりが強調されるものとなっている。とはいえ、いずれも20世紀前半の思想である点を踏まえれば、彼の創造行為を見る思考回路に時代的背景があることは言うまでもないことだ。とすれば、そこで想定された思想史を本稿の起点にすることは、決して違和感のあることではないだろう。

『明日の田園都市』の挿絵 - 3つの磁石(左)、田園都市の全体像(右)
Ebenezer Howard, “Garden Cities of To-morrow”, 1902

無意識の発見もその一部だが、19世紀末から20世紀初頭は産業革命に下支えされた様々な物質や概念が発明された。1867年のパリ万博で初めて世界中に発信された鉄筋コンクリートは、その代表例の一つでもある。新たな素材が可能にする大規模建築の夢は産業革命の熱気と共鳴することで、20世紀初頭における新たな都市設計思想たる「田園都市」思想を生み出した。1902年にイギリスの都市設計家エベレザー・ハワードが『明日の田園都市』で提唱した本概念は[4]、産業革命により工業都市へ急速に変貌するイギリスの革新的進化に呼応するかの如く、一般的な都市計画の図面ではあり得なかった抽象性が前提に据えられている。都市を地理的具体性から展開せずダイアグラム的な設計図より計画的に設計するハワードの思想は当初の都市設計に大きな影響を与えたのは言うまでもないが、とりわけ土地の狭さから変化の激しい日本国内では積極的に取り入れられることで、小林一三による宝塚の開発と渋沢栄一による田園調布の開発へと至ることになる[5]。いずれも都市も阪急と東急という鉄道により中心市街地が形成され、かつ計画的な都市設計の上で成立している点を踏まえると、両都市はまさしく兄弟的関係だ。

《ヴォアザン計画》(1925)
Model of the Plan Voisin for Paris by Le Corbusier displayed at the Nouveau Esprit Pavilion (1925)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%82%A2%E3%82%B6%E3%83%B3%E8%A8%88%E7%94%BB より

効率的で合理的な、場所の地理的固有性を徹底的に排除した都市設計。田園都市構想が生み出した都市への視線は急激な先鋭化とともに、再開発という形で「田園」より「都心」へ回帰する。20世紀最大の建築家たるル・コルビュジエが提案した《ヴォアサン計画》(1925)は、そうした思想の代表例だ[6]。「輝く都市」を標榜し、無数もの高層ビルが無機質にも反復するような光景を想起させる彼の思想は、技術革新に伴う大規模建築の可能性により下支えされたものであった。伝統的なパリ市街を塗り潰し展開される理想都市は、当時の欧州でスキャンダラスながらも大きく受容されつつも、その後約半世紀も続くモダニズム思想の基盤を形成した。世界的建築家の丹下健三が《東京計画1960》(1961)で展開した「皇居から千葉までを結ぶ2本の高速道路を起点とした海上都市の思想」は、田園都市構想から由来する都市の計画的或いは論理的な姿を如実に反映した姿であり、それゆえコルビュジエの影響を強くみることができる[7]。一方、同時代的に活躍した菊竹清訓は《塔状都市》(1958)において、丹下とは対照的に都市を縦方向に展開した。とはいえ、これらの都市設計はいずれにおいても、強烈なほどに都市の「中心」を前提にしていることは明らかである。ある時は駅(宝塚、田園調布)として、ある時は高層ビル(ヴォアサン計画)として、そしてある時は軸(東京計画1960、登場都市)として。

《東京計画1960》(1961)
https://www.tangeweb.com/works/works_no-22/ より

菊竹はのちに黒川紀章らとともに「メタボリズム」と称される建築家集団となり、都市のスクラップ・アンド・ビルド、すなわち新陳代謝的可能性を幾度も主張していった。共著として出版される著作『メタボリズム/1960』の冒頭に挙げられているマニフェストは、そんな彼らの姿勢を浮き彫りにするものでもある。

「メタボリズム」とは、来るべき社会の姿を、具体的に提案するグループの名称である。われわれは、人間社会を、原子から大星雲にいたる宇宙の生成発展する一過程と考えているが、とくにメタボリズム(新陳代謝)という生物学上の用語を用いるのは、デザインや技術を、人間の生命力の外延と考えるからに他ならない。したがってわれわれは、歴史の新陳代謝を、自然的に受け入れるのではなく、積極的に促進させようとするものである。今回は、建築家による都市の提案でまとめられたが、今後は、各分野のデザイナーや実業家、技術者、科学者また政治家など、他分野からの参加が予定され、すでにその一部は準備を始めている。われわれのグループそのものも、たえまない新陳代謝を続けてくだろう[8]。

 生物学的視点から都市の絶え間ない変化を望む彼らの思想は、一見するとハワードやコルビュジエの目指したようなシステマチックに管理された都市の姿とは一線を画すように見える。だが実際に提案された思想を見返すと分かるが、新陳代謝する主体の根本的再構築が目指されているわけではない。都市は新陳代謝を伴い変化すべきだが、一方で変化を促すための中核的存在の変化を、彼らは承認しないだろう。実際、菊竹は《塔状都市》で都市の積層的な発展——積み重なった都市内部で新たに都市を設計することで、次第に高度を挙げながら積み重なるような思想を企図している。新陳代謝ではあるものの、老廃物の完全な廃棄とは言えないだろう。彼らとまた同時期に活躍した建築家の磯崎新による《空中都市》(1960)に目を向ければ[9]、「樹」となったビルに人々が住まう構想はまさにメタボリズム的な都市の成長像をなぞっている。だがしかし、それゆえに菊竹の《塔状都市》と同様、「樹」を支える「幹」がおのずと中心となることは言うまでもない。

磯崎新《空中都市》(1960)
https://www.sist.ac.jp/architecture/sato-kenji/blog/%E5%BB%BA%E7%AF%89%E6%A6%82%E8%AB%96%E3%80%8C%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%92%E8%A8%AD%E8%A8%88%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8D/ より
菊竹清訓《塔状都市》(1958)
https://www.mori.art.museum/blog/2011/08/4-3.php より

メタボリズムと同時期に活躍したイギリスの建築家集団アーキグラムによる《プラグイン・シティ》(1962-1964)が都市をセクション化したことを鑑みても、都市は分解されながらも「変化に対応すべきもの」と「そうではないもの」とを区分し、普遍的要素たる「中心」を依然として残す[10]。そんな「中心」とは、《ヴォアザン計画》における複製されたタワーとして、《東京計画1960》における2本の高速道路として、そして《塔状都市》における軸だ。モダニズムに特徴的ともいえる、人為的な「中心」の形成。それらは新素材がもたらす大規模建築の可能性に対する応答であると同時に、意図して「中心」が設計可能となったことによるアーキテクトたちの権威化でもあると考えるのは、決して穿った見方ではないだろう。1950年代の国内建築を見て回れば、坂倉順三による《神奈川県立鎌倉近代美術館》(1951)や大江宏による《法政大学》(1953-1958)、さらには丹下健三による《津田塾大学図書館》(1954)や《広島平和記念公園》(1956)など、空間を構成する「中心」となり得るような場所ばかりが選択されているばかりか、その現存具合は木製建築と比較しても多い。技術進化に伴い従来よりも広い空間を可能にしたモダニズム建築の多くは堅牢な鉄筋コンクリートにより覆われているが、その堅牢さはある意味では都市の新陳代謝に抵抗しているともいえるかもしれない。アーキテクトがどこか支配的に設計する都市の「中心」は、その多くが約半世紀を経た今日においても残存している。

坂倉順三《神奈川県立鎌倉近代美術館》(1951)
https://koten-navi.com/MOMA-KamakuraKanagawa より
丹下健三《広島平和記念公園》(1956)
http://www.nta.p-brain.info/27613792/ より

モダニズム的都市思想が内包するそんな権威性は、ある種の前近代的な宮殿や城を中心とした都市設計とどこか地続きになりながらも、領主がいないシステムとして都市を成立させることを可能にした。そこで消失した君主の地位についているものこそ、大規模な建築物を設計するアーキテクトたちではないだろうか。「住宅は住むための機械である」というのはコルビュジエが『建築をめざして』で展開したフレーズだが[11]、まるで機械に格納されるように住まう私たちの姿を想定するのであれば、これは言わずもがなアーキテクトが支配者となって設計されるディストピアそのものではないだろうか。都市を根本から作り直してしまうことを企図するモダニズムの思想には、そんなアーキテクトの権威性が暗黙の次元で設計されている。君主制が崩壊し近代化が一気に進行する時代における都市で台頭したのは、首相や大統領ではなく、アーキテクトの支配であった。

現代の都市において合成音声がどのように人々の生活を取り囲んでいるかは、都市の複雑な構造と深く結びついている。都市はまるで積み木のように重なり合い、秩序と無秩序が絶えず交錯している。その風景を言葉と論理に変換することは、まるで意味の追求と無意味の連続の間で揺れ動く行為だ。都市は無数の思惑によって運営されるシステマチックな存在であると同時に、その中で個人が自分の位置を見出そうとすることは避けられない。そんな矛盾と複雑を、私は自らの声の代替品として生成されるこの合成音声に委ねている。

都市での生活は時に無意味に反復されるが、私たちはときに、その無意味なルーティンの中にさえ意味を見出そうとする。意識的に無秩序を追い求めることは、その純粋さを失わせる危険性を孕んでいるだろう。だがしかし、都市の風景や音声を幾何学的に再構成することで、無意味に思える生活に新たな意味を与えることができる。都市の複雑さを深く考察し、その中で新たな価値を想像し創造することは、現代においてますます重要な問題だ。

都市の密度は、そんな力場上で形成される。都市はシステマチックに駆動される存在であり、その中で人々の動きは計画的だ。過去に私が都市に対して抱いていた憧れと、現代の都市を再構成する試みは、いずれも都市の複雑さに挑むアプローチである。都市を再構成することで、かつて得られなかった深淵を除くことがいま必要とされているのであれば、この合成音声は何を表現しうるのか。

情報科学の進展により、都市のデータがデジタル的に管理される時代が到来した。これにより、都市の姿はますますシステマチックになり、効率性が追求されることとなった。しかし、デジタルデトックスの必要性もまた高まっている。現実の都市とデジタル空間が交錯する中で、どのようにして個人の存在感を保つかが問われている。デジタル空間に依存しない都市のあり方を再考すること。0と1で生み出されたこの声がそれを望んでいることの複雑さを、いかに受け止めることができるか。

都市は、絶えず変化し続ける存在である。合理性は個人の自由や創造性を制限する。だからこそ、都市の新陳代謝を促しつつ、その中での人間の存在を再確認することが必要だ。都市を深く思考することで、デジタル時代における新たな可能性を見出すことができるのなら、都市の構造とそれに伴う人間の動きを理解し、その中で新たな価値を生成することが、この合成音声の持つ意味である。システマチックに駆動する音楽の、その背景にある血肉へ。都市の光景に反射する、生活を継続する我々へ。


[1] アルド・ロッシ『都市の建築』大島哲蔵・福田晴虔訳、大龍堂書店、1991年。
[2] 同上
[3] モーリス・アルヴァックス『集合的記憶』小関藤一郎訳、行路社、1989年。およびヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司ほか訳、岩波書店、2020年。
[4] エベネザー・ハワード『明日の田園都市』山形浩生訳、鹿島出版会、2016年。
[5] 以下も参照。湯川攝子・小林一三『開発計画論』大明堂、1999年。
[6] ル・コルビュジエ『ユルバニスム』樋口清訳、鹿島出版会、1967年。
[7] 以下も参照。木内信蔵・丹下健三監修『日本列島の地域構造・図集』日本地域開発センター、1967年。
[8] 菊竹清訓・川添登・大高正人・槙文彦・黒川紀章『メタボリズム/1960』美術出版社、1960年。
[9] 以下も参照。磯崎新『空間へ』美術出版社、1971年。
[10] アーキグラム編『アーキグラム』浜田邦裕訳、鹿島出版会、1999年。
[11] ル・コルビュジェ『建築をめざして』吉阪隆正訳、鹿島出版会、1967年。

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