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5.沿岸的都市——地霊への巡礼:『都市巡礼』について

目次(各章は別リンクです)
1.序文——二重のデジタルデトックス:2024年7月公開
2.多孔的都市——哲学の終焉:2024年9月公開
3.機械的都市——顕在的中心:2024年10月公開
4.芸術的都市——潜在的中心:2024年12月公開
5.沿岸的都市——地霊への巡礼:2025年6月公開
6.「  」都市——差異と反復:2025年2月公開
7.跋

広島から東海道新幹線に乗ると、都市間の距離の問題を超え、全ての空間が同一線上の都市として認識されていることを痛感する。デジタル空間と現実の都市空間との境界線が失われ続ける現代都市の様相を以前に「芸術的都市」と形容したことがあるが、私たちの無意識が表面的へせり出し続ける状況を無意識の露出=芸術と捉えた建築家アルド・ロッシの言葉をパラフレーズして提示した本概念に対し、現実の都市空間によりコミットすることはそのアンチテーゼとしての可能性を秘めているだろう。都市に向かい、都市空間をフィールドとして調査することの意義はそこにあるのは恐らく言うまでもないのだろうが、しかしながら、僅か数時間で都市をネットワークとして接続するこの空間は、果たしてシステムの外側なのだろうか。車内に必ず設置されたデジタルスクリーンと、道中必ず目に入るスマートフォンの画面は、私にそんな憂慮を誘惑させる。

この都市において、もはやデジタルデトックスは不可能だ。私たちは常に誰かと繋がっているし、誰かと繋がることを要求される。数年前に目にした芸術作品、そこに込められた「新しい孤独」というメッセージが頭の中に浮かぶが、強制同期から自己を切除できない時代において、そんな「孤独」は大いに有用だ。とはいえ、問題はきっと「孤独」の程度である。私たちは過剰に繋がり過ぎてもいけないし、誰とも繋がらないこともできないのだから。私がしきりに参照した「海辺」の概念は、そうした中途半端な環境を肯定するための前線基地たる役目を内包したものである。

集合性の象徴として参照され続けた海は、主体の一切の固有性を承認しない。それゆえ、それらはただひたすらに「没固有」である。しかしながら、あらゆる固有性が否定され、ただシステマチックに駆動する都市それ自体も、ある種「没固有」だ。圧死された主体性がこの都市の地下茎として存在しているだけの様相は、高くそびえたつ都市の光景とは裏腹に私たちの没固有性を提示する。それは互いに固有性を承認しない点において、海とは真逆のように見えて同質だ。これを「鉄の砂漠」と称することはできるだろうか。

主体性の消失としての海への回帰と、承認されない主体性を地下茎に追いやる砂漠。両者がいずれも芸術的都市の台頭により出現するなら、この両者でもない都市空間を思考せねばならない。誰かを「 」で囲い、私たちの眼前に出現させることは、地下茎で蹲る物を救出する方策なのだ。

デジタル空間で隷属と従属を同時に享受する私たちは一方でシステムに従順でありながら、他方でシステムが提供する快楽によってどんどん感性的になってゆく。SNS上で誤配を繰り返す私たちが様々な方向で巻き起こすサイバーカスケードが現実の都市に大きな影響を与えていることは、もはや言うまでもないことだろう。ポストモダニズム=脱システム的運動の水面下でモダニズム=システム的社会が今日到来しているこの状況下に、システマチックな側面を無批判的に享受することはすなわち、主体の消失をも意味しかねない。

主体的な自我の放棄によって集合的なものを志向するというこうした願望は、精神分析家サンドール・フェレンツィにおいて「海」への回帰と解釈されたものだ。個体発生と集合的なものとの関係性を論じた彼の論考『生気論の試み(通称「タラッサ」)』では、ギリシャ神話上における海の女神たるタラッサへの欲望を精神分析的に解釈しつつ、「子宮」と「海」をアナロジックにとらえることで、生殖行為とは集合的なものとしての「海」への回帰欲望(=タラッサ的退行)であることが主張される[1]。一方、分析心理学者エーリッヒ・ノイマンは著書『意識の起源史』にて、太古の民族から継承されてきた神話や象徴を比較収集することで、そこに描かれる象徴的母親が「主体に豊潤さを与える」面と「主体を自身の母胎に閉じ込め自律を阻害する」面があることを指摘した[2]。彼の主張は母親を始原の象徴たる「海」として認識するフェレンツィとどこか共鳴するが、しかしながら、彼は同時に「海」への回帰願望による自我形成阻害に抗する存在として、「無意識的・本能的行動の代わりに自覚的行為を置くことによって、意識を無意識に対して区切る」作用を持つ象徴的父親にも着目する[3]。「海」から形成されると同時に「海」に主体が飲み込まれないような、絶妙な距離感によって確立されるものとしての「自我」。こうした距離感は、自我が集合体に埋没しきる=海に投身することを否定し、海から僅かに離れた距離感、いわば「海辺」にいることを肯定しているように思える。海に埋没してしまうことは、自我の完全な消去であり、死であるからだ。

スクリーンに溢れた多孔的都市が生成する、都市そのものの美化・感性化。それらに巻き込まれる今日の我々は、およそ海へと徐々に埋没してゆく過程であるのかもしれない。足元が海と同化しているような今日の状況にて、とはいえ、我々はそこから完全に逃れることはできないだろう。インターネットがインフラストラクチャーと化した今日において、我々は無視できないほどには電子回路に依存しきっているからだ。機械状隷属と社会的服従の交差点に位置する今日の私たちは一方で主体の意思決定能力≒自我を絶えず消失し続け、海中深くへとどんどん潜伏化してゆく過程にいながら、先鋭化された「あなたへのおすすめ」により、同時に誰かと共感する能力をも欠いている——すなわち「繋がっているのに孤独」である。海中と地上という極端な二方向への作用により急激に引き裂かれる自我を守るための一つの思考回路を、先に筆者は両義的なアナロジーに見出そうとした。どちら側にも立たないその姿勢はまた、海で水死体となることでも、水辺無き地上で干乾びてしまうことでもない可能性である。換言すれば、これは主体が消滅する海中都市でも、誰とも共感できない世界を俎上に据える陸上都市でもない、海と陸の狭間なのだ。そこにあるのは、すなわち第三の選択肢としての「沿岸的都市」と形容しうるものだろう。

個人でも非個人でもない、どこか形容しえない要素を内包したものとしての沿岸的都市可能性。清家がスクリーンの氾濫を美化・感性化と称し、主体のある意味における非理性化が今日の都市において大規模に出現していると考えたのなら、それはロッシがかつて指摘した「芸術としての都市」の、大規模な前景化ではないだろうか。抑圧を受けてもなお表出する精神分析的な集団的無意識が「芸術としての都市」であるなら、スクリーンに欲望を搔き立てられ続ける今日の私たちが構成する都市は、まさに「芸術的都市」とでも形容しようものだ。沿岸的都市は、この芸術的都市に対抗するための思考回路であり、どちら側にもつかないアナロジーによる自己防衛、それによる中動態の模索だ。

アルド・ロッシ《モデナの墓地》https://www.10plus1.jp/monthly/2014/06/-05.php より

その可能性を、建築家アルド・ロッシに見出すことはできるだろうか。1965年のイタリアで設置された《セグラーテ市庁舎広場と記念噴水》や1989年に福岡で建築された《イル・パラッツォ》に代表されるように、ロッシの建築はコンクリートの無機質性に媒介される形で、どこか死を連想される建築物として受容されてきたのが特徴だ。前者は持ち上げられて横にされた正三角柱とそれを支える階段という極めて限定化された構成物がコンクリートで構成され、最小限の物質での構成と極限まで控えられた「装飾」はイタリアの広場として連想される活気や華やかさの想起を一切否定する。「死」を連想させるモニュメント的性質を強く内包するロッシの建築はそれゆえ、1971年に設計競技で一位を獲得しそれから15年もの年月を経て完成させられた《モデナ墓地》(1981)でひときわ印象的だ。反復される無数もの板状になった列柱や規則的に繰り返される正方形の窓はここでもなお、静謐な空間を生み出すのに大きく貢献している。居住空間ではないことが前提にされた本建築はそれゆえ、造形としての高度な抽象性を獲得することに成功するだけでなく、死という抽象的なテーマにも見事に迎合する形となっている。モダニズム的物質性に支配され、無機質かつ意味へ消極的な建築様式は、システムに抵抗して建築としての固有性を重視したポストモダニズム建築と、どこか対立もする。そんな死の匂いがする建築はまた、主体が消失する海のアナロジーとしても解釈する余白を残している。


《パラッツォ・デラ・ラジョーネ》https://www.10plus1.jp/monthly/2014/06/-05.php より

死を想起させる様式、技術として出力される彼の作品は今日において、多孔的都市空間に点在するスクリーンを経由して主体性を失い続けるような、今日の無機質的な私たちの姿に大きな示唆を与えてくる。その姿勢は、『都市の建築』における重要概念の一つである「類型」という言葉にも表出しているだろう。1960年代のイタリアは都市の要素たる建物の空間構成やその集合の状態を構造的に解明しようとする「建築類型学」という研究手法が徐々に形成されつつある時代であった[4]。どこか構造主義的な、さらに言えばシステマチックな空気感を帯びる本概念を参照するロッシは集合住宅の「類型」を「古代から現代まで全く変わることがなかった」と述べており、ここから都市が普遍的構造によって通底していること、またその手法によって都市をシステマチックに分析しようとすることが読み取れる。そんな「類型」は、モダニズムが帯びていた非人間性と、どこか共鳴もするだろう。ところが、ロッシは決してこうしたモダニズム的思考回路で議論を終止させるわけではなく、むしろシステマチックなものとして解釈することで漏れ落ちてしまうような、都市の固有性に光を当てた。彼の主要概念たる「都市的創成物」は、こうした類型的明快さに基づくモダニズム的都市思想とそれでもなお消失しない都市の固有性とを包含する概念として、あるいは「形態は機能に従う」というこれまでの近代建築におけるテーゼを逆転させるため、生み出されたものだからだ。13世紀にイタリアのパドヴァで建造された《パラッツォ・デッラ・ラジオーネ》を例に挙げるロッシは、それが当初は行政府の施設として建築され、その後竜巻によって建築物が破壊されながらも、商業施設や展示スペースなど変化しつつ800年も使用されてきた。そんな経緯をもとに、使用用途すなわち機能を優先し設計された形式の集積体として都市が形成されると解釈されていた従来的都市論に抵抗するような、形式による都市の創成を指摘する。機能が時代を経て全く異なるものとして機能してもなお、存在し続けるような都市の構成物、これを彼は「都市的創成物」という。そんな創成物は都市を構成する主体同士の間でモニュメント的な役目を担うことで、集合的な記憶を把持するためのツールとして作用する。

何かの価値や機能が当初の形をとどめているかと思えば、その他のものは完全に変わってしまっているとか、形態のある様相については様式を確かめることが出来ても、他はそれとは程遠い幻のようなものであるという、そうしたなかで、我々はそこに遺るかぎりの価値に思いを致し、そして気づかずにはいられないのだが、たといこれらの価値がみな等しくその素材と結びついているにせよ、またこれらがこの問題にまつわる唯一の経験的データであるにせよ、どうしても私たちは精神的価値の方に気を取られてしまうということだ。こうした点にまで至れば、そこで論じられるべきは、我々がこの建物について抱く疑念、この建物にまつわるより一般的な意味での記憶、それも集団により創成されてきた記憶といった事柄となろう。また私たちが有する集団との関わり、すなわちその建物を媒介として有することとなる関わりが問題となるはずである[5]。

システマチックな都市計画においては障害ともなり得るような、モニュメントとしての都市的創成物。ロッシはメモリー・スタディーズを編み込みながら、これを都市における集合的記憶の構成物だと主張した。集合体が無意識の裡に共有してきたイメージを表象するものとしての都市的創成物というものがあるのなら、これはまたベンヤミンがパリのパサージュを通して見出したアルカイックなものであるだろう[6]。都市の固有性を把持したまま、集合的なものを維持すること。800年に渡り空間を支配するパラッツォ・デッラ・ラジオーネの特異性。哲学者の田中純は場所の特異性に関するこうした議論を、鈴木博之による「地霊=ゲニウス・ロキ」論へと接続する。

鈴木は地霊の概念のなかに、単なる土地の物理的形状に由来する可能性だけでなく、その文化的・歴史的・社会的背景と性格を読み解く鍵を見出そうとする。それは「目に見えない潜在的構造を解読しようとする先鋭的な概念」であり、この概念を通して土地は一つのテクストと見なされるのだ[7]。

 地霊は鈴木を通して、定点として定められるある土地に関与する人物たちの伝記から構成される近代史の様相を帯びる。こうした土地を中心とした人々の痕跡の集積所が土地となるのであれば、それはロッシが都市におけるある種の「場」ともどこか近いかもしれない。それは固有な誰かの痕跡としての伝記の集合体であるがゆえに個別の経験である一方で、共有された「場」の上に成立している。

ロッシはかつて「特異なしかし普遍的な関係が、ある特定の敷地とその場所に立地する建築物との間に見られる」と言った[8]。都市を類型的に分析する姿勢に影響を受けつつも他方で地霊を求めるその両義的姿勢は、近代建築があまりに「場」に対し無関心であったことに起因しているだろう。かつてコルビュジエは「均質空間はあらゆる場所に現れうる」といい、また「場所の特性には左右されない」建築を志した。都市設計における地霊の軽視は、コルビュジエを継承するメタボリズムやアーキグラムにおいても共有されている問題意識であり、そんな問題を継承するロッシの姿勢は、モダニズムの否定とも言いうる姿勢をも内包している。

そんな彼の姿勢は、無数ものスクリーンを経由し均質的デジタル空間から美的、感性的になる私たちに対し、いかなる示唆を提供してくれるだろうか。システムがモダニズムと結節するような中心構造の上で生活する私たちがもはやその中心から永遠に逃避することを許さず、もはや海中にも陸上でも許されない私たちの生存は、集合的でありながらも個人を維持できるような、完全に管理され尽くされていないような中心点への思考によって、辛うじて残るのではないだろうか。沿岸都市を思考する回路はそんな創成物に対する思考、すなわち人工物でありながらも制御から逸脱するような都市の創成物、或いは「地霊」において可能になるのではないだろうか。都市を巡礼することの本質は、地霊を探すこと、つまり「幽霊」を探すことである。

巡礼を続ける私は都市から疎外され、機械がもたらす鉄の砂漠の上で常に孤独に晒されている。それでもなお、意義を見出されなかったものたちが形成する瓦礫の海より「  」を問う価値は何か。

今日も日が昇ること、そして明日も日が昇ること。それ自体は自然現象に過ぎないが、私たちはそこに意味を見出して生きようとする。しかし、その日常が何らかの要因で失われたとき、人間は思考の起点を見失う。機械が駆動し、大規模な芸術化が進行するこの都市の現在は、まさにそうした状態ではなかろうか。システム化されたこの都市において、一体日々のどれだけに特異的な価値を見出せるのだろう。日付や数字はあるが、実感としての区別は曖昧である。原因のひとつは、生活のサイクルが機械化されすぎている点ににあろうか。機械は同じ動作を寸分違わず繰り返すからだ。人間のような曖昧さや余白が、そこにはない。その中で暮らすことで、人間側の感覚もまた、徐々に平坦になっていく。

私たちは便利さのために機械を受け入れてきたが、同時に感覚や言語の繊細さを置き去りにしてきたのではないか。情報が最適化され、感情が数値化される社会において、「人間らしさ」とは何を意味するのか。この問いに明確な答えを持っている人は少ない。だからこそ、私は考え続けるしかない。日常の中に埋もれた問いを拾い上げながら。

私はこの機械を、或いは鉄の砂漠を外から眺めようとする。それは私を孤独にするだろうが、それでもなお、機械が言語を侵食し「  」を崩壊させる現象への逃走線となる思考回路へと、それがなりうると信じている。それは効率的でも、即時的でもないかもしれない。けれど、人間の営みには、そうした非効率な営みが不可欠だ。そしてその営みこそが、人間と機械との境界線を保つために必要なのだと考えている。都市の生活は続き、私はその一部として機能しながらも、完全には同化できない。それは唯一無二の言葉によるのではないか。マクルーハンを引用するまでもなく、言葉は、記憶であり、意思であり、そして人と人をつなぐ媒体である。機械に飲み込まれることなく、人間であり続けるための最後の手段なのかもしれない。

誤配される誰かの言葉は瓦礫と化して、死に至る鉄の砂漠に積みあがる。その瓦礫たちはきっと、私たちそのものであり、きっとエンコードされない「  」を見つけるためのツールだ。私たちは積みあがるそこから見いだされるものを、求めている。


[1] サンドール・フェレンツィ「タラッサ」小島俊明訳『全集・世界文学の発見7 性の深淵』學藝書店、1970年、245-325頁。
[2] エーリッヒ・ノイマン『意識の起源史』林道義訳、紀伊国屋書店、2006年。
[3] 同上、175頁。
[4] 以下も参照。今村創平『現代都市理論講義——radical urbanism of the 1960s‐70s』オーム社、2013年。
[5] アルド・ロッシ『都市の建築』大島哲蔵・福田晴虔訳、大龍堂書店、1991年、22頁。
[6] ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』今村仁司ほか訳、岩波書店、2020年。
[7] 田中純『都市の詩学——場所の記憶と兆候』東京大学出版会、2007年、88頁。
[8] ロッシ、前掲書。

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