「産めよ働けよ」の裏で置き去りにされる子どもたちと、私たちのタイムリミット
「最近は、育児と仕事の両立がしやすくなったよね」 世間からそんな言葉が聞こえてくるたびに、「自分は全然できていない」と内心落ち込んでしまいます。
現在、2回目の育休中。前回の記事では、時短勤務で復職した私が直面した「夜のたった90分」という絶望的な時間の算数について書きました。
しかし、私たちが直面している辻褄の合わなさは、時間のことだけではありません。
社会の制度設計そのものが、子どもが育つ「環境」と、女性の身体という「現実」を完全に置き去りにしている気がします。
ビルの一角の小さな部屋。見過ごされる「子どもの環境」
「子どもが3歳になるまでは、母親の元で育てたほうがいい」 発達心理学的に見ても、乳幼児期に特定の大人と密な愛着関係を築くことは、その後の心の土台になると言われています。
しかし、日本の育休は1年(私の会社でも1年半)がスタンダード。
それどころか、1歳児クラスの入園競争があまりにも過酷なため、「確実に入園させるために、0歳児クラスでの復帰を泣く泣く選択した」という声も耳にします。
0〜2歳児の預け先は激戦で、待機児童の受け皿として「小規模保育施設」が急増しました。
娘の通っている施設では先生方が工夫し、愛情深くアットホームな雰囲気を作ってくださっていることには、心から感謝しています。
実際に通わせてみて「悪くないな」と思いました。
ですが、子どもが成長して体力がついてくるにつれ、小規模保育施設の限界をより一層感じるようになりました。
光の入りづらいビルの一角。わずかな窓も建物に囲まれています。
お昼寝の時間になっても、食べ終えた給食の匂いが充満する空間。
雨の日や風の強い日、暑い夏には外に出られず、娘が少し走れば壁に行き着いてしまうような部屋で過ごします。
食事も、遊びも、お昼寝も、すべて同じ狭い空間で完結する日々。
休日に近所の公園へ連れ出すと、娘はそれだけで大満足し、何度も体を動かして遊びます。
その姿を見るたび、申し訳なさが込み上げてくるのです。
コンクリートの部屋ではなく、木のぬくもりや自然に全身で触れること。
お遊戯場で、遊びを通じた運動をすることなど。
それが、この時期の子どもには**絶対に必要なのではないでしょうか。
大人の「待機児童解消」という数字合わせのために、一番大切な子どもの環境が犠牲になっているように思えてなりません。
再びやってくる「慣らし保育」というハードル
さらに、小規模保育施設の多くは2歳児クラス(3歳になる年度)で卒園となります。
つまり、それまでの間、または卒園後に別の保育園へ「転園」することが前提となっています。
次にどこの園に入れるか決まるまで、胸の奥にずっと居座り続ける不安。
そして何より、幼い子どもに再び「環境が変わる」というストレスを与えてしまうことへの申し訳なさ。
全く子どものためになっていません。
親にとっても転園は重い負担です。
すでに復職してギリギリで仕事を回している平日に、見学や説明会のために業務を調整。
無事に転園できても、再び「慣らし保育」のために仕事を休んだり早退したりしなければなりません。
また、大きな環境変化による疲労などで子どもが体調を崩すのも、多くのワーキングペアレンツにとって想像に難くない苦労かと思います。
「恵まれた環境」を手放せない私と、社会の重荷
今、女性が出産後も働き続けられるようキャリアの扉が開かれているのは素晴らしいことです。
しかし一方で、「一度仕事から離れる」という選択に対し、「なんで?」と疑問符を突きつけられるような息苦しさも感じます。
「再就職の受け皿はあるじゃないか」と言われるかもしれません。確かに、受け皿はあります。
でも、実際の門戸は狭く、何より社会の風潮がそれを許していないように感じます。
「子どものために一度仕事を辞めた」=「働き続ける能力がない」と見なされてしまうような空気が、社会に漂っている気がするのです。
偉そうなことを書き連ねていますが、私自身がまさにそうです。
私はいま、客観的に見れば大企業という「恵まれた環境」にいて、その恩恵をしっかりと受けています。だからこそ、そこから抜け出す勇気がありません。
一度ここを辞めてしまったら、また同じような企業で、今以上のキャリアを築ける気がしないのです。
自分の能力やスキルに自信がないのは自己責任かもしれませんが、社会との繋がりが途絶えてしまうのが怖くて、苦しくても子どもの傍にいたくても現状維持にしがみついています。
親子が密な時間を過ごすために、子どもが幼い数年間、一度キャリアから離れる。
それは本来、マイナスどころか素晴らしい選択肢のはずです。
本当に必要なのは「無理やり働き続けること」ではありません。
一度リタイアしても、数年後に再び女性が当たり前に仕事で活躍し、昇進していける、本当の意味での受け皿を作ること。
そして、制度の受け皿以上に変わってほしいのは、社会の風潮そのものです。
「子どものために一度立ち止まる」という選択を心から肯定し、
親の働き方や労働力としての期待よりも
もっと「子どもに寄り添った考え」が社会全体に浸透していってほしいと切に願います。
「仕事はどうするの?」という風潮と、女性のタイムリミット
そもそも「産めよ、増やせよ、働けよ」という社会のメッセージは、女性の身体という現実を無視してはいないでしょうか。
母親も子どもも健康に出産を乗り越えられる年齢には限りがあります。
もし「子どもを2、3人育てたい」と望むなら、20代前半のうちに第一子を産むのが、母体にとって一番自然で無理のないペースです。
昔はそれが当たり前だったはずなのに。今、20歳そこそこで子どもを産むと、「あんなに若くして」「せっかくの仕事はどうするの?」と、まるで正しいルートから外れたかのような目を向けられる気がしてなりません。
日本の「新卒一括採用」という強固なレールや「石の上にも3年」の価値観が、それを許さないからです。
学生結婚や、就職前に出産をして、子どもがある程度大きくなってから「初めてのキャリア」をスタートさせる。
そんな考え方も、もっと広まっていいはずです。
「後から子どもが欲しいと思っても遅かった」と後悔しないために、もっと若い段階から、医学的、科学的、経済的な面から現実的な情報を得て、人生を設計できる社会であってほしいと願います。
本来あるべき姿をないがしろにしたまま、「女性の社会進出」という都合のいい言葉だけで進められる制度設計。
社会のパズルはここでもやはり、ちぐはぐなピースばかりです。
すでに2人の子どもに恵まれ、2度目の育休を取れている今の私は、世間から見れば贅沢すぎる立場かもしれません。
それでも、もっと自分が若ければ。つわりや切迫早産といった辛い時期に、しっかりと仕事を休むことができるのなら。両親の力を十分に借りられる環境だったら……。
もうひとり子どもがほしかったなと思うことがあるのです。
前回の記事はこちら
→要約版もあります。
