子供の頃に憧れたクレジットカードで、パンツを買った話
子供の頃、スーパーのレジでスーツのサラリーマンが「カードで」とだけ言って会計を済ませていた。
その姿が、なんかかっこよく見えた。
そのかっこよさには、明確に3つの要素があった。
1:スーツの装備力
大人の制服。無駄がない。ビシッと決まっている。
機能性ではなく“信頼性”で身を固めているあの感じが、子ども心に響いた。
ランドセルとは訳が違った。
2:「カードで」のショートカット感
財布から小銭を出すことも、確認することもなく、
「カードで」の一言で会計がスルッと終わる。
あの速度は魔法のように思えたし、まさにファストパスだった。
ディズニーの行列でみんなが待っている横を、
特別なチケットを持っている人だけが別ルートからするすると入っていくあの羨ましい感じ。
こっちは現金で並んでるのに、隣をシュッと通っていく“知ってる人”。
それが「カードで」を使いこなす人だった。
3:狩野英孝みたいな提示スタイル
そして最後の理由がこれだった。
「カードで」と言うその仕草には、どこか狩野英孝的な“キメポーズ感”があった。

あの手の動き。
一歩下がって、斜めに構えて、スタイルを定義する感じ。
レジに立ち、カードを差し出しながら「カードで」と決めるあの仕草は、
それ単体で“自己紹介”みたいになってた。
彼にとっての「カードで」は、名刺と同じ意味を持っていたのかもしれない。
対象的だったのは、まだ電子マネーが浸透もしていない時代にど田舎の個人店で
「クイックペイで!」
と言い放ち、対応してないと告げられると慌てふためいてたサラリーマン。
あの自信からの凋落は、余裕をこいていたはずがサイバイマンにやられて横たわっていたヤムチャのように、シリアスなシーンなのにどこか間抜けに見えた。
そんな過去の記憶があった、ある日。
しゃがんだ拍子にパンツがビリッと破けた。
家に引き返す時間もない!!と思いながら、急いで近くのスーパーへ。
普段のパンツもちょうど欲しかった為、2枚買った。
レジで財布を開くと、僅かに現金が足りない。
「お支払いどうなさいますか?」
「カードで!」
おかしい。
私が子供の頃に憧れたかっこいいカードの使い方とは、こういうものだっただろうか。
あの時見たサラリーマンはピッと背筋を伸ばしてかっこよく使っていたのに、
私は今パンツが破けてスーパーに駆け込み、2枚のパンツを購入するのに同じセリフを言っている。
「カードで」
このセリフが、文脈でこんなにも印象が変わるのか……と、思い出が霧の中に消えていくような寂しい気持ちになった。
あのサラリーマンが、当時何を買っていたのかはわからない。
大したものではなく、もしかしたらシャケおにぎりかもしれない。
それでも、パンツよりはいいだろう。
シャケおにぎりとパンツはどちらの方がカード払いで買うのに相応しいか?
昆布おにぎり相手だったら、パンツでも勝てるだろうか?
駆け込んだトイレでパンツを履き替えながら、ある種ムシキングのようなものが頭の中で開催されていた。
でも、支払い方法を聞かれた際に分割と答えなかっただけまだマシといえよう。
「……(フリーズ)……ぶ、分割……で、ございますね」
(レジに表示される「ご購入:パンツ×2」)
「えっと……何回に……なさいますか?」
「12回で」
「じゅっ……いえ、あの、月々のお支払いが……106円になりますが……本当に分割ですか?」
「そうですね!無理なく払っていきたいので」
こうなったら、いよいよ終わりだ。そうでなくてよかったと思いながら、心を落ち着かせている。
子供の頃の憧れと現実が違うことは、たくさんある。
カードそのものは変わっていない。
支払い方法も、スーツの着方も、言葉も。
どこで、どう切るかで印象はまるで変わる。
トランプのジョーカーみたいに、それが切り札にもなれば、ババという笑いものにもなる。
あの頃自分が憧れたのは、「カードで」という言葉そのものではなく、
その言葉を放つ人の立ち位置や、空気や、状況への羨ましさだったんだなと思った。
