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──グッバイ、英世。

グッバイ、英世。
私は寂しさと英世の狭間で揺れていた。

最近、自販機で新千円札が入らなくて、ああ……となった。
そういうことがあるんだよな。

あの頃を思い出すように財布を覗き込むと、まだ英世がいた。地元に帰ったら、あの店がまだあった時のような安心感がある。
きっと、あのお店ではまだキャッシュレスに対応してなくて、英世も現役だろう。

「なにこれ本物?使えるのー?」

とか、伊藤博文の千円札のようなことを言われることもない。やっぱり英世だ。

ここまできて、自分がふと「英世」と呼んでしまっていることに気がついた。
今まで「千円札」や「野口さん」としか言わなかったのに、だ。しばらく考えた時、私はこれが意味することに、気づいてしまった。

そう、いつしか千円札は北里さんばかりになり、自販機もすっかり対応していく。

そんな時、旧千円札はすっかり見なくなり、子供の頃に見た”めちゃイケの思い出”や、”スーファミでドンキーをした思い出”みたいに、過去になっていくんだと思う。


福澤さんのことは「諭吉」と呼んでた。万札だし、頻繁に感謝もしていた。
でも千円札を「英世」とは呼ばなかった。
普通にある存在だと思っていて、特に感謝もしていなかった。

「千円あったあった!!」 「野口さんいたー!」
そんな感じだった。

それなのに、いざ千円札が新しくなった今の時期に自販機の前で英世があったときだけ、
まるで財布の中から救出したかのようになぜか“英世っ”と呼びたくなる。

最後のお別れをするカップルは、
駅のホームでドアが閉まる瞬間に愛おしくなり、つい名前で呼んでしまうものだ。

「英世っ!」
私の心は完全に英世のものだった。

寂しさを我慢しているのか、紙だからなのか
あの頃よりもどこかシワシワになった英世は、瞬きひとつせず、ただこちらを見つめ、なにも答えなかった。

いなくなるとわかると、つい寂しくなるものだ。
というかもはや、まだ連絡取ってる元カレのようですらある。

似たようなことは他にもある。

会社を辞める日に、今まで呼び捨てだったのに急に「◯◯くん」って呼ばれる。
今まで「部長」とか「◯◯さん」だったのに、最後だけ本名で呼ばれる。
別れ際なのに出会った時のような呼び方をして、これから始まるかのように、演出をしてしまったりするものだ。
そういうことが、ある。

マツコが引退するとなったら、急に名残惜しくなった私は「DXさんっ!」と呼ぶんだろうか?
いや、呼ばない。

時代の流れだとはわかってはいるが、世の中の移り変わりは、なんとも言えない感情になる。

もちろん、ここで言う英世とは千円札のことであり、現実の野口英世の功績はずっと残り続ける。 

ただ、やはり寂しいものは寂しい。

でもそれでも、思い出してほしい事がある。

それは、寂しさと同時にワクワクは来るということだ。季節と同じようなものだと思う。


雪が降り始める喜びと共に、落ち葉は散っていく。
桜がひらひらと舞い散る儚さの先に、スイカは真っ赤に染まる。

世の中っていうのはそういう情緒で溢れている。
寂しいけど、変わりゆく世界を楽しんでいきたいと思った。


ただやっぱり、不思議と”終わり”を察したときだけ、名前って口に出たくなる。

──グッバイ、英世。

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