人間観察 in スーパー 「鳩型人間と南国女」
スーパーの食品コーナーには、人類のすべてのタイプが詰まっている。
人種や国籍ではなく、習性や思考回路の癖、本能のむき出し方といった“人間の根”のようなもの。
言ってしまえば、日常を舞台にした本能サファリパークだ。
ある日、私は一羽のハトを見た。
目の前を歩いていた人が、突然立ち止まり、首を後ろにのけぞらせ何かを確認すると、そのまま振り返らずに映像を巻き戻したように後退してきた。
お尻を突き出してそのまま下がってくるグーフィーのようなちょっと間抜けな動きと言えばいいだろうか。
店内BGMでビリー・ジーンでも流すので、せめてムーンウォークで下がってきてほしい。
正面を向いたまま、視線と欲望だけを後方に飛ばし、そのまま目の前の棚から商品を手に取っていた。
この瞬間、人としての理性と、鳥類としての採餌行動が同居していた。
以前本で読んだ。
ハトが首を前後に動かすのは、視野を安定させ、奥行きや距離感を正確に掴むためである。
眼球だけでは空間の把握が難しいため、頭部を動かして外界の情報をより多くつかもうとする。
つまり「よく見るために動く」。あのヘドバンは、本能によるれっきとした情報収集行動だ。
あの人は「商品をよく見たい」「すぐ捕まえたい」という欲望が勝ちすぎて、構造的にハトと一致してしまった。
前世がハトなのだろう。ここがヨーカドーなのもその証拠で、看板に懐かしみがあるから無意識に来ているのだと思う。
本能が前のめりすぎて、理性より先に背中が動いていた。
ただ、そのとき私は思った。
ハトになったのはあの人だけど、それをハトだと即座に気づいた自分も、もう半ハトなのではないか。どこかに懐かしみを覚えているのではないかと。
前世がハトの人は意外と多いのかもしれない。
おかしいのは自分か。それとも社会か。
ようこそ、高次認知鳥類の世界へ
次に出会ったのはMV撮影女だった。
つけまはバッサバサで、髪の毛は風呂上がりのまま半乾き。
ヘッドフォンを首にかけて、頭をかきながら青果コーナーをステージに見立ててリズムに乗ってくねくね歩いていた。
彼女の方がムーンウォークに相応しそうだ。
ヘソを出して隙間を縫うように通る様子は、まるで事前に振り付けが済んでいたかのようだったが、歩いているのはキャベツとアボカドの間だった。
あの腰のくびれは、アボカドとキャベツが居座る観客席の隙間をパリコレのように練り歩くためにスタイルが維持されている。
ミステリアスな役柄が髭を生やして帽子をかぶるように、全ては演出であり計算されているのだ。
たびたび出会うのだが動きが洗練されていて、りんごでも横から放り投げたら、おそらく自然に両手でキャッチし、そのまま片手で一口かじってカメラ目線のアップで歩き始めるタイプだ。
イメージで絵を描いてみた。こんな感じだ。

スーパーの照明はステージライトで、青果コーナーはマンゴーなどが実るエキゾチックな島。
脳内が現実を支配している状態。
私はこの女を勝手に、MV撮影女と呼んでいる。
脳内MVを全力で再生しながら都市を歩く、現実世界で私的音楽番組を放送している民で、私たちはエキストラ。
しかし観察者である私も勝手に妄想し、MV女と断定しているため、結果的にどっちが演出してるのかいまだに分からない。
そして最後に出会ったのは、ソース多め希望マン。
この人の一言には、人間の繊細な心理が詰まっていた。
「すみません、ソースたくさんもらえませんか?丼にしたいんで」
このセリフの裏には、「図々しいと思われたくない」という自己防衛が滲んでいる。
ソースが欲しいだけ。だけど“何の理由もなく多めに求める人”として見られるのが怖い。
だから理由をつける。「丼にしたいんで」という言い訳。
ぼく、ちゃんと理由あるんですよっていう小さなアピール。
遅刻したのは電車の遅延が原因なんですという自己保身、これはまだわかる。正当性もある。
しかし、「丼にしたいんで」は理由としては弱すぎるだろう。
「そうかぁ、丼なら仕方ない!あげちゃおう!」
そんなことはいちいち店員は考えない。
そもそもソースは無料だし、少し多めに入れるくらい誰も気にしない。
にもかかわらず、申し訳なさそうに理由を添えてくるのは、自分の欲求を正当化したい心理の表れだ。
常識的なラインは知ってるのですが……
ソース多め希望マンは、そう言いたいのだろう。
そして、説明して納得を得る前提であるにも関わらず、その説明は効果的でない。
でも、だからこそ人間らしい。恥をかかないために理由を添えたくなる。
コンビニで箸はいらないと伝えるときに、
「家にあるので大丈夫です」
と言っちゃうのも、“あなたの提案を否定したいわけではなく、ちゃんと断る理由があるんです”ということを説明したいからだ。
否定マンという負のレッテルを貼られることを回避しようとする。
人間の社会的なバランス感覚が、こういう形でにじみ出る。
それにしてもスーパーという場所は、面白い。
人間の中にある動物性、感受性や演出癖、そして防衛本能。
それらが、キャベツの隣やソースの前で、静かに立ち上がっている。
そしてその一角で、私は静かに観察している。
あれもハト、これもMV、そっちは自己弁護のソース。
しかし、そんな彼らの姿を眺めるために首を前に後ろに伸ばしたり、たまに仰反る自分もまた「構造的にハト」になっているのだった。
