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病院という装置

― 治すことと、管理することのあいだ

THE DESIGN ―設計された世界― 第2話「医療」


白衣の医師が、問診票を手に取る。

患者は椅子に座り、何を訊かれるかを待つ。症状を伝え、検査を受け、診断名を告げられ、処方箋を受け取る。治療を受けることとは、そういうことだ。世間では、そういうことになっている。

医療は人を救う。病院は治療の場所だ。その目的を疑う者はほとんどいない。なぜこの形式が「医療」と呼ばれるのか、誰がその形式を設計したのか、その設計に何の意図が込められていたのかを、問う者もまた、ほとんどいない。

診察室の風景は、あまりにも当たり前すぎて、風景に見えない。

ここでもまた、一枚の図面を広げる必要がある。


I. 医療保険の起源――ビスマルク、1883年

1883年、ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクは、世界で最初の近代的医療保険制度を制定した。「疾病保険法」である。翌1884年には労災保険法、1889年には老齢・障害保険法が続いた。

この制度は、今日の社会保障の原型として語られる。そして確かに、それは当時の世界では最も先進的な制度であった。しかし、その設計思想を問うとき、話は少し変わってくる。

19世紀後半のドイツは、急速な工業化の只中にあった。農村から都市へ流入した労働者たちは、劣悪な条件のもとで働き、その不満は社会主義運動として結集しつつあった。1877年の帝国議会選挙で、社会主義労働者党は前回の3倍の票を得た。2年で党員は10倍になっていた。

ビスマルクの頭にあったロジックは、後世の研究者たちによって繰り返し整理されている。「ドイツ帝国が強くあるためには重工業が必要だ。重工業には熟練工が欠かせない。その工員たちが社会主義に走らないようにするためには、仕掛けが必要だ」というものだ。

1878年、ビスマルクは社会主義者鎮圧法を制定して労働運動を弾圧した。そして同時に、医療保険・労災保険・年金という「アメ」を与えた。

この二重構造を、当時の観察者たちは率直に記している。社会保険制度の設計思想の核心には、「保護と統制の結合」があった。国家が労働者の身体を保護する代わりに、その労働者は国家の制度に従属する。保護を受けるためには、国家の管理する医療システムの中に入らなければならない。

身体の保護と身体の管理は、最初から同じ設計図の上に乗っていた。


II. ドイツ医学という輸入品――明治日本、1869年

日本近代医学の誕生は、一つの決断に帰着する。

明治2年(1869年)、34歳の医療行政官・相良知安が、新政府の医療制度改革を命じられた。彼は強固に主張した。「ドイツ医学こそ世界最高水準であり、日本のとるべきはドイツ医学である」と。

当時、医学には大きく二つの潮流があった。臨床を重視するイギリス型と、学理・研究を重視するドイツ型である。相良の選択によって、日本の近代医学はドイツ型を採用した。

選択の根拠は明快だった。相良が長崎の医学教育機関で蘭方医学を学んだ際、当時の医学書の大半がドイツ医学書の翻訳であることを知っていた。世界的な潮流がドイツへ傾いていることを、彼は肌で感じていた。

以降、日本の医学はドイツをモデルに制度設計された。大学医学部にはドイツ式の医局講座制が導入され、医師の養成体系はドイツに倣った。医学教育の言語もしばらくはドイツ語だった。

そして教育と並んで、医療保険制度もまたドイツから輸入された。大正11年(1922年)、日本最初の健康保険制度が制定された。その設計はビスマルクの疾病保険法を直接の手本としていた。熟練工を中心とする労働者の身体を、国家の管理する医療システムに包摂すること。富国強兵のために。殖産興業のために。

第1話の教育の話と、構造は重なる。

「国家に有用な身体を維持・管理するための制度」として、医療は設計された。その設計図が日本に輸入され、1世紀以上にわたって稼働し続けている。


III. 設計図を分解する――「健康」の定義権

装置の核心に触れる前に、一つの問いを立てる。

「健康」とは何か。

これは答えが自明に見える問いだ。病気でない状態が健康である、と多くの人は言うだろう。しかし、「病気かどうか」を誰が決めるのかという問いになった途端、話は複雑になる。

現代医療において、「病気」の定義は診断基準によって決まる。診断基準を誰が作るかといえば、医学の専門家集団である。では、その専門家集団の判断は、純粋に科学的な基準のみに基づいているのか。

ここに一つの構造がある。

診断という装置は、何を生産するか。

人間の状態を、「正常」と「異常」に分類することで、医療の対象となる「患者」を生産する。かつて「老い」と呼ばれていたものが「高血圧」や「骨粗鬆症」という診断名を持つようになり、かつて「悲しみ」と呼ばれていたものが「うつ病」という診断名を得た。「疾患の定義が変わることで患者数が変わる」という現象は、21世紀の医療において繰り返し観察されている。

入院という装置は、何を生産するか。

病院という空間の中で、患者は特定の規律に服従する。決まった時間に食事をとり、決まった時間に検査を受け、決まった時間に就寝する。個人の日常的な行動様式は停止され、医療側の管理するリズムに置き換えられる。フーコーが「監獄の誕生」で描いた規律訓練の論理は、病院空間において同型の構造を持つ。

数値基準という装置は、何を生産するか。

血圧の正常値、血糖値の閾値、コレステロールの基準値。これらは客観的な科学的事実ではなく、ある集団の統計的分布から導かれた「合意」である。その閾値がどこに引かれるかによって、「患者」の数は劇的に変化する。基準値を引き下げれば、昨日まで健常者だった人が今日から「予備群」になる。

それぞれの装置が単独で機能するのではない。診断・入院・数値基準は相互に補強しながら、一つの全体像を作り上げる。

その全体像の名前は、「身体の医療化」である。生の様々な局面が次々と医療の管轄に組み込まれていく過程を、社会学者たちはそう呼んだ。


IV. 今日の矛盾――管理するほど、増える患者

では、2026年現在の医療はどうか。

日本の医療費は年間45兆円を超えた。国民1人あたり約36万円。この数字は毎年増え続けている。

医療技術は確実に進歩した。かつては不治とされた疾患が治るようになった。寿命は延びた。その事実を否定することはできない。

しかし、同時に問うべき問いがある。医療費が増え、患者数が増え、処方される薬の量が増え続ける中で、なぜ「病んでいる人」の数は減らないのか。

精神疾患の患者数は過去30年で急増した。うつ病・不安障害の診断数は増加し続けている。生活習慣病の「予備群」と呼ばれる人々の数は膨大だ。メタボリックシンドロームの基準に該当する者、高血圧・高血糖・脂質異常の「予備群」を合算すれば、成人の相当部分が何らかの医療的管理の対象となっている。

「管理するほど、管理の対象が増える」。これは設計の失敗ではなく、設計の通りに機能している状態である可能性がある。

病院という装置は、治療を提供すると同時に、「患者」を再生産する。

今日の西洋近代医学は、平均寿命が50歳以下だった19世紀後半に確立された。その時代の疾病の中心は、感染症と外傷だった。細菌を特定し、排除し、傷を縫合する。原因を取り除けば治癒する、という因果論的モデルが医学の骨格を作った。

しかし21世紀の疾病の中心は、慢性疾患と精神疾患である。生活習慣と環境と心理が複雑に絡み合い、「原因を1つ取り除けば治る」という構造を持たない疾患が主役になった。

それでもなお、19世紀の図面が稼働し続けている。「病名をつけ、薬を処方し、数値を管理する」という設計図が、慢性疾患にも、精神疾患にも、老いにも、適用され続けている。


V. 点数という設計図――「治すより通わせる」構造

もう1つ、現代の医療を動かしている具体的な装置がある。「診療報酬」である。

日本の保険医療機関は、自分で値段を決められない。厚生労働大臣が定める「診療報酬点数表」に基づき、1点=10円で計算された金額を、国が決めた通りに受け取る。クリニックを一度受診すれば291点(初診料)、2回目以降は75点(再診料)。これは2024年時点の数字で、全国どこでも同じだ。

この仕組みを「出来高払い」という。医療行為を「行うほど」報酬が増える仕組みだ。検査をすれば点数が加算される。処置をすれば加算される。処方箋を出せば加算される。1つ1つの医療行為に、細かく点数が設定されている。

設計上の論理は明快だ。医療機関は、患者を「治す」ことで儲かるのではない。患者に「医療行為を行う」ことで儲かる。

両者は似ているようで、決定的に違う。

たとえば高血圧で通院する患者を考える。薬を処方し、数値を見て、次回の予約を取る。3ヶ月ごとに通院してもらえば、再診料が継続的に発生する。もし「食事と運動で数値が改善したので、もう来なくていい」と医師が判断すれば、その患者から得られる収入は止まる。

これは個々の医師の倫理の問題ではない。制度全体が、「継続的な医療関係」を金銭的に報いるように設計されている、という構造の問題だ。

さらに問題は、診療報酬点数が「2年に1度」改定されることだ。点数の増減を決めるのは厚生労働大臣の諮問機関「中央社会保険医療協議会(中医協)」である。ここで何の行為が何点になるかが決まれば、医療機関の行動は変わる。ある処置の点数が下げられれば、その処置は減る。別の処置の点数が上がれば、その処置は増える。

つまり、「医療現場で何が起きるか」の相当部分は、現場ではなく、診療報酬点数表を決める会議室で先に決まっている。


VI. 設計図の上で、今日も患者になる

白衣の医師が、問診票を手に取る。⸺その1つの所作のうちに、19世紀ドイツの工場管理の残響が、いまなお消えずに響いている。

疾病保険、診断基準、数値管理。これらはもともと、工場の熟練労働者の身体を維持し、社会主義運動を抑制し、国家に有用な人材を確保するために設計された装置であった。ビスマルクが世界初の医療保険制度を制定した目的の一端は、「保護によって統制する」ことにあった。明治の日本は、それを一片の躊躇もなく輸入した。富国強兵のために。殖産興業のために。

設計図を描いた者は、とうに去った。工場労働者の反乱を恐れた宰相も、軍事国家の富強を夢見た明治の官僚も、もはやいない。にもかかわらず、図面だけが、今日もなお、律儀に生き残っている。

そしてその図面の上で、「患者」として管理されているのは⸺私たちである。いや、より正確に言えば、私たち自身が診察室へ進んで足を運び、数値を告げられ、処方箋を受け取ることで、同じ図面を自ら更新し続けているのだ。

「病気かどうか」を誰が決めるのか。「健康とは何か」を誰が定義するのか。⸺その問いを持たないまま、私たちは今日も診察室の椅子に座る。

誰がそれを描いたのか。なぜ、それは更新されないのか。THE DESIGNの問いは、ここでも続く。


次回、第3話「メディア ― 報道という鏡、何を映し、何を映さないかの設計図」

本連載「THE DESIGN ―設計された世界―」は、当たり前に見える制度の設計図を、一枚ずつ広げていくシリーズです。
第1話「教育」と併せてお読みください。


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