【愛知】武豊線の歴史 | 半田市鉄道資料館(移転後) | 愛知県半田市 | 2008年アーカイブ
月に2回しか開館せず、見学者をある意味寄せ付けないことで知られていた半田市鉄道資料館。
2004年に訪れた際には、「C11 265蒸気機関車保存会」の会長さんがたまたま来館していたため、普段は閉鎖されている蒸気機関車の運転室を見せてもらい、タブレットの受け渡し方法まで実演してもらった。さらには、ご自身の著書までいただいた。
なぜこれほど厚遇してもらえたのか、今でもよく分からない。
その後、平成18年(2006年)、資料館は展示されていたC11形265号機とともに、JR半田駅北側へ移転した。今回は長男に蒸気機関車を見せるため、移転後の資料館を再訪。
JR半田駅の北側にある現在の資料館。
広い敷地に、蒸気機関車とプレハブ風の資料館が並んでいる。

こちらの工事事務所のような建物が、半田市鉄道資料館。
建物の造りは以前の方がしっかりしていたが、館内の広さはそれほど変わっていないように見える。

開館日の希少性もまた変化無し。
残念ながら、この日は閉館日。館内の展示は以前と大きく変わっていないと思われるので、詳しくは前回の訪問記にて。

以前は狭い敷地に詰め込まれている印象だったが、移転後は広い空間にゆったりと展示されている。
開放感は増したものの、若干のもの寂しさもあるが。

説明板。以前使用していたものを再利用。

さよなら運転をしたC11形265号機。
盗難防止のため、ナンバープレートは取り付けられておらず、相変わらず、機関車番号は手書きのまま。

駅員から機関助手へタブレットを渡す際に使用する「通票授器」。
反対に、列車から返されるタブレットを駅側で受け取るための設備が「通票受器」。
詳しくは前回の訪問記にて。

直径1,520ミリのC11の動輪。
中心部から放射状にスポークが伸びる「スポーク動輪」。
大型蒸気機関車では、より強度の高いボックススポーク動輪も多く使用されたが、見た目はスポーク型の方がSLっぽい感じがする。

動輪の前にある先輪。C11では1軸が設けられている。
機関車を曲線へ円滑に導き、走行時の安定性を高める役割を持つ車輪である。

やや雑然としているが、腕木式信号機と、それを操作する信号てこも移設されている。展示上並べられているものの、操作用ワイヤーは接続されていない。

東成岩駅で昭和52年まで使用されていた腕木式信号。
全体的に鉄道に強く興味がある人向けの施設なのは確か。

半田駅前にある「知多酪農発祥之地」の碑。
知多半島道路を走ってると、結構牛の匂いが漂ってくる。現在も畜産が盛んな知多半島だが、その酪農の出発点とされているのが、この半田の地である。

発祥の地の由来。
明治14年頃、四代目中埜又左衛門が滋養と健康のために乳牛を飼い始め、明治17年には現在のJR半田駅付近に「愛養舎豢場」を開設したことが、知多酪農の始まりとされている。
半田の産業史をたどると、酢造りだけでなく、ビールや酪農など、さまざまな場面で中埜家の名が現れる。半田という地域と中埜家との結び付きの強さを、改めて感じさせる。

訪問当時、現役で使用されていたJR半田駅の跨線橋。
明治43年11月に完成し、建築当時から同じ場所で使われてきた跨線橋としては、日本最古とされていた。
手前のレンガ造りの建物は、夜間信号の灯火に使用する油を保管していた油庫。訪問時には、物置として使われているようだ。

明治45年頃の半田駅正面(東側)古写真。左手に跨線橋が見える。

改札口側の跨線橋入口部分。
無機質な現代のものと異なり、柱や梁の造りにも意匠が感じられる。

バリヤフリーの「バ」の字もない、急で狭い階段。
車椅子の人は駅員がかつぎ上げるのだろうか。

改札口側(東側)から撮影した通路。
外観と同じく、ツートンのカラーリング。

通路屋根部分。
リベットが露出した鉄骨に、建造された時代を感じる。

改札口側の壁面に取り付けられた説明板。
まぁ、興味がない人には「ふーん」って内容だし。

ホーム側の跨線橋入口。
こちらのホームはかさ上げされているため、改札口側と比べて屋根までの高さが低く見える。二段構成となっている柱の下段部分が、改札口側より短いことが分かる。

ホームから見た跨線橋。
将来、バリヤフリー工事が行われた時に破却されてしまわないか少々心配。
※この跨線橋は、その後、半田駅付近の高架化工事に伴って現役を退き、移設保存のため解体・保管されている

大正期の半田駅。
先ほどの古写真とは反対の南側から撮影されている。白黒写真のため、当時どのような色に塗られていたのかは分からない。

現在使用されていない1番線。
こちらはホームのかさ上げがされていないため、こちら側のホームと比較して低いのが目で見ても分かる。
訪問時には線路も撤去されていた。

大正期の1番線。
当時は駅舎が現在より奥まった位置にあったため、ホームが広く見える。ただし、この頃の写真ではホーム上に屋根は設けられていない。

駅の名所案内。
何だかんだと見どころの多い半田市だが、どのような基準で掲載する名所を選んだのかは、少し気になる。

半田鉄道少年団、「RCA」が何の略か気になるところだが、とりあえず少年探偵団チックだ。

ワンマン運転のキハ75形。
長男がどうしても乗りたいというので、武豊まで往復することにした。
※最高速度120キロ、転換クロスシートを備えた、走行性能と接客設備の両方を重視した車両。武豊線電化にともない、高山本線、太多線に転用され、一部は快速「みえ」として関西本線方面で運用。

<おわり>
移転前訪問時のレポート(4年前)
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