見出し画像

一度でも「年齢」が理由で挑戦を諦めたことがある人へ

あなたは、今何歳だろうか。

当たり前のように答えられる、この質問。

でも、それって本当に
「当たり前」だろうか。

年齢を聞かれて、数字で答える。
その数字で、
自分の立ち位置をなんとなく測る。

若いのか、もう遅いのか。
順調なのか、出遅れているのか。

気づけば私たちは、
「年齢」というものさしで
自分の人生を測ることに慣れすぎている。

でも世界には、
そもそも、その“ものさし”を
持っていない人たちがいる。

パプアニューギニアの
アウユ族と呼ばれる人たちをご存知だろうか。

彼らの中には、
年齢を数字で把握していない人が多くいる。

正確には、年齢を数えること自体に
あまり意味を置いていないのだ。

「あの大きな出来事のあとに生まれた」
「兄より少しあと」

そんなふうに、
時間を出来事や関係性で捉えている。

初めて知った時、笑った。

兄より少しあと、でいいのだ(笑)

つまり彼らにとって、
「何歳か?」という問いは、
少しピントがズレている。

この事実に触れたとき、
私は衝撃を受けて足元がぐらついた。

今まで当たり前だと思っていたものが、
急に、単なる自分の「ローカルルール」に
思えたからだ。

もしや、
私たちは思っているよりも
小さな世界に
閉じ込められているのでは?

今すぐそれを確かめたいと思い、
居ても立っても居られなくなった。

年齢の思い込みがあるから、

「この歳ならこうあるべき」とか
「もう遅い」とか「まだいける」と
判断する。

でももし、
その前提自体がなかったら?

きっと私たちは、
もっと違う基準で物事を選んでいる。

私は、
ずっと興味があった英会話を
去年始めた。

教室に入ると
いつも自分だけ少し場違いな気がする。

周りは、軽やかに英語を口にする
自分より若い子たち。

私の口からは、いまだに
カタカナしか出てこない。

それでもやめようと思わないのは、

「何歳だから」という外側の数字を
一旦わきに置いて、

自分の中にある小さな
「やってみたい」に
従ってみたからだと思う。

そんな感覚を、
いつの間にか手放してしまっている人も
いるかもしれない。

それだけでなく、過去に
一度うまくいった「やり方」や「基準」を
無条件に正しいものとして
持ち続けてはいないだろうか。

みんなそうしているから。

でもそれは、
今の自分にとって正解だろうか。

状況も、環境も、ましてや、
自分自身も変わっているのに、

過去の「正解」をそのまま持ち続けることは、
ときに、今の自分から少しずれていく。

気づけば、いつのまにか
ローカルルールだらけの中で生きていて、
たまに窮屈さを感じる。

「兄の少しあと」くらいで、
ちょうどいいのかもしれない。

あなたは今、年齢を理由に
一歩踏出せないでいることはありますか?

よかったらコメントで聞かせてください。

あなたの日常が
多幸感で包まれますように。


いいなと思ったら応援しよう!

紡ぎ屋 凪 / YUTA FUJIWARA 多幸感は、きっと分け合うほど静かに循環していくもの。 今日、あなたの中に小さな光や気づきが生まれたなら、 チップという形でそのぬくもりのバトンを繋いでもらえると嬉しいです🌈