地域を明るくする超行動派理学療法士&市民活動実践者の人
自転車こいでかけまわった地元小平(小平!)、
大人になっても20代のころまで遊びに行ってた吉祥寺(吉祥寺!)
てな感じで、地元というのはありますね、私にもね、qbcにもね、ただ、なんていうか、東京都下だからなのか、あんまり地元感があんまりないんですよね。方言ないし、なんていうか西武鉄道の開発した地域っていうだけで比較的いろんな所から寄せ集まった人たちの集団であって、仲間意識が薄いというか。
ハッ! 違う! 地元意識っていうのは、こういうものなんだな、と手触りとして追体験できたのはこの無名人インタビューでした。
あ、こういう考え方なんだ、と。
具体的には、帰ってくる場所があってほしいとか、その場所が良い場所でありつづけていてほしいという感覚。
私にとって地元というのは、客観的には生まれたところとしてあるんですが、心としてはどうも存在していないところで、なんだか不思議な存在です。
あばば。ということで無名人インタビューゴッ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】
今回ご参加いただいたのは 小野 雅之 さんです!
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Facebook:https://www.facebook.com/masayuki.ono.5667
現在:僕は行動するのがすごい得意で、いろんな人と繋がるのが得意で、発信するのが得意なので、全部僕の知ったやり方をプレゼントするから、みんな自分の地域で自分がやれることやってみたらスゲーわくわくするぜっていうふうに思ってて。
qbc:今、何をしている人でしょうか?
小野雅之:今はですね、理学療法士をしておりまして。理学療法士って、リハビリの専門家なんですけれども。その上で訪問介護の一つ、定期巡回・随時対応型訪問介護看護っていうような、介護保険の中のサービスがあるんですけども。ご自宅に僕らが伺った上で、利用者さんの生活を24時間365日支えるっていうサービスを、立ち上げようという準備をしております。
qbc:そのサービスは、今住んでいる場所と違う場所でやるということですか?
小野雅之:そうですね。今私住んでるのが、栃木県の下野市ってところなんですけど。そこから、今実際このインタビューしていただいてるのは、栃木県の佐野市っていうところで、車で1時間弱のところで事業を立ち上げようと思ってます。
qbc:なるほど。
小野雅之:下野に来たのも、下野で事業をやろうと思って、10月に引っ越してきたんです。下野じゃなくて佐野になっちゃったっていうので、今は住むところと事業をやる場所が違くなっちゃったんですけども。それまでは15年ぐらい、東京都の府中市にいました。
qbc:お仕事は、理学療法士ということでしょうか?
小野雅之:はい、そうですね。理学療法士はもう、17年目か18年目ぐらい。
qbc:今は、どういうお気持ちで事業の立ち上げに取り組まれていますか?
小野雅之:今まで僕は、病院の理学療法士もやりましたし、訪問リハビリの理学療法士もやりましたし。介護予防といって、地域のおじいちゃんおばあちゃんや、介護事業所の職員たち五、六千名の前で介護予防講座や移乗介助研修会とかをしてきたんですけれども、最終的にリハビリって非日常だなってすごい感じていて。
qbc:はい。
小野雅之:人生の最期を迎えるときとか、生活の中にいかに溶け込むかってなったとき、やっぱり介護なんだなって思って。なんで、やっぱりリハビリってやっぱ非日常なんですよね。それが介護という側面で利用者を支えられるサービスがあって。今回の事業も僕からやろうと思ったんじゃなくて、こういう事業があるからやってみないかってずっと経営者から誘われてたのがあって、チャレンジができるってことなんで。
あとは生活の中でですね、2023年に僕離婚をして、子供と今離れ離れだったりとかがあって、本当に何もない状態なので、捨て身で勝負ができるっていうのが、本当に自分の中では楽しみですね。
qbc:お子さんは何人いらっしゃいますか?
小野雅之:子供は息子が2人いて、中三と小五です。
qbc:去年、離婚されたということですかね?
小野雅之:はい。2023年に離婚して、2023年に引っ越しして、2023年12月に法人を立ち上げて、2024年に事業スタートみたいな感じです。
qbc:なるほど。介護のお仕事は、今回の事業が初めてなんでしょうか?
小野雅之:介護自体はそうですね、資格というのは、研修を受ける程度はしてきたんですね。実際、今勤めてる会社は1月20日に退職予定なんですけど。その会社では介護事業を営んでるところの、本部の統括という役割をいただいていて。介護事業展開はしてるんですけれども。
それまでの介護との関わりってのは、僕は今でもそうなんですけども、介護職員の、プロの介護福祉士だったり、ヘルパーさんたちに指導するという立ち位置で、今まで仕事をしていたんですが。自分が介護を提供するっていうのは、やったことないんですね。
qbc:はいはい。
小野雅之:なのでこれからは、今まで僕が指導していた介護職の方々に、ボクが習った後に、僕たちのリハビリの視点を生かして、介護職の方々が、もっと利用者がよくなる介護だったり、自分たちの介護負担が減る介護だったりってことを実践できる場所にしていきたいなと思ってます。
qbc:佐野市で始める事業は、今どういう状況なんでしょう?
小野雅之:実際にですね、今日は朝から市役所行ったり、近くの自治会長さんに挨拶行ったりで。1月10日に申請をするんですけれども、申請するにあたって連携できる場所だったり、連携できる人っていうのも評価の基準の一つにありまして。そういう人脈とか、人の繋がりとか事業所との繋がりを作る状況で。12月26日にやっと法人登記ができたので。登記ができない、間に合わないかもしんなかったんですね、1月10日までに。それがやっと間に合ったんで、動き出せるというか。
で、その書類を作ることによって、本当にあなたの事業所はできるんですかってことで、資格を持ってる人は何人いるんですかとかっていうのまで、全部今集めてる状況なので。人を集めることと、佐野市での知り合いを増やすことと、仲間を増やすことっていうのを、今ちょうどまさにやっていて。本当は家に戻って、落ち着いた場所でZoomやろうかと思ったんですけど、今はローソンの駐車場で、車の中です。
qbc:では、もう事務所の場所は決まっているんですか?
小野雅之:はい。事務所もですね、年末に不動産屋さんからおすすめしていただいたところを何件か見てきて。ここがいいって言って、契約をするってなったんですけども、年内は間に合わないって。本当にもう年内最終営業日ぐらいだったので、年明けからってことなんで。事務所は決まったので、そこを契約させてくださいって今言ってるところです。
qbc:物件が決まってるってことですね?
小野雅之:契約を結びに行くってとこです、これから週明けに。
qbc:なるほど。中の人は決まってる状態ですか?
小野雅之:人はですね、僕と一緒に立ち上げて、創業メンバーとしている仲間が2人、いるんですね。その2人は決まっていますが、2人だけでは足りないので。
qbc:それは介護ができる人ってことでしょうか?
小野雅之:そうですね。ちょっと細かいお話をさせていただくと、24時間365日のサービスなので、8時間勤務だとしたら、1日に3人は最低必要になってくるんですね。週に5日勤務ってなってくると、3人だけではできなくなるので。4人、5人が必要になってくるんですね。なのでまだ会社もできてなくて、事務所が立つかどうかわからない上で採用って、なかなかできないので。
まずは一緒にやろうぜって言ってくれてる、僕と一緒に心中をするというか、もう運命共同体でやってくれるメンバーが2人いるんですけれども、佐野で新規に雇用するっていうメンバーは、これからですね。2月、3月でやっていく予定です。
qbc:あと2人、ほしいってことですかね?
小野雅之:プラス2人欲しいですね。通ってくるのも栃木県小山市のメンバー2人なので、やっぱり佐野市まで1時間ぐらいかかってしまうんですね。なので私自身とその仲間2人の他にも、佐野市近くに住んでいて頑張ってくれる人を2人ぐらい探したいですね。
qbc:改めて、このサービスに対してどんな気持ちでやろうとされてますか?
小野雅之:僕たち理学療法士、リハビリテーション専門職の視点っていうのは、医療だけではなくてやっぱり介護にも使えると思ってますし。それ以外にも普通の一般企業だったり、地域の社会課題の解決にも使えると思ってるんですね。それがなぜかっていうと、やっぱり世の中で起きている問題点や課題の原因を追究するってのが、僕ら理学療法士にはできるんですね。
リハビリを提供する上でも、肩が痛いと言っても実際は肩は悪くなくて、腰の動きが悪くてとか首の動きが悪くてっていうこともあって、やっぱり原因を追究して、そこを治さなければならないというのがあるので。
今回起業することによって、やっぱり世の中に、佐野市で住んでいる方々や介護職の方々の、ここをサポートするともっと利用者もあなたもスムーズにできますし、僕たちが介護事業を展開することによって、病院に入るのを1日遅らせることができるかもしれないし、病院から安心しながら帰ってくるのが1日早くなるかもしれないよっていうように、やっぱり本当に地域で、あなたの家で最期まで暮らせるっていうサポートをできると思って信じて起業するので。ワクワクしてる状況ですね、今は。
qbc:理学療法士さんと介護は、かなりレアな組み合わせなんですかね?
小野雅之:そうですね。理学療法というものに知識がない方がほとんどなんで、今みたいなご質問がありがたいんですけれども。理学療法士や作業療法士っていうリハビリ専門職が、介護の仕事をするってことは、ほぼない。介護職から理学療法士作業療法士になる人は結構いるんですけども。理学療法士や作業療法士っていう、リハビリの専門家から介護に行くっていうのはあんまりないんですね。
それがなんでかっていうと、給与面でどうしても下がってしまうってこともありますし、どうしても教える・教わるっていう立ち位置が、若干逆転しがちなんです。世の中的には。なので、本来は先生でも何でもないのにリハビリの先生とかって言われちゃうので、勘違いしちゃうリハ専門職が多いんですよね。看護師やリハ職から言われたことを介護職がやるみたいな感じになっちゃうんですけれども。そういうこともあって、リハから介護って、なかなかいないですね。
で、リハ職が開業とか起業するってなると、街を車で走ってるようなデイサービスだとか、訪問看護ステーションっていうところを経営してる人は結構多いんですけれども。僕らが行うように、訪問する大部分の職員が基本的に介護職っていうような事業所を立ち上げるっていうリハ職は、あんまりいないと思います。
qbc:リハビリテーションっていうのは、リハビリのプランを作るんでしょうか?
小野雅之:プランを作るのは、ケアマネジャーっていう人がいるんですね。しかし世の中の仕組みで言うと、ケアマネジャーっていう人がいたときに、その方がプランを組んでリハビリが必要とか、介護サービスが必要、訪問介護っていうおうちに来るヘルパーさんが必要、ってなってくるんですけれども。今回もケアマネージャーさんが、定期巡回が必要って言ってくれたとしてもですね、僕たちは24時間365日ふれあえちゃうので、僕ら自身で、プランを提案することもできちゃうんですよ。
qbc:なるほど。
小野雅之:ケアマネジャーさんは必要なことに対して依頼をしてくれるんですが、その中身まではあまり、ケアマネジャーさんが細かくは立てにくいんですね。月に1回とかしか行かないので。それを僕らは立てられちゃうっていう、逆に提案もできちゃうような事業だったりするんですね。
あとプラス、僕たちリハ職種っていうのは、基本的に医師の指示がなければ動けないっていう立ち位置なんですね。これは理学療法士法、作業療法士法というので決まってるんですけれども。医師の指示がないと僕たちは治療行為ができないんですね。なので、そこが今回、僕たちは介護職員初任者研修という研修を受けた介護職として働くので、医師の指示がいらないんですね。こうなってくると医師が主従関係ではなくて、医師と一緒に同じ立ち位置で、こんなんですけどどうですかって提案できるような、コメディカルの仲間内の1人に巻き込むことができそうだっていう感じなんですね。
それが今まで介護職の方々だと、やっぱり医療的な知識が乏しいので。受診に付き合っていったとしても、利用者の身体状況とかもうまく伝えられなかったり、看護師にこんな状況ですと伝えられなかったり、本当はこうなんだけどって言えなかったりするんですけども。僕たちリハ職がトップにいたり、セカンドにいたりとかするので、やはりその他の医療職とも対等に話ができるし、病院の相談員とも意見交換がちゃんとできるし、なんなら、僕らは地域や在宅生活を支えることのプロフェッショナルなので。この佐野市のリハ職の在宅の視点だとか、地域の視点っていう底上げにもなるんじゃないかなんて考えてます。
qbc:今まで、なぜそういうことができなかったんでしょう?
小野雅之:それはですね、収益構造もあるかもしれません。やはりリハ職や看護職っていうのは、基本的にお給料が高いんですね。なので、資格を持っていたとしても介護職としてのお仕事をやるってことがなかなかできないんですね。僕はケアマネジャーの資格も持ってますけれども、ケアマネジャーより理学療法士のほうが給料は高いので、生活を考えると飛び込めなかったですね。
qbc:はいはい。
小野雅之:ましてや、訪問介護ってなったら、さらに下がっちゃうんですね。ですけれども、今回僕たちがやりたい事業には給料もしっかりと稼いでいける可能性があると思っています。
今までの訪問介護はやはり都度都度払いというか、1回500円とか1回1000円というふうに決まっていて、どんどんたまっていくんですけど。
僕らは定額制になるので、フィットネスクラブとかの会員みたいに、月いくらでやらせてもらうんですけれども。今までの介護職の方々っていうのは、めちゃくちゃホスピタリティ精神に溢れているので、やってあげたい、長くいたいってのが非常に多かったはずなんですね。ボランティアから派生したりだとか、やっぱり家族の介護をしてたからしごとにしたりした人が多いので、やっぱりいっぱい手当をしてあげちゃいがちなんですね。
それが僕たちは定額制であり、ちゃんとこの人にはここまでができるからここまででいいよとか、ここは頑張ってもらおうよっていう、評価、アセスメントって言われるんですけども、それを適正量にすることができるはずなので。そうするとちゃんと利益を確保できるんじゃないかなって考えてます。
qbc:なるほど。定期巡回随時対応型っていうのは新しい仕組みなんですか?
小野雅之:はい、平成24年にできたものです。
qbc:これ自体は、あまり普及していないんでしょうか?
小野雅之:普及度はかなり少ないです。国や厚労省はこれをどんどん進めていきたいと思っているんですけれども、どうしても人の手が足りないという感じで。その訪問介護の事業の中で、収益率は、高いところは高く取れているんですけれども、どうしても赤字の事業所も多いので、どこも手が出せないって思っちゃってるんですね。なので月に1回行こうが100回行こうが同じってなったら、できるだけ少なく行った方がいいって、経営の方は思うんですけれども。
介護にあたって評価とかアセスメントとか、ケアマネジャーさんも基本的には元介護職の方がケアマネジャーさんになったりするので、そうなってくると、やはりその適正量ってのが、なかなかぼやっとしちゃうこともあるんですね。自信を持ってこの人は1日2回で大丈夫なんですとか、この人はこれを入れると、転びにくくなるかもしれないけども、抜くこともできるかもしれない、そうすることによってお金を下げることができるかもしれないとかっていう話も、僕らはできるんですけども。
ケアマネジャーや介護職の方々が、基本的にやっぱりいっぱい来てほしいし、ものはいっぱい入れたいとかっていうふうになってくるので、ちょっと違う視点になるんですね。なのでやっぱり人がたくさん行けば、その分だけ人件費かかってしまうので、経営的にうまくいかないってのがあるようなんですけれども。
これをうちは鹿児島のグループ会社として栃木で法人を立ち上げて、鹿児島や福岡でも立ち上げてたりとかするんですけども、やはりそのリハ職が定期巡回随時対応型っていうような事業所を、ポツポツ全国でも立ち上がり始めているので、そこの先駆けとして、ちょっと僕らがその世界に踏み入れていくって感じですね。
qbc:小野さん個人が、理学療法士から外れるっていうことなんですかね?
小野雅之:基本的には理学療法士っていうのは国家資格で、更新制ではないので。理学療法士ではずっと持っているけれども、メインの動き方としては訪問介護員という感じになる。
qbc:この個人的なお気持ちってどんなものですか?
小野雅之:僕はそれはやはり、ワクワクしていて。なぜならもう、訪問リハビリもやってきましたし、手術翌日からのリハビリもやってきたんですけど、やっぱり一人ひとりの人生や、その人の家族や親戚の人生を変える介護ができると。それを、リハ職の視点を持って介護ができるっていうことで、めちゃくちゃその人の家族や親戚や、その地域の人の身近な存在になれそうな気がしていて。
それで僕、「地域を明るくするリハビリテーション専門職の会」っていうのを立ち上げてたりだとか。「地域を明るくする超行動派理学療法士おのちゃん」って名乗ったりとかしてるんですけども、その辺がやっと本当にリハ職っていう肩書きを外した中でも、やれそうなのがあるな、なんて思っていて。
qbc:うんうん。
小野雅之:今回、無名人インタビューさんがいいねをつけてくださって、申し込みをさせていただいたんですけれども。理学療法士っていうのより、本当に小野っていうものの裏に理学療法士だったり、ケアマネジャーだったり訪問介護員だったり、いろんなものがついてるっていうふうに持っていきたいなというのが、やっとできるかな、なんて思ってます。
qbc:質問が変わるんですけど、ご趣味はありますか?
小野雅之:趣味はもう、それこそ市民活動ってのが好きで。リハ職の視点を持った上で地域をどういうふうに面白くできるかとか、住民同士が繋がるといいなとかっていう活動を2017年からやってきましたので、仕事と趣味が一緒みたいな感じです。
qbc:2017年からどのようなことをしてたんですか?
小野雅之:市民活動は、東京都府中市で2017年から始めたんですけども。僕は、普段仕事をされてる方だったら、どの方もみんなプロフェッショナルだなと思ってるんですね。僕府中ではマンションに住んでたんですけれども、そこには銀行の人もいるかもしれないし、会社の経理の人もいるかもしれないし、それこそパソコンが得意な人もいるかもしれませんし、栗林さんも人から話を聞くプロフェッショナルと思うんですけども。そんな人たちが、その時間をちょっと地域のこと、市民のことに向けたらですね、そういう人が集まったらどんな会社よりも強いんじゃないかと、僕思ってて。
僕が東京都府中市に住んでたときは、朝の6時半に家を出たら夜の11時ぐらいまで帰って来ないので、府中市民なのに府中には何も貢献できてないと思ったんですけども。それがみんな、今テレワークだとか、子供の手が離れたとかで、働き盛りの人たちが、ちょっと自分の能力を他の人にパスしたらですね、めちゃくちゃ面白いことできるよっていうことを、東京都府中市が広めていて。なので自分の住んでる街に愛着がわいたりだとか、自分の住んでる街に自分の力を提供できるってことの素晴らしさ、っていうのを広めていく活動をしてました。
qbc:その延長線上に、今の活動があるってことですかね?
小野雅之:そうですね。今回、事業を行うこともですね、地域密着型ってことで佐野市のことばっかり考えてるんですね。隣に足利市とか栃木市ってあるんですけど、基本的にはそこでの利用者さんのサービスができないんです。そうなると、本当に佐野市のことだけやればいい、佐野市が幸せになればいい。それが、もっと隣の地域でもいいし、そういうのがない地域でもしたいって言ったら、やればいいし。僕らの全部真似してもらっていいよっていうのはいつも思っていて。
僕は行動するのがすごい得意で、いろんな人と繋がるのが得意で、発信するのが得意なので、全部僕の知ったやり方をプレゼントするから、みんな自分の地域で自分がやれることやってみたらスゲーわくわくするぜっていうふうに思ってて。今回それを、仕事の中でも介護職として働いて、いろんな人と、地域と繋がらなければいけない。
ゴミ捨てって、介護の資格を持ったプロがやらなくてもいいはずなんですよ。だからゴミ捨ては、じいちゃんやばあちゃんの隣に住んでいる大学生とかに、ちょっと火曜日一緒にこれ捨ててくんねとかってお願いできたりとかするような、地域の力を本当に使いながら、利用者を支えていけるんじゃないかなと思っているので。本当にその、市民活動をやっていた誰か、自分の持ってない能力を誰かから借りるってことが、すごい言えるような立場になったし。それをお願いすることによって、自分ができないもっと遠くまで行けるっていうところが、ワクワクしているところですね。
qbc:性格は、周りの人から何と言われますか?
小野雅之:性格はですね、変態って言われます。やっぱりこんだけ行動したり実践したりだとか発信するのが好きで、すぐ動き回るから、周りが元気になるし、パワーが溢れているって言われて。それでいてだいぶ脂が乗ってきたので、尖りが少なくなってきたんだと思うんですけれども。なのでマンションの理事長も2回やったんですけれども、僕より10ぐらい上の管理会社の人に、「これだけの人格者はなかなかいないっすよ」って言われたときには、ちょっと鳥肌が立ちましたね。
それは僕、今年46になる年なんですけれども、やっぱりマンションの住人は50代60代もいますし、いろんな批判をされたりとかもするんですけども、その辺りをうまくまとめながら話をゴールに持ってったりとかするっていうところで、実行することは実行すると、かなり改革もしたので。この辺はもう、マンションの管理会社にも、ここまで動かせる理事長、理事会はなかなかないですねって言われたのも、自信にもなりましたし。
あとはもう、出会う人出会う人に「議員になれば」とかって結構言われるんですよ。こんなこと言われるって、なかなか人生で無いなと思うので。やはり自分の考えを適切に言葉で表現することができるようになって、それが他者を否定するわけではなくて、自分はこうですけどどうすかねって言えるような。昔は尖ってて、みんなこれがいいに決まってんじゃんみたいなこと言ってたんですけど。
それが、他者にも認められるようになって、周りからは行動力も変態って言われるくらいやるし、周りを引きつける、元気にさせるっていう能力が高いっていうのは、だいぶ自分が大人になれたのかななんて考えてます。なので起業することも、大体そういうのやめときなよ危ないよとかって言われることが多いと思うんですけども、誰に言っても誰も反対しないんですよね。そこまで来れたのかなってね。
qbc:自分自身では、どんな性格だと思いますか?
小野雅之:自分自身は、もう先しか見てないって感じですかね。なので、常に成長したいっていうか、常に面白いことに取り組みたいとか、ワクワクしたことに行きたいっていう感じなので。努力することが多分、好きなんだと思うんですけれども。
あと僕、スケッチブックに筆文字で資料を書いて講話をしてて。参加者が1名だったり0名だったりとかが、407名までやったことがあるんですけども、それをうまくなるためにもコツコツ、今YouTubeに筆文字動画を1150回ぐらい上げたのと、Facebookに上げたのは2000回やったりとかしたので、やっぱりそういう努力も好きなんだろうなと思ってます。
qbc:身近な人からは、性格ってどう言われますか?
小野雅之:身近な人からは、なんだろうな。元気にさせてくれるだとか、自分の考えをしっかり持ってるだとか。楽しくさせてくれるとか。そういうふうには言われるかもしれませんね。明るいとかは、言われなくなりましたね。
qbc:言われなくなった?
小野雅之:はい。多分それはもう、大前提みたいな感じなんだろうと思います。
過去:僕これはみんなに驚かれるんすけど、転校したときに、「トークで生きてく」って決めたんですよ。10歳のときに。
qbc:子供の頃はどんなお子さんでした?
小野雅之:ちっちゃい頃からテレビに出たいなって思ってて。僕が小学生のときに「あっぱれさんま大先生」っていうのがやってたんですけども、自分の母親に、あれに出るためにはどうしたらいいんだ、ハガキ書いてくれって言ったんですけど、出れなくて。
ずっとやっぱり人前に立ったり、人前で喋ったりするのがすごい好きで。学級委員やったことも何度もありますし、本当に明るくて。高校のときもジュノンボーイコンテストに応募してみたりとかしてたんですね、雑誌のモデルとか。大学生のときには実際、恋愛をしながら世界を旅する番組にも出演したことがあったんですけども。やっぱりチヤホヤされたいっていうか、テレビ番組に出たいってのが叶ったので。運動はあまりできなかったんですけど、バレーボールに出会ったことで、全国大会は中学校と大学と行きましたし、本当に自分で決めたことはやるタイプだったのかななんて思います。
qbc:小さい頃の遊びとか覚えてます?
小野雅之:木登りとか、秘密基地作ったりとかやってましたね。あとは公園で、プラスチックのバットとゴムボールで野球やったりとか。外にいるのが多かったっすね。ゲームはそんなに得意じゃなかったっすね。
qbc:小中高と、どんな学校生活だったんですかね?
小野雅之:小学校3年生で、神奈川県藤沢市から神奈川県綾瀬市に引っ越してきたんですけども。僕これはみんなに驚かれるんすけど、転校したときに、「トークで生きてく」って決めたんですよ。10歳のときに。それはなぜかというと、小学校3年生で転校したときにですね、やっぱり足も速くないし、その頃みんなにチヤホヤされてたサッカーができるかっていうと、それもできないし、勉強ができるかっていうとできなかったし、顔がいいかというとそうでもなかったんで、もう喋りで生きていくしかねえって、そのとき決めたんですよね。
で、やっぱりいろんな人前で話したとかしてたんですけど、どうしても小学校中学校ってのは男子の中でしかウケなくて。人をちょっと小馬鹿にするようなことをして笑いを取るみたいなことをやってたんですけども。やっぱりそれが大学んときに、それじゃ駄目だってことで、男性も女性も笑わせられるようにするために、人の悪口言ってもしょうがないっていうに変わっていって。
なので、小学校でトークで生きていくと決め、中学校で全国大会に行くようなバレー部にいながら、だから女の子とは全然、喋れるけど彼女もいなくて、モテなくて、だけどモテたいと思って。高校でもバレーボール推薦で行って、学校で寝ちゃって先生にお前何しに来てんだって言われたら「バレーボールするために学校来てんですけど何か?」っていうふうに言っちゃうぐらい、ちょっと尖ってて。
そのときもやっぱり、男子の中で笑いは取れるけども、女子はなかなかっていうのがあって。大学になってテレビ出て、女子とも話せるようになって来て、そっからはもう社会人になって、もう1回リハビリの専門学校入り直すんですけども。男子も女子も話を合わせた上で、その場の雰囲気を明るくすることができるようになってたっていう。なので、ずっとバレーボールとトークをずっと磨き続けた感じですね。
qbc:バレーボールはいつまでやられてたんですか?
小野雅之:大学4年までやってまして。それも、高校のときに関東大会で終わっちゃったんですけれども。僕、身長182センチあるんですけども、そのチームではでかかったんすけど、全国レベルに行くとチビなんですね。なので僕は、社会人までバレーやりたいと思ってたけど、これはできねえなって高校の時に悟って。なので大学まではやりきるぞと。大学も桜美林大学っていうところで、初めてインカレベスト16まで行ったんですけれども、そこぐらいまで行けたのは奇跡かなと思ってます。もっとすぐ負ける予定で行ったので、旅費が足らなくなるぐらいだったんで。なので社会人では通用しないとわかって、大学までやったって感じですね。
qbc:大学のときには、テレビに出てたんですね?
小野雅之:素人が恋愛をする旅番組に出てました。恋愛して世界を旅する番組ってやつがあったんですけども、僕が出たのは、「TOKIOのな・り・ゆ・き!!」っていう、TOKIOが司会者の番組だったんですね。僕んときは一つの国で恋愛を完結させる旅だったので、10泊13日で僕、ペルーに行ってきたんですね。ペルーで恋愛をするっていうふうに、車とか電車とか乗りながら恋愛するっていう旅に出て。それの視聴率が良かったので、今度長寿番組になった「あいのり」っていう番組がやったんですけれども。
あいのりっていうのは、世界中ぐるっと回って失恋するまでいられる、成就するか失恋するまでいられるっていう番組なんですけれども、僕らの視聴率が良かったんで、番組がゴールデンに上がったんですけれども。おのっち振られたしそっちにも出ないかって制作会社が電話来たんですけども、そのとき就職していて。僕、休みもらっていきたいんですけどって会社に言ったら、なかなかそれはできないんじゃねえかって言われて、そんときはちょっとコンタクトレンズ屋に残ることを選んでしまったんですけども。
qbc:なぜ、その番組に出たんでしょう?
小野雅之:それは彼女欲しいってことも、もちろんありましたけれども。タレントになれるためには、テレビに出ることで、ここの実績がタレント事務所に生きるんじゃないかと思ったんですね。
qbc:タレントになりたかったんですか?
小野雅之:そうです。なりたかった。就活でも、タレントになりたいですって、学校の大学の、就職相談室とか、そういうところにも言ってました。
qbc:最初はどうやって番組に応募したんですか?
小野雅之:公募があって、履歴書とか送るんです。そんでオーディションに行けるかどうかも、ずっと連絡待ちなんですね。それで、待ってたらフジテレビまで行けたって感じですね。僕の場合は、ずっとキープだったんですね。何人か参加者がいる中で、キャラクターがかぶってもしょうがないので。いろんなキャラクターがいて。制作会社が、弱いキャラクター、失恋キャラクター、強いキャラクター、モテキャラクターとかいろいろいる中で、僕の場合は、モテないキャラクターで。僕、そのときのキャッチフレーズが「童貞おのっち」だったんですね。
qbc:はいはい。
小野雅之:そのときは恋愛も彼女もいなかったので、そういうあだ名をつけられて。そのときはめちゃくちゃ恥ずかしかったんですけど。そのキャラクターとして、恋愛ベタなかわいい子みたいな感じで。周りはタレントの予備軍みたいな、モデルだったり、バイトしながらやってる役者だったりがいたので。
それまで、僕がトークではいろんなとこでも通用すると思っていたんですけども、自分のクラスでも部活でも喋り手としていたのに、そこに行ったら僕が一番口下手だったっていうことを知ったときに、この世界の厳しさはすげえなと思って。タレントになるのはやめようと思って。で、コンタクトレンズ屋に就職したって感じなんで。タレントになれると思っていたんですが、全然能力が足りなかったっていう。
qbc:リハビリの専門学校に行かれた理由ってなんですか?
小野雅之:それはですね、コンタクトレンズ屋で1年目から結構成績を出していたので、2年目からは店長候補生っていう感じで。7年目、8年目の人たちと一緒に、池袋のサンシャイン60にある本社に行って研修とか受けたんですね。そのときに、この2年目の若造で店長候補とかってなっちゃうってことは、この先の会社大丈夫なんかいって思ったんですよ。
qbc:うんうん。
小野雅之:自分より年下の子たちが、これからコンタクトレンズをつけていくはずなのに、若者は減ってくぞと。そんときに、西武の松坂がレーシックって目の近視手術をしたんですね。この近視手術がどんどん発展したら、コンタクトレンズの業界はやばいんじゃないかと思って。プラス、偉くなればなるほど土曜日曜の休みが取れなくなるってことは、僕そのとき彼女もいないし結婚もしてなかったんですけど、運動会とか授業参観に行けなくなると思って。なので自分より年上を相手にする仕事で、目の前でお金が動かない仕事がいいなと思って。
やっぱり売り上げは良かったんですけれども、関東でトップ5とかにいつも入ってたんですけども。この人にはAのレンズの方がいいよねって思うのに、会社はBのレンズ売らなきゃいけないからBを勧めたりとかしなきゃいけないってのが面白くなくなっちゃったのと。あとはそうですね、自分の持ってる知識技術話術を、もっと目の前の人に使いたいってことで。
介護か、リハかってなったときに、介護に行けば2年間で仕事には就けるけれども、入ってくるお給料もそんなに高くないと。でも、先行投資として700万、800万突っ込むんですけど、リハの専門学校に行って出れば、そのとき本屋に置いてあった資格本には1000万プレーヤーも夢ではないみたいなことが書いてあったので。それで、老いていく人をサポートしていく介護より、良くなっていくことを目指すリハ職のほうがいいんじゃないかと思って、そのときはリハ職を選んで、リハ職の専門学校に行きました。
qbc:学校で資格を取って、職業に就いたということですね。
小野雅之:僕の場合はまたそれがイレギュラーで。理学療法士の養成校の先生っていうのは、臨床経験が満5年の6年目からなれるんですけれども。僕が行ってた東京衛生学園っていう、東京都大田区にある学校は、関東でも歴史が古い学校だったんですね。なのでそこの学校卒業したらそのままそこに採用されたというか、お前はここに就職しろみたいな感じになってたんですよ。
それが何でかっていうと、先生方は頭のいい人を指導するのは楽なんだけど、ちょっとドロップアウトしそうになったりだとか、ちょっと社会人経験のあるような人をサポートする先生がなかなかいないと。なのでお前は勉強はできないけど、人を引きつける能力もあったりだとか、学生の指導も多分、ちょっとやばいやつの指導ができんじゃないかってことで、教員にならせるから、その臨床5年間は、学校の系列の施設で修行してこいみたいな感じになって。学校にそのまま就職して、出向先の施設で働いてたんですけども。
でも、臨床5年で教員になったところでですね、まだまだもう、ペーペーもペーペーなんですね。目の前の自分の利用者や患者をよくすることもしっかりできないのに、学校の教員になっても駄目だなと思って。4年間でその学校を辞めて、出向先にも残ってくれないかって言われたけど、いやそれはやだって言って、人の生きること死ぬところをしっかり見ようと思って、病院に就職しました。
qbc:その後はどんな感じで行きましたか?
小野雅之:病院で、人の生きるところ死ぬところ、医療というのをしっかり見た中で、やっぱりこの世界で医者を味方につけなきゃいけないってこともわかりましたし。その上で、やっぱり病院内だけでやってても、その人が退院する先のことを知らなきゃわかんないってことで、やっぱり面白くなくて。そこである事件が起きて訪問リハに異動になり。訪問リハやって人の家でサポートしてたら僕、地域支えられてると思っていたらですね。いやもうそれだけじゃなくて、その人がいるコミュニティ、近所の自治会、その人が通っていたゲートボール場とか、そこまで知らないと、その人が本当に生きやすい、今までのところに戻れないってことを知って。医療とか介護ちっちぇーと思って。
その頃から介護予防って言って、介護保険を使っていない人、医療保険も、病院にそんなに通院していない人たちが集まるような自治会老人会とかで、介護予防の講話をするようになって。なんで2015年から、そういう活動を始めて。自治会老人会、あとはそういう方々をサポートしている職種の方々だったり、介護職だったりっていうので、みんなでリハの視点を知ることによって、地域って明るくなるよねと思って、その活動をやり続けた感じですね。
なので、病院に所属しながら地域を明るくするように、リハの視点を通じて、リハビリテーションを通じて地域を明るくするってことができると思っていたんですけれども。やっぱりリハビリを前面に押し出しちゃうと、先生みたいな感じになっちゃうので、それが、ちょっと変えなきゃいけないってことで。自分の住んでる東京都府中市、仕事は神奈川県大和市でやってたんですけれども、自分の市では介護予防というのも使うけれども、もっと市民の力っていうか、市内の社会人の力もすげえものがあるなってことで。市民活動にはまっていきながら、武器としてはそのリハビリの視点があるから、普通のおっさんとしても活動ができるようになってたと思います。
qbc:2015年というと、30代ですかね。
小野雅之:そうですね。
qbc:これまではどんな人生だったと思いますか?
小野雅之:人生楽しんでるなと思います。中学校からバレーボールずっとやってるのもそうかもしれないですけども、努力すれば大抵のことできんじゃないかと思ってるんですよ。可能性はいくらでもあると思っていて。どんどんやっぱり自分が今知り合ってる人たち、違う人たちと知り合っていくと、また新たな世界が見えて、そこに行って自分がまた対等に話し合うことができたり、議論することができるっていうのをどんどんやっていったら、今があるので。
家族というものは守りきれなかったんですけれども、なりたい自分には近づいているかなと思ってます。やっぱり僕の、自分のモットーっていうのは、子供たちに誇れる仕事をして、かっこよすぎる大人になるっていうのがあって。だから子供たちっていうのは、今はちょっと離れて暮らしていますが、息子たちにはやっぱり今ネットとかでいろいろ検索もできますので、僕が生き生きと仕事をしていて、世の中を支えられている、地域を明るくするために必死こいてるってところに気づいてくれるのが、いつかあればいいなんて思ってます。
qbc:なんで離婚したんですかね?
小野雅之:基本的には妻との価値観の違いってのがあって。妻は自分の両親が自営業をしていて、家から近いところで、お昼ご飯は自分ちに帰ってくるみたいな町工場を経営してたので、常に家族で一緒にいるってのが当たり前だったし。
僕の場合は父親が車の製作をやってる工場勤務、メーカーの勤務なので、夜勤もあったり出張もあったりするのが当たり前で、家にいないことも多々あると。やっぱり、家族という価値観に対しても違って、普段から家にいて欲しいっていう人だったんですね。僕が市民活動とかやって新たな人と知り合ったりするのも、「なんでそんな新しい人と知り合うの?」とか。僕は理学療法士としても、介護予防事業で外に行ったりで、どんどん世界を広げていきたい僕との価値観がちょっとそもそも違っていたのと。
未来:世界でテクノロジーと、僕の知識と経験というのを合わせながら、世界中をサポートしたいなと思ってます。
qbc:今後、10年30年40年と、どんな未来を迎えたいですか?
小野雅之:これから起業しますが、この起業をした上で、一事業所だけで終わるつもりはなくてですね。これを3事業所、5事業所とやっていくと、自分の時間と、自分が面白いと思ったことに費やすお金が作れると思ってるんですね。そうすることで、世界進出をしたいと思ってるんです。
やっぱり日本って世界一の長寿国になってますし。あ、世界有数ですね、一位じゃないかもしれないですけど。あとはその高齢化率っていうのが、ダントツでスピードが速かったので、世界中が真似をしてくるはずなので。やっぱり日本と同じようなアジア圏を、リハビリテーションの視点を生かすことで、地域地域を明るくしていきたいってことがあります。なので50歳、60歳までの間には、日本と世界を行ったり来たりできるような事業展開をしていきたいなと思ってます。
あと、それと同時にですね、今一緒に事業をしてくれる人が、人生のパートナーにもなり得ると思っている方がいまして。その方との趣味が、47都道府県ツアーで。ハイエースのキャンピングカーを買って、47都道府県ツアーしたいなっていう夢が今あってですね。日本を、講話をしながら仕事をしながら回りながら、キャンピングカーで行きながら、その土地その土地で仕事をしながら、そして地域のリハ職や介護職に、いろんな話をしながら、住民でもいいんですけども、それを車で回っていって、名所を回れたらいいねなんていう夢があります。
qbc:そうなると、事業所自体はどうなっていくイメージなんでしょう?
小野雅之:事業所はですね、やっぱりもうテレワークというか、オンラインでどこでも対応できるはずなので。なので、任せる人をまず育成した上で、事業所の代表でありながら、金曜の夜から出発して、仕事を土曜日に入れて、どこか回るとかっていうのを、どんどんやっていきたいなって感じなんです。
qbc:訪問介護を自分も続けるっていうことなんですね。
小野雅之:自分も続けた上で、後進に任せながら、自分も相談を受けるときは受けて。それがもう、あの日本にいようが世界にいようが、多分もうネットが繋がってりゃ、フォローできると思っていますし。実際今、遠隔でリハ職が困ったことを聞いて、そこでこういう動きしたらいいんじゃないのとか、こういうサポートしてみな、なんていうのもできているので。
ゆくゆくは多分、今ドコモのCMで、離れていても味がわかるとか触ったのがわかるとかって言ってるのとかももっと簡単にできるようになると思ってるので。僕の分身がこう、6Gでは僕がそこにいなくても、触ったりしたらこうやれるよ、なんてのもできると思ってるので。世界でテクノロジーと、僕の知識と経験というのを合わせながら、世界中をサポートしたいなと思ってます。
qbc:介護する現場から離れたくはないってことでしょうか?
小野雅之:指導者としていたい感じですね。僕がやることには限りがあると思っているので。僕が指導者であったり経営者だったりとかしながら、メンバーの育成をしながら、実際に介護の現場にはいないかもしれないけども、介護の現場を支援している子、介護をして利用者を支援している子を支援するっていう「支援者支援」っていうのをずっとやり続けたいなって感じがあります。
qbc:オーナーじゃなくて、経営をしたいってことですか?
小野雅之:そうですね。僕ファイヤーとか全然興味なくてですね、お金が貯まったら仕事しなくていいとか、僕は多分無理で。ずっと仕事してないと生きがいやりがいがなくて、死んでしまうような気がしていて。
qbc:例えば経営が安定してきたら、他の仕事をするっていう選択肢はないんですかね?
小野雅之:今だとその介護人材の育成、ベトナムだとかミャンマーだとかそういうとこの、アジア圏での育成という教育にも興味があります。でも今僕の中では、介護から全く外れたっていうのは、そうですね。やっぱり社会課題を解決するっていうところで、コンサルタントないし、アドバイザーないしで、やっぱりどこの町でも、行政だけではできないNPOだけではできない、やっぱり市民活動だったりだとか、地域の今までにいろんな経験をしてる人を、Iターンだったりだとか週末起業家とかで育成したりとかしてるので。やっぱりそういう社会資源の中で、みんなそこにいる住民のパワーはすごいもんだぜっていうのでも、市民活動の延長線上っていうのは、やってみたいなと思います。
qbc:もしもの未来の質問をしていて。介護をしてなかったら、理学療法士になっていなかったら、どういう人生になっていたと思いますか?
小野雅之:医療と介護に携わってなかったらですね。コンタクトレンズの販売員は、やっぱ実際楽しかったので、販売員とか、営業をやってる可能性もありますし。教員免許も持ってるので、今この知識でいけるんだったら、教員もいいなと思ってます。
qbc:教員だと、小中高のどれがいいとかありますか?
小野雅之:やっぱり高校生ぐらいがいいなと思ってて。くすぶってる子たちが、もっと可能性あるからそんなにスネてんじゃねえよって、実体験をもとに言える先輩みたいなのがいいかなと思ってます。言うこと聞かないやつらを聞かせたいというか。
qbc:何をしてるときが一番楽しいでしょうか?
小野雅之:人と話して、その人の行動変容が起きて、それが社会貢献に繋がるようなことが、非常に僕は嬉しいなと考えているので。自分だけができてもしょうがないなって、今すごい思ってて。本当に後進の育成を、同世代から後進、先輩はなかなか変わらないと思うんで、同世代から後進にもっとチャンスあるぜ、もっと面白いことできるぜっていうので、その相手が、何かこう目がキラッとしたらとか、おっいけるじゃんって思う、その行動変容が出たときが、めちゃくちゃ楽しいですね。
qbc:最後に言い残したことがありましたら、お伺いしています。
小野雅之:これからもかっこよすぎる大人になるために、医療介護のみならず、いろんな視点を持ち、実践しまくっていきたいと思ってますので、応援よろしくお願いしますってところですかね。
qbc:ありがとうございます。
小野雅之:ありがとうございます。
あとがき
とはいえ、時折地元に足を運ぶこともあり、着いたら着いたで懐かしい感じに包まれますよ。
この店がなくなった、あの店は新しい店だなとか駅前見てそう思ったり。
みなさんの地元感覚もぜひコメントで教えてくださいね!!!!!
介護についてもコメントで教えてくださいね!
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:なずなはな】
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