【AOE2DE】文明メモ(39)スラヴ
東欧文明シリーズ。スラヴはHD時代のフォーガトン拡張パックで登場。「歩兵文明」とはいうものの騎士やユニークユニットのボヤールが中盤の主力になりがち。畑の効率や、家が多少少なくて済むといったボーナスは後からじわじわと効いてくる。終盤は安価な攻囲兵器に矛を添えるなどしてじっくり進軍するのが勝ち筋。
「スラヴ」という呼称はやや広義すぎるきらいがあり、「他のスラヴ系文明」との差別化については議論の余地も(後述)。
文明特性と基本戦術
「歩兵と攻囲兵器の文明」。以前は「補給」が無償だったため、ゴートと並んで安価な軍兵をすぐに出せるという売りがあった。今は領主inと同時に放火が無償、となったので軍兵がいきなり家壁をガンガン割ってくる恐怖がある。とはいえ基本的には斥候から騎士+投石機へとつなげるのがセオリー。城主で長剣を出すのは奇策の範疇と思われる。帝王まで進めばへビスコや白ラムとユニテク入りの矛という選択肢はある。
ユニークユニットと天敵
ユニークユニットのボヤール(60F70G)は近接防御の高い騎乗ユニットで、「馬に乗ったチュートンナイト」を想像するとわかりやすい。訓練時間は15秒で騎士(30秒)の半分。EL化(1000F600G)で基礎近接防御が4→8となる他、HP+30、攻撃力+2、射程防御2→3等かなり強化される。ただし鉄工テクも並行して上げなければメリットが半減することに注意。天敵は、そうは言っても長槍/矛。また、ジェノヴァ石弓などのアンチユニットや聖職者、ラクダやバトルエレファント等。そしてリトアニアのレイティス、ポーランドのオブヒとは相性が悪い。
内政ボーナス
畑農民の作業速度が+15%。領主から終盤まで強力に働くボーナス。序盤さえ乗り切れれば……というところ。
テクと出せないユニットのメモ
文明ボーナス
放火とギャンベゾンが無料
……「補給」の廃止により最も恩恵を受けた文明の一つ。
兵器小屋ユニットのコスト-15%
……これが中盤のメインのボーナス。
聖職者の移動速度+20%
……篤信(移動速度+15%)の上位互換。
チーム ボーナス: 軍事建物(小屋類)1つにつき人口上限+5
小屋を乱立していれば、家ミスすることがほとんどなくなる。
ユニークテクノロジー
城主ユニテク: デツィネツ(400W200G)
……城等の石コスト削減。
・城のコストが 650S → 260W390S
・見張り台・監視塔のコスト 35W125S → 85W75S。ただし防御塔にはアップグレードできない。砲台もない。
帝王ユニテク: ドルジュナ/親衛隊(900F500G)
歩兵が範囲ダメージを与えるようになる。
鉄工所テク
鉄工所テクは小手(射手の攻撃力&射程の3段階目)のみ研究不可。
出せないユニット・使用不可テクノロジー
戦士小屋……近衛剣士・矛槍兵ともフルアップの上、放火・ギャンベゾンが無償&自動。帝王ユニテクで剣士も矛も範囲ダメージを持つようになる。
弓小屋……重石弓・砲撃手なし。重弓騎兵アップグレードは可能だが弓懸もパルティア戦術もないため使い勝手は良くない。
馬小屋……近衛騎士アップグレード不可だがハサー・重騎士はフルアップ。ボヤールとの使い分けは戦況による。
兵器小屋……白ラム、破城投石機、ヘビスコ等フルアップの上、コスト-15%。
聖職者……篤信(移動速度+15%)が研究不可だが、文明ボーナスで+20%なので上位互換。他に、異端が研究不可。使い勝手は良い。
学問所……人力起重機、火砲学、建築学、狭間が研究不可。防御塔アップグレード、砲台等も使用不可。建物による防衛には向かない。
内政テク……石の掘削と組合が研究不可。
海軍……重爆破工作船・機動キャノンガリオン船のアップグレード不可。造船技術、サイフォン・焼夷兵器なし。詳細は割愛。
戦績・対策
チーム戦での使用歴なし。対・スラヴ入りチームに対しては43勝41敗。味方にスラヴがいるときは、兵器を効果的に使って森を焼いたり、前線を少数で支えつつボヤールなど機動力のあるユニットで荒らすのが強力なようだ。最初から帝王ユニテク目当てで歩兵主体に行くのは読まれがち。1vs1では1回だけあたって1勝。レート800台の対戦なので詳細は割愛。
キャンペーンシナリオ等
ヴラド・ドラキュラのキャンペーンシナリオ(1448–77)のうち3・4戦目がスラヴとしてプレイされる。また、「勝者と敗者」DLCでムスチスラフのキャンペーンシナリオ(1203–23)が実装された。イヴァイロ(ブルガリア)やアルギルダスとケーストゥティス(リトアニア)、ヤドヴィガ(ポーランド)等で重要な敵役として登場。他にフリードリヒ・バルバロッサ(チュートン)やチンギス・ハーン(モンゴル)でやられ役になっているのは、ポーランドやボヘミア(いずれも西スラヴ民族)が未実装だった時代の名残。
参考動画
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歴史のうんちく
ラストハーン拡張パック以前はチュートンより東側のヨーロッパ文明が存在しなかったため、バルカン半島北部~黒海北岸~ロシアまで広く包含する文明という位置づけだった。DE以降ではルーマニア(ドナウ河北岸)~ウクライナ、ルーシ(モスクワ大公国)あたりまでがスラヴとして扱われている。西スラヴはポーランドやボヘミアに代表されている。
ユニークユニット名の「ボヤール」は中世ロシア~スラヴ諸国の支配階級で、主に保守的な地主であり、また西欧の騎士のように他の土地や公に仕える自由を持っていたという。モルダヴィア公国とワラキア公国(後述)においてもボヤールと呼ばれる支配階級(英語版wikipedia)が存在し、封建領主的に振る舞って軍事力の担い手となったり、農民を搾取したりしていたという。ボヤールは近接防御が高いのが売りだが、リトアニアのレイティス(近接防御力無視)の前には全く無効なのが悲しいところ。リトアニアは、スラヴの永遠の宿敵という位置づけなのかもしれない。
民族の象徴はキジ島の木造教会である顕栄聖堂。釘を全く使っていないことで知られる。18世紀前半に建立され、ロシア連邦カレリア共和国のオネガ湖に現存する。
デティネツとはルーシの城塞を指す用語のことであるらしい。城が半ば木造で建てられるようになる原理は謎だが、もしかしたら上述の発達した木造建築技術が関係しているのかもしれない。
ドルジュナ(ドルジーナとも)とはルーシやポーランド等で君侯に近侍して護衛や助言を行った存在だという。その興りから、当初はノース人(いわゆるヴァイキング/ノルマン人)で構成されていたともいう。後に土着のスラヴ人たちも加わるようになった。
「奴隷」slaveとの関連
スラヴ人の呼称は「言葉」slovoに由来しているとされ、この「スラヴ人」がギリシア・ローマ世界で多く奴隷とされたため、奴隷をSlaveと呼ぶようになった……という順序が有力らしい。
スラヴ人Slavは語源的に奴隷slaveから来ているという俗説が根強い。これまた定説はないが、有力なのは「言葉」slovoから来ているというもの。英語の「奴隷」は話が逆で、「スラヴ人」に由来しているらしい。中世、捕虜となったスラヴ人の多くが奴隷となったからという。
— Mitsuyoshi Numano (@MitsuNumano) April 11, 2022
キャンペーンシナリオ(1) ムスチスラフ
「勝者と敗者」DLCで登場したムスチスラフ・ムスチスラヴィチ(1176以前-1228)は、9世紀のノルマン人リューリクを伝説的な始祖とするリューリク朝の人物。1210年にノヴゴロド公となり、当時のキエフ大公と戦ってこれを打倒。従兄弟(または叔父)のムスチスラフ3世を大公位に就かせた。キャンペーンシナリオ(1203年~)はそれ以前の時代からスタートする。
かなり難易度が高く、前哨戦のミッションをすべてクリアしていても結局は本拠地を一度捨てねばならない。人口上限を増やすためには各種のミッションをこなす必要がある。また、ドルジュナという名前のユニット(中身はセルジェアント)が登場するが、シチリアとノルマン人(ヴァイキング)が同祖であることから荒唐無稽ともいえない。
シナリオとしては、周辺の諸部族を平定し、クマンと結んで一定の戦力を蓄えた後、四方に位置するスラヴ、ポーランド、ブルガリア、リトアニアの4国を屈服させてモンゴルの大軍襲来に備える……というものとなっています。制限時間があるようなものなので、速攻が重要。
各地の陣地を傘下に収めて集合地点を適切に設定し、最終的な逆襲に転じることになる。
キャンペーンシナリオ(2) ヴラド・ドラキュラ
こちらはグッと時代が下がって15世紀のルーマニアが舞台となる。ルーマニアは古代ギリシア・ローマ時代のトラキアやダキアに起源をもつ。ワラキアは現代のルーマニア南部に当たり、ドナウ河南岸を既に併呑したオスマン帝国の次の標的であった。ヴラド3世がドラキュラ(≒ドラゴンの息子、つまり小竜公)と呼ばれたのは、父のヴラド2世が神聖ローマ皇帝ジギスムント(ハンガリー王を兼ねる)によりドラゴン騎士団の団員に任じられたことが背景。ヴラド2世はまた、トランシルヴァニア侯フニャディ・ヤーノシュに対抗するためにオスマン帝国に服属していた(フニャディ・ヤーノシュについてはマジャールの記事も参照)。
そのためヴラド・ドラキュラの1戦目は、文明トルコでスタート。1448年に起きた、又従兄弟のワラキア公ヴラディスラフ2世との公位争いがモチーフで、各地のスラヴ諸侯を味方につけてライバルを打倒するミッション。しかしこのときは2ヶ月で公位を奪回されてしまう。2戦目は父の対立相手であったフニャディ・ヤーノシュの支援を受けて再び公位に返り咲きを目指す。このため使用文明はマジャール。3戦目でようやくスラヴを使えるようになる。ヴラド3世は、1460年にオスマン帝国への貢納金を拒絶して離反。このためトルコだけでなく周囲のブルガリアやハンガリーまで敵に回すことになった。速攻が必要な高難易度ミッション。4戦目は、既にコンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世によるワラキア侵攻(1462年)を迎え撃つミッションとなる。複数の拠点をうまく活用しつつ敵の波状攻撃を撃退する。有名なオスマン兵2万の串刺しはこのトゥルゴヴィシュテの戦いでのエピソード。メフメト2世軍は撤退したが、ワラキア貴族の厭戦気分もあって実弟のラドゥ美男公(ムスリムに改宗していた)に公位を奪われ、更にハンガリー王マーチャーシュ1世に捕らえられて12年間幽閉される。マーチャーシュの妹と結婚してカトリックに改宗し、ハンガリー兵を借りて再度の返り咲きに挑戦するのが第5戦。再びマジャール文明を使用することになる。ラドゥに取って代わろうとしていたダネシュティ家のバサラブ3世ライオタが主敵で、彼とその背後にいるオスマン帝国軍を打倒すればクリア。ドラキュラゆかりの地の旅行記なども参照。
しかし、ヴラド3世は上述の改宗により民心が離れていたこと、ハンガリーの援軍が帰国してしまったことなどから孤立し、同じ1476年(または翌年)にオスマン朝との戦いで戦死してしまう。長年に渡る戦いでワラキアは荒廃し、オスマン朝への服属が確立することになってしまったのだった。彼の運命に抗う懸命な闘いを扱った伝記漫画はハルタで好評連載中。
ボヘミアとの関係
フス派から出たボヘミア王のイジーは、ワラキアのヴラド3世がオスマン帝国から離反するという国際情勢の中、現代のEUに似た諸国連合の構想を説いてオスマン帝国に対抗しようと呼びかけたが理解は得られなかった。
その後のワラキア
ワラキアは17世紀までは正式にオスマン朝に占領されることはなかったが、事実上の属国として扱われていた。1593年にオスマン朝の力を背景に公位に就いたミハイ勇敢公(英語版wikipedia)は、裏切りによりトランシルヴァニア公や神聖ローマ帝国と結んでオスマン朝軍と戦った。彼はまた農奴制を確立して下級貴族の力を削いだ。17世紀末にオスマン朝とハプスブルク家(オーストリア)の争いが激化するとワラキアは再び草刈り場のようになり、オスマン朝からの独立を図る公たちが何度も処刑されている。長年にわたる露土戦争でも度々戦場となり、最終的に19世紀前半にロシアの勢力圏となった。
付記: ルーマニアの歴史概説
1859年にワラキアとモルダヴィアの合同によりルーマニア公国(のちに王国)が成立。第一次大戦ではうまく立ち回って領土を拡大。また戦間期の反共主義・反ユダヤ主義を嫌った国王により1938年に政府を解散し独裁体制となった。第二次大戦では当初枢軸側で参戦したが相次ぐ敗北で国土を失い、1940年にはモルダヴィア共和国が分離。現在のモルドバの起源である。ルーマニアは1944年にソ連侵攻による政変で連合国側に鞍替え。翌年、ソ連に併合され王国としては滅亡した。
共産主義国家となったルーマニアの後半時代を支配したのがかの有名な独裁者チャウシェスク。最近はその極端な多産奨励策(少子化対策)が話題に取り上げられたこともある。1989年のルーマニア革命で失脚して処刑された。2007年にEU加盟。しかし2014年の世論調査等では革命以前に比べ生活状況は悪くなったと認識する国民が多く、チャウシェスク時代を懐かしむ声すらあるようだ。
