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消えない言葉と、生き直し 4話|マヨネーズ味のバラ寿司


退院したい。

自分から、そう言えたのは、私にとって大きな進歩だった。
先生はカルテを見て、「いいですよ」と、短く答えた。
その一言で十分だった。
私は、自分の足で外へ戻る許可をもらった。

退院して最初に、日常に戻れたと実感した場所は、
実家の自分の部屋の、畳のにおいだった。
あのにおいを吸った瞬間、体の奥が少しゆるんだ。
薬の力をかりながらでも、また、生き直せるんだと思えた。

けれど、人と生活するにはまだ早かった。
人に気をつかえるほどの余裕が、まだ私にはなかった。
一年くらい、マイペースで暮らした。
簡単な仕事をしながら、一人で過ごした。

薬は、言われたことを全部守った。
お酒は元々飲めなかったから、逃げ道にはならなかった。
薬剤師の女の先生が、減薬にも協力してくれた。
無理はしない。勝手に変えない。
暮らしを守るためのルールを、黙って守り続けた。


その頃、息子は、友達と遊べないのがつらいからと、
夫と姑の暮らす家に戻っていた。
息子はもう、小学六年生になっていた。

私は、息子が中学生になるまでには、息子の暮らす街で仕事を見つけ、
息子を引き取ると、決めていた。
そうなる自信があった。
誰よりも息子を愛しているのは自分だと、私は知っていた。
それだけは、揺らがなかった。

息子もそうしたいと言った。
「本人がそうしたいなら、しょうがないだろ」と、夫が姑を説得した。
姑には嫌味をさんざん言われたが、もう痛くもかゆくもなかった。

息子との暮らしが、また始まった。
最初に息子としたことは、家庭科の宿題だった。
マヨネーズ味のバラ寿司。
息子が自分でレシピを考えて、一緒に作った。

正直に言うと、すごく美味しいとは思えなかった。
でも、そんなことはどうでもよかった。
一緒にごはんが食べれるだけで、胸がいっぱいになった。

中学、高校は息子の部活動を全力でサポートした。
大学受験の時は、希望の大学の周りを、

「入れてやって。入れてやって」

と言いながら、車でぐるぐる回った。
そんな小さなことが、四年間の空白を少しずつ埋めていった。

父はもう他界した。
母がいなくなってからも、父は毎朝、私の弁当を詰めるだけの形にして置いていてくれた。
言葉は少ないのに、生活だけは途切れなかった。
私がよく謝ると、父は言った。

「親にしてもらったことは、子供に返せばいい」

私は、まだ返せていない。
それでも、息子は大人になり、家庭を持って、穏やかな日々を生きている。

何もかもが完全にならなくても、暮らしは戻せる。
もしまた揺れる日が来ても、立て直す道は作れる。

回復は100%じゃなくてもいい。


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