見出し画像

消えない言葉と、生き直し 2話|父の往復二時間


父に電話をした。
もう、余裕がなかった。

「ごめん。私、もう無理で…」

それだけ言うのが精一杯だった。
父は多くを聞かなかった。

「帰っておいで」

その一言で、私は息子の手を取って実家へ向かった。
父と妹が暮らす実家は隣の県。
高速を使っても一時間かかる距離だ。

父の顔を見て、ほっとした。
その日だけは、安心してよく眠れた。
「助かった」という感覚が、体に届いたのかもしれない。

でも、次の日からまた、朝は来た。
目が覚めるたび、体が先に壊れた。
震えと動悸と冷や汗。
何とも説明できない不安が、勝手に体を占拠していく。

食事は喉を通らなかった。
父はカロリーメイトのドリンクを買って、切らさないようにしてくれた。

私は布団から出られず、二階の部屋にこもっていた。
下で父と妹と息子がどう過ごしていたのか、分からなかった。
ただ、息子は父のことも妹のことも好きで、よく笑っていた。

「お母さんは具合が悪いので、寝かせておいてあげて」

父と妹がそう言っていた。
それでも息子は、時々、私をのぞきに来た。
親の愛情がまだ目一杯ほしい年齢なのに、それを叶えてやれない自分がつらかった。

評判のいい精神科にも行った。
でも、相性が合わないと感じた。
こちらが話す前に、もう答えが決まっているような空気が苦しかった。

妹が、噂を聞いてきた。
友達が通っている精神分析の先生がいる、と。

行ってみた。
精神分析そのものが、どれほど効いたのかは分からない。
でも、その先生が紹介してくれた精神科の先生は、話がしやすかった。
私はそこで初めて、今起きていることに名前があると知った。

全般性不安障害。
そして、パニック発作。抑うつ状態。

個人の病院だった。
先生は言った。
自分が週一で診察に行っている病院がある。
新しくて、ストレスケアの解放病棟があって、個室もある。
今の状態なら、入院した方がいいと思う。

私は、その言葉に救われた。
頑張れと言われるより、ずっと救われた。
「そこで休んでいい」と言われた気がした。

父は相変わらず、多くを語らなかった。
ただ、必要なことをしてくれた。

息子の通学は、高速を使って片道一時間、往復二時間。
後になって知ったが、送った帰りは高速を使わずに帰ったらしい。

父は毎日、黙ってその道を走った。
息子の生活が回るように、父と妹は懸命に支えてくれた。

私はまだ、その時点では先のことが何も見えていなかった。
ただ毎日怖くて、朝が来るたび縮こまって。

それでも、支えのある場所に戻ってきたことだけは確かだった。



いいなと思ったら応援しよう!