60分の祈り〜クリアブルーに想いを込めて〜(前編)
僕は、音楽の力で人を癒す、ミュージック・セラピスト。
今宵、訪れるのは、どんな悩みを持った方かな?
⭐︎1⭐︎
高い空に星の輝く、ある夜のこと。
賃貸マンションの3階の一室。
(……あぁ、今日も、寝れない)
時刻は、深夜2時半過ぎ。静まり返った世界。
窓の外は真っ暗だ。
えみは、ベッドから降りると、メガネをかける。
飲み物を取りに冷蔵庫に向かう。
ツードアの冷蔵庫の下のドアを開けると、500ミリリットルの緑茶をペットボトルで直飲みする。
苦味と冷たさが喉を鳴らし、伝っていく。
「はぁ……」
袖で無造作に口を拭う。
大学生で1人暮らしのえみは、夜眠れず、朝が辛い。
朝の講義にあまり出られず、困っている。
「お腹空いた……」
夜中起きると、お腹も空く。
悩んだ末、冷凍の唐揚げを電子レンジで温める。低い音がする。
待ち時間が暇なので、スマホで音楽をかける。
流行りの歌。友達との話題作りのためだけの、音楽。
タイトルがなかなか覚えられない。
覚えたと思ったら、もう次の流行りに移ってしまう。
最近のは、やたらとテンポが速い。
ほんとはもっと情緒的なのが好き。
昔は、いつも一緒に歌ってくれてた人がいた。……
高い音がして、唐揚げが出来上がる。
慌てて電子レンジから熱いお皿を取り出し、テーブルに載せると、用意していたマヨネーズを、皿の隅に絞り出す。
フォークで唐揚げを刺し、マヨネーズをつけ、口に運ぶ。
肉汁が溢れ、口の中に広がる。
「ん〜〜〜〜!」
今日のは、当たりだ! 製品名を覚えておこう。
えみは、束の間の幸せを噛み締める。
それでも、やっぱり眠れず、部屋の簡単な掃除を始めたり、食器洗浄機を回したり。
食洗機の音は結構大きいし、時間もかかるけど、もう慣れた。その時間を他のことに使える。
皿の音や水の流れる音。
長く続く水音が心地よい。
だんだん、瞼が重くなってきた。
それでも、一晩中は眠れないことは、経験上、よくわかってる。
「明日も、学校、きついな」
こんなんで、立派な社会人になれるのだろうか?
子供の頃は、深く眠れたはずなのに……。
子供の頃?
えみの瞳が翳る。
頭を振ると、ソファに座り直し、ティーバッグのカモミールティーを飲む。
白いマグカップに、明るい黄色が煌めく。
青りんごに似た香り。落ち着く。
ハチミツとミルクを入れて、甘くいただく。
……あれれ?
気づくと、一面雲の上にいた。
踏んで歩いても、なんともない。
柔らかな感触が靴底にして、おもしろい。
「夢?」
また、やってしまった。
不眠の反動か、たまにソファで、数十分から数時間寝てしまう。まえは、それでも、ソファに横になっていた。
いまじゃ、座ったまま眠れるほどだ。
微かに音楽と、安心する香りがした。
「あれ?」
前の方に、建物が見えてきた。そこから、音と甘い香りがする気がした。
「お店?」
小さなお店に入ると、そこは、楽器屋のようだった。
こぢんまりした店内でまず目立つ、大きなピアノ。フルートやギターなどの楽器や音楽の本。
音楽に関する雑貨も扱っているようだ。音符型の蓄光シールが黄緑色に微かに光り、籠の中にピアノの描かれたパスケースが無造作に置かれている。
有名な作曲家たちの描かれたクリアファイル、透明な楽譜ファイル、吹奏楽器の小さくてかわいいストラップ。鍵盤を模した鉛筆。などなど……。
店内には、優しい音楽が、適度な音量で流れている。
アロマのような、いい香りもした。
「え? 3DS?」
えみが子供の頃流行った、折りたたみ式のゲーム機が、ガラスケースの中に並んでいる。
商品名の入った値札が貼られていた。
ライムとブラック、メタリックブルー、ピンクとホワイト。キャラクターつきのイエロー。色々な本体がそこにはあった。
「懐かしい……」
なぜ、楽器屋に? とは思ったが、
パールホワイトのゲーム機を見ていると、後ろから声をかけられた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
イケメンさんだった。
柔らかそうな茶色の髪と、優しそうな黒瞳。青いエプロンをしている。
店員さんだろうか。
(なんだろう、この夢……)
店員が笑った。
「お嬢さん、その楽器に興味がおありかな?」
ちょっと、芝居がかった口調だった。
「楽器? これは……」
「ほら、ごらん」
店員が、ガラスケースからゲーム機を取り出し、それを開く。
軽快な起動音。タッチペンで液晶画面の<サウンドアイコン>をタッチすると、スピーカーから懐かしい音楽が流れてきた。
「ね? 立派に楽器でしょ? 10秒間だけだけど、録音もできますよ」
(録音……)
「僕の名は、ユート。キミは?」
「え。えみ……」
「そう。えみ。いい名前だね。
僕は、音楽の力で人を癒す、ミュージック・セラピスト。
今宵、キミにミージックをプレゼントできる」
ユートが白いゲーム機を手渡す。
「音楽を聴いている間だけ、本当に会いた人に会えるよ」
本当に会いたい人──。
⭐︎2⭐︎
画面に中で、インコが揺れている。
誕生日におとうさんが買ってくれた流行りの3DS。
おにいちゃんとふたりで遊びまくった。
もともとはゲーム目当てだったけど、いつしかサウンド機能に魅せられ
ていた。
えみも、おにいちゃんも、歌が大好きだった。
***
父親の怒号と、母親の悲鳴。
物が乱暴に落とされる音。何かが割れる音。
耳を塞ぐ。
「おにいちゃん、またパパとママがケンカしてるよ」
「うん」
「怖いよ」
「大丈夫だよ」
子供2人で、部屋の隅っこで寄りそう。
「えみ、また新しい歌をパソコンから入れたよ」
「ほんと? また一緒に歌おう!」
3DSにおにいちゃんが入れてくれた、流行りの歌や、アニメの歌を、いつも2人で、顔を突き合わせて歌っていた。ときには、録音して。
録音時間は短いけど、ホイスチェンジや打楽機で遊んだりした。
おにいちゃんのまっすぐな歌声が大好きだった。
自分の歌声と、おにいちゃんの歌声が重なるのが、嬉しかった。
Moonlight いつも照らしてる
Sunrise 信じよう
Promise いつの日か
Your Voice きっとまた逢える
おにいちゃんはいつも優しかった。
なのに、おにいちゃんはいつからか、変わってしまった。
どうして?
歌わなくなった。笑わなくなった。
えみに、冷たくなった。
わけがわからなかった。
増える両親の喧嘩と、
おにいちゃんの皮肉。
「おにいちゃん、歌おう?」
えみはただ、昔に戻りたかった。
でも、
「なんで、おまえの、下手な歌なんか」
「下手?」
ショックを受けていると、
「おまえは何もわからないんだな。だからそんな……。
こんなんもの!」
3DSを取り上げられ、高く掲げられた。勢いよく床に投げ捨てられる。
嫌な音が響いた。
「な……!」
涙目で、慌てて3DSを取り行くえみ。
液晶画面が一瞬だけ輝いて、消えた。
少しだけ、本体に傷がついていた。
涙で世界が歪む。
部屋の空気が冷たく感じる。
何か、変だった。こんなことは、初めてだった。
おにいちゃんは舌打ちした。拳が震えていた。
「おまえは、いいよな。呑気で」
「ノンキ?」
ばかにされてるのはわかった。
「ど、どうして、」
「とうさんたちが離婚するんだ、もう会えないんだよ」
「リコン? リコンってなに?」
「おまえ見てると、イライラする!」
おにいちゃんが、声を荒げ、いきなりえみの頭を殴った。
「いた!」
頭を押さえた、えみの瞳から、また涙が溢れる。
それを見たおにいちゃんは、怒り心頭に怒鳴った。
「みんな離れ離れになるんだよ! おめえなんか、」
「やめて、おにいちゃん……」
おにいちゃんは、えみを蹴り倒した。
親たちの喧嘩に似ていた。
「もう、妹じゃなくなるんだよ」
「……!」
起き上がったえみは、お兄ちゃんに詰め寄った。
「どうして⁈」
「だから……」
「どうして? おにいちゃんは、えみのおにいちゃんだよ!」
「もう、いつも一緒の兄弟じゃ、いられないんだ。
もう、たくさんだ」
「なんで──」
逡巡した、でも、えみは言ってしまった。
「おにいちゃんなんか、大っ嫌い!
おにいちゃんなんか、死んじゃえばいいんだ!」
世界が凍った。
えみは口を押さえた。
返ってきたのは、
「人殺し!」
低い、拒絶の声。
それが、えみとお兄さんの話した最後だった。
⭐︎3⭐︎
「それは、辛かったね」
テーブルに向かい合って、ユートが言った。
「その時の棘が喉に引っかかって、眠れない?」
「……」
ユートは慣れた手つきで、丸いティーポットで、紅茶をいれてくれる。ソーサーに小さな焼き菓子も用意してくれた。
だが、それに口もつけず、えみは俯いていた。
なんだか懐かしい香りがする。
「香りや声が、記憶に残りことは、よくあります。
たとえ、幼い子供だったとしても」
ユートが目を細める。
「あなたが、心から逢いたミュージックは──逢いたい人は、どなたかな?」
「……それは……」
テーブルの上の白いゲーム機を見つめ、ユートが笑む。
「心から、会いたい人に会える、たった、4、5分の魔法」
えみは、自身のショートパンツを、知らず強く握りしめていた。
夢の中だからか、ラフな部屋着のままだった。
「本当に、逢えるの?」
「もちろん!」
「でも……でも……」
相手は、自分とは、もう逢いたくないかもしれない。
また拒絶されるかもしれない。
でも──、
「逢いたい。おにいちゃんに、逢いたい……」
涙が、えみの頬を伝った。
「そうですか。逢いたいのは、最愛のおにいさん。
おにいさんは、当時どういう気持ちだったと思いますか。
いま、どういう気持ちでいると思いますか」
えみは、瞳を揺らした。
「おにいちゃんの気持ち?
私のことが、嫌いだと思います。昔から。
もう逢いたくないと思います……」
「それでも、逢いたい?」
「逢いたいです」
「もし、また拒絶されたらどうする?」
「それは……」
「君は、おにいさんに逢ってどうしたいの?」
「……」
「謝りたい? それとも、ただ、逢えれば満足?」
えみは言葉に詰まる。
「許されたい?」
「違う……でも……」
「──なら、試聴してみますか?」
「試聴?」
小さな液晶画面の、小さアイコン。
「<過去>を閉じ込めた、ミュージック」
サウンドのアイコン。
知っている。覚えている。
Moonlight いつも照らしてる
Sunrise 信じよう
Promise いつの日か
Your voice きっとまた逢える
Pure eyes ……
流れて来た優しい、透明なメロディーに、えみの涙が止まらなくなる。
「この曲……」
口元をを抑え、声を抑える。
「……う、う……ごめんなさい、おにいちゃ……」
『おめえのとこ、離婚するんってな、ダセェ』
『うるせえ!』
「え……?」
歌に乗せて、声が聴こえてくる。
「おにいちゃんの声!」
『かつあき。あなたは、おにいちゃんなんだからしっかりするのよ』
『かつあきは、かあさんみたいには、なるなよ? あんな浮気女』
(どうして、こんな……。どうすればいい?)
『おにいちゃん、歌おう?』
(えみ?
なんなんだよ。……<歌、歌>って。
そんな場合かよ!)
「……試聴はここまでです」
ユートの声に、我に帰る。
「あなたは幼くて、両親の事情を理解できなかった。
でも、おにいさんには、わかっていた。
えみ。ここからは、契約だよ。
もし、5分最後まで、聴ききって、癒されるかは、自分次第。
もし、その過程で心が壊れてしまったら。
キミの魂は、僕がいただく」
気味悪く、ユートは笑んだ。その瞳が光った気がした。
先程までとは、別人。まるで、人間じゃないみたいだ。
一瞬、死神のように見えた。
お店の音楽が一瞬止まって感じた。
急に空間が凍りついた。
時間まで止まってしまったかのようだ。
「な⁈ 何言って、あなたナニ?
それに、ここは夢の中じゃ」
えみは椅子を蹴って立ち上げる。
「夢? まさか。こんなクリアな夢がある思うかい?」
ユートは、こともなげに、えみを見上げる。
なんだか背筋がうすら寒くなった。
「どうする? やめるかい?」
▼次回▼
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