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60分の祈り〜クリアブルーに想いを込めて〜(後編)


▼前回▼ 


⭐︎4⭐︎

 本当は、おにいさんの住所を知っている。
 尋ねて行ったこともある。
 ……でも。おにいさんはドアを開けてくれなかった。
 手紙も書いた。
 何通も。
 でも。
 返事は、来なかった。

(もう、一生逢えないかもしれない)

 最近はもう諦めていた。

(おにいちゃんに逢える?)

 罵詈雑言を浴びせられるかもしれない。
無視されるかもしれない。
また、蹴られかもしれない。

 ユートが信用できるかも、
 わからない……。

「怖気づいたかい? もっとも──かつあきくんも、眠れてないかもね」
「おにいさんが? どうして……?」
 ユートが、ゲーム機をひっくり返す。
 そこには、
「これ!」
 古びた、カラフルなアニメキャラのシール。笑顔の猫耳の女の子だ。
 そういえばこの白いボディの色も、この剥がれかけたシールも。
 本体の傷も。
 見覚えがある。
「わたしの3DS⁈」
 時のなか、失くしてしまったもの。
「どういうこと? あなた、おにいちゃんを知ってるの?」
「さぁ?」 
 白々しく、ユートは言った。
 えみは、唇を噛んだ。

 頭のどこかが警戒している。
 逃げたほうがいいかもしれない。

 ……それでも。

「おにいさんに逢いたい。
 おにいさんと、話したい」

 えみは、戻れない道を選んだ。

 ⭐︎5⭐︎

「それでは、始めますかな」
 ユートの手もと、タッチペンが画面に触れる音。
 ゲーム機のアイコンが七色に光ると、星のよう舞い上がり、まばゆい流れ星となって、えみに降り注ぐ。
 思わず、目を閉じる。
 少しずつ音量を上げ、耳に響いてくるアニメソング。

  Moonlight いつも照らしてる
  Sunrise 信じよう  
  Promise いつの日か
  Your voice きっとまた逢える

    Pure eyes キミのこと……

 瞳を開くとそこに──

 かつあきがいた。

(あぁ、お兄ちゃん……)
 目の前に広がるのは、あの頃の光景。えみは透明な観測者になったかのように、幼い日の兄を見つめていた。

 まだ小学生だったおにいさん。
 変わってしまった理由が、今ならわかる。
 両親の不仲からくる離婚。
 まだ小さかった彼には、抱えきれなかった……。
 無邪気なえみが憎らしかったのだろう。

「おにいさん」
 震える手を伸ばす。
「えみなんか!」
 小学生のかつあきが毒づく。
「えみなんかには、わからない!」
「え……」
 手が宙で止まる。
「あたりままえみたいに、かあさんにもらわれて! おれだって、本当はかあさんがよかった」
(ちがうよ、えみだって、みんながいなくて辛かった。お母さんと、貧乏な暮らしで惨めだった)
「酔ったとうさんに殴られる。かあさんなら、そんなことしない」
(殴られた?)
 いつのまにか、おにいちゃんの頬が赤かった。
「こんな手紙よこしやがって!」
 すこし大きくなったかつあきが、えみからの手紙を破く。
 散らばる、紙の破片。儚い雪のようだった。
(そんな……)
「あの<人殺し>。いいかげんにしてくれ!」
 また、おおきくなった彼。
 何通も、何通も、書いた手紙。
 都度、破かれる。高い勢いの良い音
(あぁ、わかってたよ。おにいちゃん)
 後から後から溢れる涙を、手で拭う。
(おにいちゃんは、えみが嫌いなんだ)

 あるとき、送ったMD……。
 もう家電量販店では、売っていなかった。
 昔の家には、MDプレイヤーがあった。おとうさん使っていたものだった。えみはあまり使ったことがなかったが。
「あった!」
 リサイクルショップを回って見つけた、録音機能のついたMDプレイヤーとマイク。ディスク自体も手に入れた。おにいちゃんの好きなクリアブルーの、60分のMD。すぐにそれに決めた。 
 朝からマイクに想いを込めて、一生懸命、毎日おにいちゃんのために何度も歌い、聞き返し、撮り直した。
 飛行機の音に遮られたときも、撮り直した。
 何日もかけて、調子のいい日の声だけで集めた、<えみのオリジナル>。
 一番のクオリティーと、想いを乗せた。
 もちろん選曲にもこだわった。紙にたくさん候補曲を書いて、絞った。
 候補が多すぎて、迷った。本当で好きで、本当にいい曲がたくさんあった。なおかつ、おにいちゃんが元気になってくれそうな、祈りを込めた曲。
 おにいちゃんとよく歌ったものは外せなかった。
 曲の順番や、歌詞のテーマも考えた。
 MDには、曲名を一文字一文字入力した。
 シールには、おにいちゃんが好きだったアニメキャラと、
『おにいちゃんへ えみ』とかいた。
 MDに入れたタイトルも同じだ。
 時には一生懸命歌いすぎて、疲れてしまうこともあった。
 それでも、諦めず、完成させた。
 おにいちゃんは、これを聴いたらなんて思うかな?
 喜んでくれるかな?
 気味悪がられるかな?
 おにいちゃんと、えみが幼い日歌った曲。
 大人になったえみが選んで、おにいちゃんを想う曲。
 どの曲も、精一杯な歌。
「どうか、どうか、届きますように……」

 ***

 ポストから出される郵便物。
 差出人の名に、眉をしかめる、かつあき。
「なんだ、これ。今どきMD?
 こんなもの!」
 あの日の3DSと同じ。床に叩きつけられる。 
 プラスチックの、悲しい音が響いた。
 かつあきの顔が、えみには清々としたように見えた──。
 足でMDを踏みつける!

 ***

『えみ。ここからは、契約だよ。
 もし、5分最後まで、聴ききって、癒されるかは、自分次第。
 もし、その過程で心が壊れてしまったら。
 キミの魂は、僕がいただく』

(あぁ……)
息がうまくできい。
何度、後悔しただろう。
(本当は、おにいちゃんと仲直りしたいって、いいたかった)

「おにいちゃんなんか、大っ嫌い!
 おにいちゃんなんか、死んじゃえばいいんだ!」
 どうして、あんなこと、言ってしまったんだろう……。

「人殺し!」

あのときの鋭い声。
あのときの拒絶の瞳……。

忘れられない。

 ──ちがう。

 違う。これで、いいんだ。
 ただ、
 元気いてくれたら。
 それで……

 人の心を、
 変えることは、
 できない。

  Moonlight いつも照らしてる

(おにいちゃんと月で繋がってる)

  Sunrise 信じよう  

(どんなに眠れなくても、朝は来る)


 歌が終盤に近づく。
 口ずさみながら、想いが溢れる。

Promise いつの日か
 Your voice きっとまた逢える

(また、逢える? なんど、願った?)

    Pure eyes キミのこと
  I believe 待ってる……

(結局、仲直り、できなったな)

 いつの間にか、景色はどこかの部屋に変わっていた。 

 夜になっている。
 かつあきは、青年になっていた。
子供の頃と変わらないまっすぐな眼差し。
 その横顔を、えみは息を呑んで見つめる。

(ここは、おにいちゃんの部屋?
おにいちゃんは今、どんなふうに過ごしているの……?)

 彼は、ベッドから起き上がると、カーテンを開け月を見上げる。
 その横顔が、憂いに染まっている。
 冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出し、コップに注ぐ。
 飲みながら、
「寝れない……」
 誰にともなく、呟かれた。
 えみは驚いた。
(おにいちゃんも、寝れないの? そういえば、ユートさんが……)
 彼は、机の方を見た。
 親に似てしまったのか、すぐに頭の血が昇るようになってしまった。
 口は災いの元。後悔先に立たず。
 何度、人と喧嘩しただろう。
 職場も転々とした。
 ……ただ、この静かな月光の時間にだけは、素直になれた。
 静寂。そした、たまに聞こえる、車の走る音。
 机に向かう。
 一本だけ、タバコを吸う。
 机の上に散らかった書類と、灰皿のタバコの吸い殻。空の缶ビールがいくつか。

 ──一番上の、鍵つきの引き出し。

 かつあきは、クリアブルーに煌めくMDを取り出す。
 MDには、アニメキャラのかわいいイラストと、女性の文字の書かれたシール。ただ、シールは汚れていた。
 あの日、叩きつけ、足で踏みつけた痕。
 そして、引き出し中には、細かな紙片の群れ。
 破かれた便箋だったもの。
 どうしても、捨てられなかったもの。
「なんでだよ」
 握ったMDに力がこもる。
「なんでおれ、あんなこと……」

 ***

 ──踏み潰そうとした足が、止まる。
 ……できない。

 かつあきの顔は、清々したように見えたが、
 わずかに歪んでいた。
 こんなもの、いらない。
 なのに。
 力が入らない。
 結局、拾い上げてしまった。

 ***

 かつあきは、クリアブルーに煌めくMDを見つめた。
 ──あの日、投げ捨て、足で踏みつけてしまった、想い。
 彼は震える手で、古いポータブルMDプレイヤーにそのディスクを差し込ん
だ。再生ボタンを押す。プラスチックの音が鳴る。
静けさに、ディスクが回転する小さな駆動音が、響く。
 かつあきは、イヤホンを耳へ押し込んだ。
 ノイズの向こう側に、えみの声が響く。
 スピーカーから流れてきたのは、ノイズ混じりの、けれど一生懸命に歌う、成長したえみの歌声だった。ロングトーンが続かないのは、変わっていなかった。
 柔らかな歌声が、月光のように、かつあきの心に滲みる。 
 3DSの短く、軽い、割れた音とは違う。MDの綺麗な音。
 昔の甲高くズレた歌声とは違い、いまのえみの声は曲に合い、とても透き通っていた。
 ……自分より弱い妹に、ストレスをぶつけていた小学生の自分。
 本当に弱いのは、
 自分のほうだった。
「えみ……」
 幼なかった自分は、殺される恐怖を感じていた。父は酔うと、見境いがなかった。離婚のことでクラスメイトにもからかわれた。
 多分、自分は病んでいた。
 闇だった。毎日。
 自分のことで一杯一杯だった。
 だから、あんなことを……。
 長い沈黙。
 それから、押し出すように言った。
「本当はわかってるんだ。えみが、えみが、悪いんじゃない」

(え……)

 えみの黒い髪が舞う。
「おにいちゃん!」
 かつあきの元に走る。
 涙声で叫んでいた。
「おにいちゃん、おにいちゃんのこと、
 大好きだよ!」

⭐︎6⭐︎

 聴き慣れた音楽が終わった。
 えみが目を開ける。
 ユートが嬉しそうに笑っている。
「いかがでしたか? 今宵のヒーリング・ミュージックは?」
 店内を優しいしらべが流れている。
「……ユートさん」
 変わらない店内。ピアノや雑貨や、本。 
「おにいちゃんに逢えました」
 噛み締めるように言った。心を込めて。
「ありがとうございます」
「よかったですね」
 新しい紅茶を注いでくれる、ユート。
 カップの中、温かい赤褐色の液体が揺れる。
 湯気が立ち昇っている。
「おいしい」
 口にすると、温かさに安心する。
 お砂糖の加減もちょうどいい。
「昔、家族と飲んだ気がします」
 それは、幸せな味……。
 みんなで囲んだテーブル。
 笑い合った声。
「そんな時もあったんだ」
 えみが、微笑みながら、泣く。
 しばらく待ってくれてから、ユートが言った。
「喉の棘は取れた?」
「はい」
「これから、どうするの?」
「待ちます。何年だって……」
「お兄さんのペースを待つ?」
「はい。今度はちゃんと、向き合います」
「えみは、いい子だね」
 ユートが頭を撫でてくれる。
 子供扱いが、いまだけ、嫌ではなかった。
 えみは、とびきりの笑顔を浮かべた。

「ありがとうございました!」
 ユートが見送ると、えみが足取り軽く、店を出て行く。ベルの音がした。
 ほぼ入れ違いに、誰かの店に入ってくる。ベルと足音。

 えみの耳に、ユートの声がリフレインする。

 ──僕は、音楽の力で人を癒す、ミュージック・セラピストのユート。
 セラピーのお代はいりません。
 あなたの笑顔が、なによりの報酬ですので。……

 ***

 ユートが青いエプロンを外す。
 表情が変わる。より穏やかになる。
「ユート先生」
 青いMDを持った人物がやってきた。目にクマがある。眠たそうだ。
 ユートは目を細める。
「……こんばんは。きょうもセラピーを始めましょう」
「はい」
 案内すると、彼は安心したように、テーブルに優しくMDを置いた。小さな音。
 光るブルー。
「いつも、その<音楽>を持っていますね」
 彼が、椅子に腰を落とす音。
「大丈夫。あなたは、いつか」
 ユートは少しだけ微笑むと、鍵盤に指を乗せ、ピアノを弾く。
 店内を照らす、光のような旋律。
 彼は口元をほころばすと、それに合わせ、歌を口ずさむ。
「いつか……」

 ──いつか。

  Moonlight いつも照らしてる
  Sunrise 信じよう  
  Promise いつの日か
  Your voice きっとまた逢える

    Pure eyes キミのこと
  I believe 待ってる

  Promise いつの日か
  Your voice きっとまた逢える

  Promise いつの日か
  Your voice きっとまた逢える……

 *** 

 えみは道端の色取り取りの花に目を細める。 
 白、ピンク、赤。
 世界は、色彩に溢れている──。
 甘い花の香りがした。
 こんなに花を美しいと思ったのは、何年振りだろう。
 朝の空気が清々しい。
 頭上には、輝く太陽。
 青い芝生の横を抜け、講義を受けに足を運ぶ。
「おはよう、えみ」
 友達が数人寄ってくる。
「早いじゃん」
 挨拶を返すと、いつもより喉の調子がいいことに気づいた。
 自然と視点も上がっている。
 友達と笑い合いながら、キャンバスに足を踏み入れる。
 たくさんの人々が、そこにいた。
 胸元の、ムーンストーンのついた、ト音記号型のペンダントを握る。
 えみは、光射す窓を見、微笑んだ。
 窓枠の影が、講義室へ続く廊下に落ちている。
 どこからか、ピアノの音がする。中庭で笑う学生たちの声。
 風が梢を揺らす音も──。
 世界には、色だけではなく、音が溢れている。

 遠い部屋の窓……。
 あの部屋で彼も、目を覚ます。
 そして、いつか、この澄んだ青い<朝の空>を見上げられますよう──。







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