魚をください|プロローグ スケスケじーさん、現る
彼は、宙に浮いていた。
そこから、一軒の家を見下ろし
ていた。木道平屋・狭い庭つき。
ボロっちかった。
ボロかった。
とてもとてもボロかった。
盛大な溜め息吐き出して、彼━━白髪白眉自髭の老人の姿をしていた━━は屋根をすり抜けてその家に侵入した。
折しも夜。家の住人たちはみんな仲よく眠ってた。布団までなんだかみずぼらしい。
「おい」
老人は持っていた杖でぐ~すか眠る夫婦を突っついた。
握りの部分が魚の形をしている。
「おいつってばよ、こら」
突っつき攻撃は一撃も決まらなかった。虚しく時間が過ぎた。
なぜなら杖は住人の体を掠るどころか━━すり抜けてしまうからだ。
「ふう」
老人は世界中の海が干上がってしまった後のような、とてつもな~~く苦しげな声を吐いた。
なんかもうそりゃあないだろうって感じで溜め息を連発した。
「意味ね~じゃん」
一人ボケ&ツッコミ。
これほど見苦しいものもそうない。
白い睫の下の茶の瞳を、彼は横に滑らせた。
ついでに首もスライドさせた。
子供が一人眠っていた。老人の瞳が和らぐ。
「おお。ワシ似のイカすボーイじゃ。よしよし、おまえなら、ワシの声聞いてくれるな?」
子供の枕辺に老人は顔を寄せた。
活発そうな短い髪。凛々しい眉。なかなかに濃い睫。
瞳は閉じられているが、澄んだ色をしてそうだ。鼻の形も悪くない。口元は優しげに緩んでいる。
全体的に穏やかな雰囲気が漂っている。人好きしそうでいい感じだ。
「よっしゃよっしゃ、かわいい寝顔じゃ。ジーちゃんが今、キスしちゃるからな」
じじいは妖しげなことを呟いて、彼のニキビーつない頬にヨボヨボの唇を寄せる。
「うーん……一日一善……」
少年はたどたどしく寝言を呟いた。
かわいい顔に似合わず、やけに低い声だ。
じじいの魔手が彼に伸びたそのとき、少年は蚊でも追い払うように手で宙を掻いた。
「おっ」
その手はまるでじいさんのキスを払い飛ばすかのように動く。
ご老人は反射的に顔を引いた。キスは不発だった。
「家内安全……」
少年はなんの夢を見ているのか、謎の言葉と共に右腕を伸ばす。
「うげっ⁈」
それが、アッパー気味に老人の顎に迫る。避ける間もなく、それは綺麗にヒットした。
いや、正確には拳は老人の顎を華麗にすり抜けただけなのだが。
「な、なんて恐ろしい子じゃ……」
老人は顎を両手で抑え戻目だ。
「うーん……安全第一……」
少年は寝返りを打った。
掛け布団がめくれて、結構立派なガタイが明らかになる。タッパがあって、それなりに筋肉もありそうだ。
そうなるとなんだかあんまり、かわいいという気がしない。
どっちかってーと、たくましい感じだ。中学生くらいだろうか。
「はぁはぁはぁ」
アッパーの恐怖で息切れしていた老人だが、
「コッホン」
咳払いと共に少年の枕元に立つ。
「えー今からワシャ、おまえの夢枕に立つぞ」
予告をかます。
「ワシはな、坊主。おまえの遠〜い遠お〜い遠おぉい先祖なんじゃ。わかるな?
そりゃもう、数えるのもバカバカしいくらい曾《ひい》々々々……ジーちゃんなのじゃよ。
正確な数字は訊くな。ワシャ数字は弱い。
ワシはな、今のこの家を憂いておる。こんなオンボロな家など、昇天したバーさんにはとても見せられん」
彼はフーヤレヤレって感じで肩をすくめ、両手を広げ、首まで左右した。
「ワシャ見てられんで、こうしてジーちゃん来てやったぞ。
よいか? ジーちゃんの言うことをよくお聞き。さすればこの家は見違えるよーにゴージャスになる!
伝説のしにせといわれた輝かしきあの店を蘇らそうぞ!」
じーさんは年のせいか不明瞭な声で話続け、
「━━とまあこんなわけじゃ。わかったな?」
長~い説明に満足して、スマイルニ百パーセントにそういった。
枕に頬埋めた少年は、
「うーーん……初志貫徹……」
聞いちゃいね〜。
「だめだ、こりゃ……」
肩を落として、しかし、じーさんは余力を振り絞って叫ぶ。
「このバカもんらっ‼︎ もーいい、てめーらにはお宝を譲ってやらんわっ‼︎」
じーさんは拗ねた。
「もう他のヤツにやっちゃうからなっ⁈」
で、じーさん……もといご老人は、適当なターゲットを見つけては声をかけたり夢枕に立ったりした。
しかしソレは現代人。科学に感化されたヤツらには、彼の声なんかまったく聞こえやしね~。
ちゃんと夢に見てくれた人だって、いるにはいたが、翌朝にゃあ「変な夢見たなぁ」なーんてぼやくか、すっかり忘れてしまう。
彼は実体を持たない我が身を呪った。
スケスケのボディーなんて、今も昔もはやってないし。
一時期スケルトンなゲーム機とかはやったようなはやらなかったよーな気もするが、そんなの問題じゃないし。
「差別じゃ、幽霊差別じゃ‼︎ 訴えてやる‼︎」
カキまるだしで手足を振り回す。
でも、なんか疲れたからすぐやめた。
……老人は今、とある町の商店街を見下ろしていた。
例によって、宙に浮いて。たとえ真夜中じゃなくても、彼の姿を目撃できるヤツはそうはいない。
「はぁ……」
あと一軒━━いや、あと二軒だけ。
それだけ回ってだめだったら、ヤメにしょう。
「いー話なんだけどなぁ……」
呟きは、夜に飲まれて消えていった。
▼次回▼
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