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回復の泉(前編)


若い頃は、ひどいことばっか言ってた。
好きになった男の子ともうまくいかず。
友達になれた女の子と長く続かず。

もっと上手く生きられたら、幸せはいっぱい手の中にあって。
いつまでも、周りに人が溢れていたかな?

こんな寂しい夜と、
こんな苦しい朝ばかりじゃ、なかったかな?

「ねぇ、人ってなんで生きてると思いますか?」
「なんのために、生きてると、思いますか?」

派遣の仕事帰りにたまに行くダーツバー。
駅前のビル群を抜け、しばらく歩いた裏通り。
怪しい店が並ぶ細い道。
近づくにつれ、黒いローファーを履いた足が早くなる。
夜空に浮かんだ大きな月の下。
グレーの外階段を登った先の、入り口を眺めた。
肩から下がった鞄をかけ直すと、
仕事の疲れも忘れて、駆け上がった。
店の暖色の明かりが、私を誘う。
看板には、下手な手書きの文字。

そこは、私にとっては「回復の泉」。
まるで、妖精の宿る、癒しの水に、手を浸すよう……。
湧き出る水をそっと口にすると、元気になれるような……。

いつも同じメンバーではなく、みんなそれぞれの時間に来てて。
でも、馴染みのメンツに会える日もあった。
声をかけると、みんな笑ってくれる。
それが、とても、嬉しかった。

甘いサワー。
綺麗な色や、すてきな名前を、その日の気分で選ぶ。
冷えたグラスの中、氷の動く音。
黄緑色の二葉に、半月型のレモン。
かわいい、蝶やハートの飾りのついたストロー。
ダーツが刺さる音。響く笑い声。

裏の水道下の、きらめくビー玉。
鏡を見ると、私が笑う。

カウンター席の自由さ。
店員と話すもよいし。
一人で過ごすもよい。
若い、黒いベストに赤いネクタイのバーテンダーの後ろ側の棚には、所狭しとお酒が並んでいる。
色々な形のボトル。
よく見ると、名前の記入されたタグがついているものもある。

丸いテーブルを囲んで立つ、若いカップル。
流行りの、おしゃれな服で洒落込んでいる。
何かつまみながら、お酒を飲んでいる。

居心地の良い、ボックス席。
常連と交わす、楽しい会話。
どこからか迷い込んだ、一見さんもいる。

ラフな格好の店長の腕には、なぜか不気味なタトゥー。
副店長は、ポロシャツ姿。よく笑うけど、少し気まぐれ。

温かな空間。優しい照明。
落ち着ける、空間。

初めて来たのは、前のバイトの子と一緒の時だった。
でも、
その子とも喧嘩別れ、してしまった。
私が調子に乗って、酷いこと言ってしまった……。
口は、災いの元。
いつもの、自業自得。

その子と会えなくなっても、私はこの店に来ていた。
店員さんや、お客さんの何人かと話せるようになっていた。

「ねぇ、人ってなんで生きてると思いますか?」
「なんのために、生きてると、思いますか?」

 私はその日、店に出入りしている、セクシーなキャバ嬢にそう訊いていた。
 そう。歓楽街の隅にあるこの店には、水商売的なお客も多かった。
 私はあまり、気にしなかったが。

 彼女と話すのは、それが初めてだった。
 誰彼構わず、私はそう尋ねていた。
 災難だったのは、彼女のほうだろう。

 金の髪を、パールのクリップでアップにしたキャバ嬢のゆーちゃん。
 露出の多い、黒系のレースのついた、ミニのワンピース姿だ。
 羨ましくなるほど細い、腰や脚。踵の高いかわいいブーツ。
 アイメイクが少し濃いが、切れ長の目によく似合っている。
 ピアスやブレスもばっちりキマっているし、
 繊細なネイルも完璧。どこから観ても隙がない。
「哲学⁈」
「どうした失恋?」
 彼女は、驚いた顔をした。
 ちょと、ハスキーな声が上ずる。

その頃。
私はもう、病気に片足突っ込んでて。突然涙が出たり、昼、いや夕方まで起きられずにいることが多々あった。
布団の中で毎日寝て過ごし、夕方近くになると、やっと、具合が多少良くなった。

朝昼の仕事は、もう無理だった。
欠勤の電話をかけるだけで、精一杯だった。
たくさん迷惑をかけ、先日入ったばかりの、ランチ居酒屋を辞めた。

「そんなんじや、居場所なくなっちゃうよ!」
パートの主婦の人に言われた。
でも、仕方なかった。
私だって本当は、
うまくやりたかった。

夕方からの、派遣のテレフォンオペレーターを、なんとかしていた。

仕事中も、涙が出てしまうことが実はあったが、みんながパソコンに向き合う、ピーク時。私の顔を覗き込む人は、いない。
だから、なんとかなった。
オフィスの仕事自体は、あまり好きではなかった。
でも、
それくらいしか、できなくなってた。


 初診の時は緊張した。
 予約を取るのも、何度も、ためらった。
 調べたら、市内に同じ科の病院は、たくさんあった。
 なぜそこにしたのか、忘れた。
 なぜか、女性の患者が多かった。
 なんとか辿り着いた待合室。
 引き返そうと、何度も思った。
 ただ、自分の体と心は悲鳴をあげていた。
 頭痛、肩凝り。異常な睡眠過多。気分のひどい落ち込み。過呼吸。
 このままでは、働けなくなる……。

「全般性不安障害です」

 過去も未来も不安でいっぱいだと話した。
 何もかも、真っ暗。
 そうしたら、白衣を着た精神科医の先生は、パソコンに何か入力してから、そう診断した。
 正社員にもなれず、派遣もバイトもぎりぎりなんだから、不安になるなんて普通じゃない⁇

 ゆーちゃんは、
 あの日。
 私の長話を聞いたりしたあと、
「こんなに深い話ができるなんて、久しぶり!  もう友達だよね?」
 と目を輝かせて言った。
 でも、
「え”……」
 そんなに深い話した?
 普通の話じゃない⁇
 それに、

「と、ともだちじゃ、ナイ」
 私は言った。
 正直すぎた。
 いま想像すると、ゆーちゃんの整った顔は、たぶん暗くなった。
 私は何も気づかなかった。
 私にとって、友達は、<時間をかけて>、なるものだった。
 こんな、初めて話した、
 こんな話で深いという人は。

友達では、ない。

 当時の私は、そう思ってしまった。

「そりゃ、お前が悪いよ」
 話すと、開口一番、そう言われた。
 ざわめく店内。
 いつも、誰かしらお客はいた。
「せっかく、ゆーちゃんが、友達だって言ってくれたのに、そりゃないぜ」
「……そうか」
 仲良しの日野さんに叱られてしまった。
 落ちかけたメガネを直し、彼を観る。
 年の頃は、二十代半ば。私と大して変わらない。
 会社員だと聞いていた。だからか、いつも着崩したスーツを着ていた。
「おまえだって、人に同じこと言われたら、傷つくと思うぜ」
「う〜〜ん……。でも、初対面だったし……」
 最近お気に入りのエルダーフラワーミルクを飲みながら、唸る。
 なぜか、去年フラれた男の人に、日野さんはよく似ている。
 ちょっと、たくましい大きな体。
 腕についた、筋肉。
 黒くて、ふさふさな直毛。
 優しい、黒瞳。
 私には名前のわからないお酒を飲んでいる。
……かっこいい。
でも、もちろん、私をフった憎い彼でないのは、わかっている。

ダーツバーなわりに、その日、ダーツ客は少なかった。
二つあるダーツ台の周りは、閑散としていた。
私は、なんとはなしに、それを見ていた。


ゆーちゃん。
なんで、キャバ嬢してんだろ。
確かにスタイル抜群で、綺麗な髪と顔をしてるけど。
……私には、無理だな。
キモい男性客のご機嫌取るなんて、大変そうだ。
お酒もたくさん飲まなきゃいけないだろうし、
生活リズムも不安定だろう。
……寝てばかりの私が言えたのものじゃないが。

「覚えてる? じゅんくん」
日野さんが言った。

 じゅんくん。

 私は固った。
 ……私をこの店に連れて来てくれた子。
そして、
喧嘩してしまった子。
「じゅんくんが聞いたら、がっかりするよ」
「……そだね」
 じゅんくんは、誰より、私に友達ができるように望んでくれていた子。
脂肪の多そうな太い体に、照れたような笑顔。
すぐ、赤くなる、頬。
短髪で、太い眉をしていた。
優しいけど、時々ズルやサボりをするので、社員には嫌われていた。
調理場でサボったり、お客様に過剰に商品をおまけしたり、
作る品物も荒っぽかったと聞いた。
最初はあまりいいいイメージはなかった。
でも。
『友達が、欲しいんだ』
 いつも、私の話を、聴いてくれていた子。

その頃のファストフードのアルバイトは、私が早番で、じゅんくんは、遅番だった。
明るい飲食店のアルバイトが、好きだった。
よく声を出し、よく動いた。
マニュアル対応以外が苦手で、よくミスをして怒られたけど、
それでも、好きだった。
楽しかった。

じゅんくんとは、シフトが一緒になることはなかったけど、何かの折に、休憩室で、連絡先を交換した。
私は仕事先でさえ、繋がりを求めていた。

いつも。夜中、メッセージを交わしていた。
バイト先はおふざけキャラの彼は、最初こそふざけていたが、メッセージだと、別人のようのにまじめだった。
スマホにメッセージが来るのが、いつの間にか楽しみになっていた。

生き方の話。将来の話。選択と行動の話。価値観の話。
いろんな話をした。
『友達が欲しい』
 そんな恥ずかしい悩みも、聴いてくれた。
『友達が欲しい。でも、怖いんだ。人の合わせるのが。
自分が、自分でなくなちゃいそうで……』
 彼とのメッセージでは、私は素直になれた。
 仕事先で、迷惑な私のメッセージにまともにつきあってくれたのは。
 彼が、初めてだった。
『人に、合わせることも、大切だよ、合わせるってことは、その人の生きてきた歴史を、尊重するってこと』


▼次回▼

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