てるてるぼうず〜千羽の鶴が羽ばたくとき(後編)
▼前編▼
それからだった。美珠と穂高が、家のなかでもレインコートを着るようになったのは。
「おまえら、なんで家んなかで、そんなん着てんだ?」
訊ねると、ふたりは久を見上げて、満面に笑みを浮かべた。それから、両手を差しだす。
「白ーい布ちょうだい」と穂高。
「それと、紐とはさみと、マジックと、ティシュもね」
美珠が、えらそうにつけくわえる。
「…いいけど、なんに使うんだ?」
不思議に思いつつも、それらを用意してやると、ふたりは腹ばいになって、何か始めだした。
ふたりの横に腰を降ろして、久は、その様子を眺めることにした。どうやら、てるてるぼうずをつくっているらしい。
まず、はさみで、布を手ごろな大きさに切る。それをふたつに折った所に、ティッシュをつめ、そのすぐ下を紐で縛る。最後に、油性のマジックで、顔を描けば、てるてるぼうずのできあがりだ。
得意げに笑みを浮かべた美珠につづいて、穂高も同じようなものをつくりあげた。
ただし、美珠の方がまんがっぽく、赤いペンでリボンを描き込んだりして、可愛く仕上げ、
穂高の方は、紐の結び方がおかしかったり、布の切り口が不揃いだったりもしたが、カ強い歪んだ線で、なかなかにユニークな顔を描いていた。
「久ー。これ、ベランダに飾って」
「僕のも、僕のもー」
久の家はアパートの一階で、玄関とバスルームとトイレと台所があり、他に二つ部屋がある。玄関寄りの方を居間、奥の方を半分ずつ久と父親の部屋とし、久の勉強机やタンスなどもこちらにある。
押し入れの中には布団が畳んであり、夜はここが寝室となる。勿論、今は美珠たちの物なども置いてあり、寝るときは美珠たちも一緒だ。
居間の広さは四畳半くらいで、奥の部屋が六畳だ。
今いるのは奥の部屋で、久は、そこからベランダの窓を開けた。途端に、聞こえていた雨音が大きくなり、寒気がしてきた。ベランダに出ると、美味たちのために、後ろ手に窓をしめた。
ベランダというには少し狭いような張り出しだが、一応洗濯物を干すこともでき、小さめの物干し台と竿が置かれている。外側についた手すりも利用すれば、布団二枚くらいは干せる。上手い具合に紐でも張れば、もっといけるかもしれない。ベランダはそのまま居間の方に続いている。
とりあえず、梅雨時のために出番のない物干し竿に紐を結び、ふたりのつくったてるてるぼうずを吊るした。振り返ると、美珠と穂高がこちらを見つめていた。
窓をあけて、部屋の中に入り、しっかりとまた窓を閉めると、ふたりはもう次のてるてるぼうずをつくっていた。
いくつつくるのかと思ったが、それでおしまいで、久はまた、それを吊るして来た。
ふたりは、窓の外のてるてるぼうずに向かって、明日は天気にしてくれるよう、歌いながらお願いしている。
「どうして急にてるてるぼうずなんだ? 学校とかで教わったのか?」
レインコートを着たまま、浮かれたように部屋のなかを走り回り、ふたりは、居間へ向かった。──途中、穂高が振り返っていう。
「お母さん、晴れた空が好きなんだ!」
居間と奥の部屋の間の障子は、開かれていて、久にも、ふたりがこたつに入るのが見えた。テレビをつけたのだろう、子供番組らしい陽気な歌が流れだす。
勉強机に向かって、宿題をしていたことを思いだした久は、どうしようかと一瞬考えて──机の右手側の、一番上の引き出しをひいた。それを眺めて、なにかを手さぐりしようとして、だが、引き出しを戻す。
久も、居間へと向かい、こたつに入った。
赤いこたつ布団を見ながらぼんやりと思う。
この頃、いつもこんな感じだ。美珠と穂高のそばにばかりいて、なのに、それが前ほど嫌ではなくなった。久の父親はふざけて、美珠と穂高が、久の本当の妹と弟みたいだといっていた。
そんなことを思いながら、自然と笑顔でふたりを眺め、久は尋ねてみた。
「──なあ、なんでレインコートなんか着てるんだ? 寒いのか? だったら…」
いうと、美珠がテレビを観たまま、ふくれっつらをした。
「ちがうもん」
「僕たち、てるてるばーずなんだもんね」
瞳を輝かせながら、穂高がこちらを見ている。すごいでしょ? とその瞳がいっている。
「てるてるぼうず?」
聞き返しながら、久はベランダの方を見た。
そこに吊るしたふたりの手製のてるてるばうず達が、こちらを向いていた。
美珠が、リモコンでテレビのチャンネルを替えた。様々な画面や音が切り替わり、最後には、元通りにチャンネルを戻した。見飽きたCMが流れ続ける。
「そーだよー。この格好、てるてるぼうずに似てるからって、美珠がー」
穂高の言葉に美珠を見ると、美珠は気恥ずかしげに目をそらした。
こたつの上に置いたお絵描き帳や、ぬりえ、折り紙などに手を伸ばし、それから、美珠は、折り紙を折り始めた。
美珠と穂高の着ているレインコートは、押し入れから出してやった久のお下がりなので、ふたり──特に穂高には、かなり大きく、フードまでちゃんと被った姿はなるほど、てるてるぼうずをイメージできないこともない。──ただし、色はふたりとも黄色なのだが。
「…お母さん、晴れたら、絶対元気になるんだから」
折り紙を折る手をとめず、美珠が相変わらず勝ち気にいう。
オレンジ色の折り紙は、美珠の手の中で、鶴へと折られていく。
病院で親に鶴の折り方を教わってからは、美珠は鶴ばかりを折っていた。
「僕ねー、お母さん元気になったら、いっぱいいっぱいお手伝いしてあげるんだー」
まだこちらを見て笑っている穂高に、久も笑い返し、
「ちぇっ。だったら、少しは俺の手伝いもしてくれよな。おまえらの夕飯つくったりすんのも結構大変なんだぜ?」
腰を浮かせて、美珠の近くに置いてある折り紙を適当に二、三枚掴んだ。そして、また元の位置に腰をおろす。
美珠が悲鳴に近い声を上げて、久を睨んだ。
久は、少しいたずらっぽく微笑んで、手にした折り紙を前後に軽く振った。
「──千羽鶴だろ? 俺も手伝うよ。美珠の考えそうなことだな」
色とりどりの折り鶴をつくりながら、久は幼いころの自分を思いだしていた。
自分も何かを願って、鶴を折っていたことがあった。一日ひとつ、毎日ひとつずつ、折っていた鶴。どれも、ひとつひとつ、すべて同じ願いごとを書き込んで、折っていた。
結局、一週間と続かなかった。多分、ばかばかしくなった。
「久のお父さんって、優しいね」
「…そうか?」
こたつで横になって、鶴を折りながら、穂高が久を見上げる。袖を何度も折って短くした、レインコートから覗く手は、驚くくらいに小さい。
今日も外は雨だ。束の間、降り止んでも、気づくとすぐにまた雨は降りだす。
三人で鶴を折り続けるものの、千羽という数は、強大で、なかなか終わりそうにない。
久の父親も、休日や手のあいた時には、少し手伝ってくれている。
「ねぇ…、今度はいつお見舞いに行くの?」
穂高が訊いた。同じ質問を、穂高は何度も繰り返していた。わかっていても、訊かずにはいられないのだろう。
久が答える度に、穂高は嬉しそうに微笑む。
「穂高は、お母さんのこと、好きか?」「うん! 大好き」
「…そっか」
「うん。僕、大きくなったら、お母さんを守ってあげるんだ」
無邪気に微笑みながらも、真剣な穂高は、少しだけいつもとは別人に思えた。
なぜだか、幼いころの自分に見えた。
「あーあぁ…早くお母さん、元気にならないかなぁ……」
「…なに、言ってんの、穂高! 空が晴れて、千羽鶴をお母さんに渡したら、お母さん、すぐに元気になるんだからねっ!」
美珠の着ていたレインコートががさがさと揺れた。穂高と同じように、こたつでそべりながら鶴を折っていた美珠は、起きあがって、眉を吊りあげた。
「…わかってるよ」
穂高は、赤い鼻をこすった。不機嫌そうに目を細め、口をへの字にまげる。
もうすぐ退院できると、大人達に聞かされていても、子供達には、それが長すぎるのだろう。
次のお見舞いの日には、ふたりの願いが通じたのか、久しぶりに雨が上がり、澄んだ青い空を見ることができた。溢れんばかりの日の光が、眩しいほどだ。
車から降りると、美珠が重たそうな千羽鶴を抱えて走り、いつものように、穂高がそれを追う。
千羽鶴は、どうにかちょうど千羽、鶴を束ねて、それらしいものになっていた。最後の方は、久の学校のクラスメート達に協力してもらったり、束ね方がわからず、その辺は、女生徒たちに任せっぱなしだったりで、申し訳なかったが、みんな快く引き受けてくれた。
病院の人に訊くと、美珠たちの母親は、病院のまわりの庭を、散歩中だということだった。待っていることもできたが、美珠と穂高がどうしてもというので、父親を残し、久は、ふたりと共に迎えに行くことにした。
病院の建物を右手に、病院の裏手に向かって進んだ。
美珠は、赤いトレーナーに、青色のミニスカート。穂高は緑色のパーカーに紺の半ズボンという格好だった。
まわりにはちょっとした草花や木があり、左手には、病院の庭と外を隔てる壁がある。
久は、植物の名前にはくわしくないが、紫陽花だけは見てわかった。紫のような、青のような、赤のような──紫陽花のあるところだけ、何か他とは違って、とても綺麗に見えた。
美珠と高がはしゃいで駆けるので、
「転ぶなよ」
と声をかけながら、それを追う。
雨でどろどろになった地面にできた水たまりに、太陽の光が反射する。
そのうちに、美珠たちの母親を見つけた。後ろを向いたその姿に声をかけて、母親を見上げながら走った美珠は、泥だらけの地面に足を取られて転んだ。
「あっ…!」
その胸に抱えていた千羽鶴が、美珠の少し前──水たまりに、落ちた。
水たまりに浸かった部分が水に濡れ、泥までついてしまっていた。
途端に、美珠が声を上げて、泣き出してしまった。
「美珠? どうしたの? どこか痛いの?」
母親が駆け寄って、美珠の汚れた膝やスカートの裾をはたく。
久のジーンズを、穂高が掴んだ。すがるような目で久を見上げる。
久は、穂高が安心するように、頷いてみせ、水たまりに近づくと、千羽鶴を拾った。ハンカチで軽く拭くと、美珠の側に近づいた。
「美珠。大丈夫だよ」
いうと、美珠は涙目を少し上げて、首を横に振る。その髪が、勢いよく揺れた。
「うそ! だって、濡れてるもん。汚れて、こんなになって──せっかくつくったのに、せっかくお母さんが良くなるようにってお願いしたのに…………」
「美珠」
久は、美珠の目の高さと合うように屈んで、千羽鶴を持ち上げた。
「大丈夫。濡れたところはいずれ乾くし、泥だって取ればいいんだ。
そりゃあ、元通り綺麗にはならないかもしれないけど、消えてしまったわけじゃないだろ?」
疑わしそうな美珠に千羽鶴を渡した。まだ雨水や泥水が伝ったりもしていたが、美味は、汚れないように気をつけてそれを受け取った。
「お母さんは、きっと喜んでくれるよ。──ね、おばさん。美珠が一生懸命つくったんだ」
美珠に微笑んで、腰を上げながら、彼女の母親を見上げた。邪魔にならないように、彼女達から間を置く。
瞳を潤ませながら、母親を見上げ、美珠は、汚れたままの千羽鶴を差しだした。
「お母さんの病気が良くなるように、わたし、つくったんだけど…。こんなふうになっちやって、ごめんね」
美珠の母親が、それを受け取る。その瞬間──まるで、たくさんの鶴たちが、美珠から母親に向けて、一斉に羽ばたいたようだった。
「ありがとう。美珠。ありがとう」
久は、その千羽鶴に、最後に二羽、引き出しの奥から出した、鶴を加えていた。丸まったくしゃくしゃなもので、所々やぶれて、紙くずのようだった。紙も、ただの藁半紙だった。それでもまだいい方で、もっとひどいものは、とっくに捨ててしまっていた。
引き出しのなかで眠っていた二羽は、他の鶴たちに加えてやると、喜んで鳴いたみたいに思えた。
菓半紙を透かせば、へたくそな文字が読みとれた。
『かあさんに、あいたい』
──昔の自分は、そんなことばかりを考えていた。今ならもう、笑って話せる。
久は、穂高に近寄って、その背中を押した。
「ほら。穂高。──おばさん、それ、穂高も手伝ったんですよ」
母親は、穂高を見て、とても和らいだ顔で微笑んだ。
母親に駆け寄っていく穂高を見ながら、久は、ひとり、空を仰いだ。
梅雨も過ぎ去った夏の日。
美珠と穂高が家に帰ることになった。
美珠と穂高の母親が退院することになったのだ。
やはり、自分の家に帰れることは嬉しいらしく、美珠も、穂高も、始終笑顔だった。
まとめた荷物を手にしたふたりは、黄色いレインコートを久に差しだした。
久は、それを受け取らず、逆に、ふたりの手にそれを戻した。
久と、久の父親は、美珠達を近くの駅まで見送りにいくことにした。駅につくまで、ふたりは久の両わきを歩いて、みんなで、たわいもない話をした。
母親に手を引かれていったふたりは、雨も降っていないのに、まだあのレインコートを着ていた。
梅雨のなごりだろうか、よく晴れた空に虹が架かっていた。
「父さん」
その虹を見上げながら、自分達の家へと向かう、帰り道。久は、笑顔で父親を見上げた。
「帰ったら、久しぶりの親子団らんだね」
「…ばーか」
笑いながら自分を小突く父親を、久は、目を細めたまま、眺めつづけた。
久の家のベランダには、いまでも四つ、てるてるぼうずが揺れている。
いいなと思ったら応援しよう!
応援してくださると、次の物語を書く励みになります✨