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いつか、いつか… ③甘い誘惑と、歪む世界

▼前回▼


  4

 水晶洞で倒れてから、エリサはしばらく体調が悪かった。
 見てはいけないものを見てしまった。
 触れてはいけないものに触れそうになった。
 そんな気がしてならない。
(あれはなんだったんだろう……?)
 怖い。すべてが壊れてしまいそうな恐怖。
 なのに、とてもとても惹かれる。
 あの向こうに行ってみたい。
 ━━━━自由。
 そこには、それがある。

 まだ少しふらつく頭を抑え、エリサは教室を出る。 
 やっと……きょうの授業が終わった。
 しばらくマヤたちと廊下を歩くと、なんと、壁に背を当て、ヒサカが立っている。
 ヒサカはエリサを見ると壁から離れる。
 淡い笑みを浮かべて近づいてくる。
「やあ。体調悪そうだけど、大丈夫?」
 とても心地よい声で、ヒサカはそう言うと、エリサの瞳をのぞき込む。
「今度の休日は、空いてるかな?」

「ヒサカ先輩にデートに誘われた?」
 マヤとミーナが寮の部屋で声を荒げる。
「なんで? なんで急にそういう話になるの?」
 エリサにだってわからない。

 ヒサカはとてもかっこいい。
 背が高く、線が細い。服のセンスもいい。
 そんな人の隣りを歩くのは、嬉しいというより、落ち着かない。
 公園の大きな池の周りの遊歩道を並んで進みながら、エリサは正直困っていた。
「僕はね、」
 橋の欄干に手をつき、ヒサカは鯉を見下す。
「入学式のときから、君のこと、見ていたんだよ。
 君には、他の子とは違う何かがあるような気がして」
 ヒサカが振り向く。
「エリサ。僕のパートナーにならない?」
「ぱ、ぱーとなー??」
 エリサは舞い上がった。パートナー=恋人!
 落ち着いた様子で、ヒサカはエリサに手を伸ばす。
 差し出された右手。
「君は、満足しているかい? 今の自分に。自由のない、この世界に」
 ヒサカの瞳に深い何かが宿っている。
「君は、君でいいの?」

 ため息をつく。
 ヒサカの水色の瞳が頭から離れない。
 とても深い━━囚われてしまいそうな瞳。
 先輩は、何かを望んでいる━━、
 そして。
 何かに絶望している。……
「あんなに、なんでも持っていそうな人なのに」
 才能も。人望も。容姿もなにもかも。
 輝ける未来を約束された━━
 あこがれの先輩。
『君はここを卒業して、何をしたいの?
 怪我をした人を助けたい? 誰かの癒し手になりたい? 立派だね━━』
 だけど、目が言っていた。━━《《くだらない》》。
『それが君の望み?』
 《《嘘だろう》》?
『消去法でそれしかなかった。それにしかしがみつけなかった。
 或いは、周りに押しつけられた。選択肢がなかった。情報が少なすぎた。能力が追いつかなかった……なんでもいい。
 だけど、もし━━、』
 夢見るように、彼は笑った。
『もし、真になんでもできるとしたら?』

「エリサ! エリサ……」
 声に思考が途切れる。
「おまえ、何やつてんの」
 カズハの仏頂面。
 白い壁面。白い床。━━病院。
 治療の見学と実習日だった。
 エリサもカズハも、魔法による身体のケアや、心理面のケアのための講義を主に受けている。
 一概に魔法学園といっても、進路はいろいろだ。
 カズハはお年寄りに受けがいい。すぐに仲良くなってしまって、話し込んでいた。それは覚えている。
 だけど━━気づいたら、ヒサカのことが頭に浮かんで離れなくて……
「えぇと、あたし、何してた?」
「もういい。これ、洗ってこい」
 タオルを渡される。洗面所に向かう。
 鏡を見つめる。
 いつもどおりのエリサ。
「……あたしじゃない、あたし……」

 その日は失敗の連続だった。
 何もかもに集中できなかった。
 ただでさえ、ミスの多いエリサなのに。
 カズハに何度も怒られた。

「やあ」
 校門のところに、ヒサカが立っている。
「一緒に帰らない?」

「君が水晶洞で見たのは、ゲート。時空の歪み」
 寮までの送り道、ヒサカは語った。
「君にはそれを見る素質がある。時空の声が聞こえる。そうだろう?
 僕もなんだ。ゲートがあるのは、何もあそこだけじゃない。
 よく気をつけて見れば、案外いろんなところにあるんだ。見つけるのは大変だけどね。
 あの向こうに何があるか、君には想像できる?」
 ヒサカは笑んだ。無垢で皮肉で━━複雑な笑み。
「━━自由だよ。僕じゃない僕。君じゃない君。そうなれる、自由な世界。
 物質と、汚《けが》れた精神。夢の見られない現実。終わらない僕ら」 
 首を横に振る。髪が揺れる。
「解放されたくないかい?」
 慎重に言葉を選んで、エリサは言う。
 ━━引きづられそう。
「先輩が何をおっしゃっているのか、私にはよく……わかりません。
 先輩はきっと、疲れていらっしゃるんです。
 私は……」
「エリサ」
 ヒサカの両手が、エリサの肩を掴む。
「僕を裏切る気? 君なら━━わかってくれると思ったのに」
 ヒサカは本当に悲しそうに笑んだ。
 そして、とても怖い目で、エリサを見た。
「じゃあ、なんで君にはゲートが見れるのかなぁ?
 なんで僕の前に現れたのかなぁ?
 僕に期待させるだけさせて、逃げるんだ?」
 同調しそうになる。
 ヒサカはおかしい。
 そう言いきってしまえ。
 そう言いきることが━━
 できないエリサがいる。
 ……あたしは何もできない。
 あたしはあたしが嫌いだ。
 誰もあたしを愛してくれない。
 未来なんて。
 あたしを必要としていない。
 ……ネガティヴな思考を、ヒサカの目は肯定する。
 とても心地よい。
 彼はすべてをわかってくれる。
 どんな汚い言葉を吐いても。
 どんな醜いエリサでも。
 ヒサカは抱きしめてくれる。
 ヒサカの手が、エリサの顎《あご》に伸びる。
 このキスを受け入れれば、彼と一つになれば……
 あのゲートの向こう側に行けたら。
 エリサは微笑む。
 ……そうしたら。
 もう。なんにも……

「……リサ」
 ヒサカの唇が触れる寸前、呆然としたカズハの声がした。
 瞳を揺らし、カズハは信じられないように二人を見つめている。
「エリサ……」
 彼の瞳がエリサから離れる。
「わり……邪魔した……」
 足音が遠ざかる。
「……ふーん……」
 無感動に、ヒサカが呟く。
「生気に溢れた、陽の神の加護を一身に集めたような少年だね。……」
 ヒサカの瞳はしばらく、カズハの去っていったほうを追っていた。

▼次回▼

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