アンジェラ・サイニー『家父長制の起源』

アンジェラ・サイニー『家父長制の起源』。家父長制の起源、あるいはそれが取って代わった原始的な母権制又は母系社会というものが普遍的にあったという訳ではない。家父長制が「自然な」あり方だとする側も、人類は「本来」母権的であったする側も、起源や元型を遡及的に見出し措定しているのであって、近代の、彼ら/彼女らが守りたい男性性/男らしさ、あるいは女性性/女らしさを過去に投影し、そのことを通じて本質化してしまっている。

実際は、欧米近代社会・資本制以前の社会、またその外の社会のあり様、編成原理は多様であった(本書も参照するグレーバー、ウェングロウ『万物の黎明』もそのことを明らかにしている)。そこに今の我々の観念を投影してモデル化することには極めて慎重であらねばならない。考古学、歴史学、人類学、民俗学は現代社会に拘束される我々の想像力を解放しもするが、逆に、目的論的な発展段階論、進歩史観がこれらの学問に密輸入されるということも繰り返されてきた。

本書でも触れられている通り、人類も他の動物も、自然条件等に適応もしながら、男性/オス優位、女性/メス優位、平等主義的、さらにはジェンダーが主要な編成原理ではないもの、男女/雌雄二元論に収まらないものと、様々な「社会」「文化」を形成してきた。そこにはアフォーダンスもあるし、偶発的な契機もある。そして、編成原理の異なる社会、集団の接触により変容も繰り返されてきた。それはしばしば非対称的、暴力的なものでもあった。そして、家父長制の起源というよりも、その実体化、体系化・制度化においてはヨーロッパ~アメリカのキリスト教社会と資本制というものの影響が大きかったのではないかというのが本書の示唆だ。

日本においても「開国」に伴う外国人の目への意識、欧米制度の移植、また戦後意図的にも流布されたアメリカ社会や家族のイメージといったいくつもの契機もありつつ家父長制や性別役割規範が構築され定着していったし、近代=明治期日本における「伝統」と天皇制の「創造」「再構成」と切り離すことはできない。

我々が見定めるべきは、家父長制の「起源」ではなく、家父長制という観念の構築、実体化、定着の「プロセス」とそこで働く「権力関係」であり、その再帰性/自己言及性なのだろう。制度を静態的に捉える以上に、差別、暴力、支配-服従の反復、習慣化、内面化のプロセスを動態的に、また具体的に捉えていくこと。そうすることで家父長制が普遍でも不変でもないことが鮮明になると同時に、その根強さ、狡猾さも露わになる。

実際、サイニーが憂慮と怒りを込めて書いている通り、世界のあちこちでミソジニーと家父長制のバックラッシュが起こっている。「創造」されたものである「伝統」の「復興」運動。あるいはルサンチマンによる抵抗、逆襲。

本書は古今東西の実例を豊富に収めているし、そこで不可欠であるのがポジショナリティとインターセクショナリティの視点だ。誰の経験であるのかと誰が語っているのか、描写しているのか。本書は様々な分野の研究成果や言説を多く取り上げているが、単に紹介、参照するのではなく、それら自体を検証、批判の対象としている。その方法はバックラッシュや女性の分断を取り上げる最終章でも貫徹されている。

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