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発達障害者ということ6


ヘルプマークについて想うこと

孤独・不安でヘルプマークを使う思春期の若者

 (ヘルプマークがファッションなの?)2026年4月24日付のFriday記事「何かのアピール?ファッション感覚で「ヘルプマーク」を付ける若者たちの“驚きの理由”」(以下「Friday記事」)というタイトルを読んだとき感じました。(※1)記事では東京都が障害者を対象に配布している「ヘルプマーク」を不正利用をしている例、思春期の少年少女が抱える不安からヘルプマークをつけている例が紹介されています。10代の少女Aさんはヘルプマークをつける理由について次のように語っています。

「学校には友達がいませんし、家族も仲がいいわけではなく、自分の居場所がないのでどこで遊んでいても疎外感があります。そうするとヘラってしまい(メンタルが不調になって)、いつも『私が悪い』って感じで自分を責めて気分が落ち込みます。そういったときに、ヘルプマークを付けていたら、誰かが助けてくれると友達に教えてもらって、付けるようになりました」
(中略)
「友達もヘルプマークを付けていて、困ったら助け合います。辛いことがあっても同じ悩みを相談できますし、力になれる。それに同じような悩みがある人同士で繋がれるので、私も友達も1人じゃないです。助けられています。今では仲のいい友達同士で識別票みたいに付けています」

Friday記事

ここからは思春期の少女が抱えている悩み、不安を、周りが自分を理解してくれないため、自分と同じ境遇の者を探すためにヘルプマークを付けようとしていることがわかります。また、別の10代の少女Bさんはヘルプマークを付ける理由について次のように語っています。

「これを付けていると、いろいろな人が優しくしてくれます。つらかったり困っていたりすると『大丈夫?』って助けてくれますし、普段よりも周りの人が親切です。『私が頑張るんじゃなくて、甘えてもいいんだ』って思えてきます。
私に対して『変なクスリなんかやめなさい』、『地面で寝ないほうがいい』みたいに怒ってくる大人も、『(ヘルプマークを見せて)私これなんですけど』って言えば、諦めた感じでいなくなります。お守りみたいな感じで使っているのでないと困ります」

Friday記事

Bさんが語る地面で寝る、クスリといった言葉からは、Bさん自身が家族ないし保護者の愛情がなく、ケアを受けられないために、子どもとして受けるべき権利を享受できていないことが伺えます。

 これらの利用例について、記事は「生きづらさ」を抱えている人がつけているのは間違いないが、モラルハザードによる不正利用は問題であるという形で締めています。かくして、記事はタイトルとはまったく異っており、取材を受けた少女たちもヘルプマークをファッション感覚で使っているわけではないという、編集側の不真面目な姿勢を感じるものでした。ただ、それ以上に私は、彼女らは本来子どもとして受けるべき権利が確立されておらず、「居場所」がなく、「駆け込み寺」もないために止むを得ずヘルプマークを使っているという状況の背景としての福祉の不十分さ、子どもの視点に立ったケアがなされていない現状について、もっと言及がなされてもいいのではないかと思いました。

 行政側も「東京都こどもホームページ」「相談窓口」を設けるなど、一応少年少女の抱える不安への対応をしてはいます。ただ、行政の対応はどうしても大人目線で子どもを保護するという意識が強く、当事者である子どもが何を求めているか、また、何を不安に思っているのかという状況に耳を傾けようという発想が乏しいことも事実です。少年少女が広義の意味で虐待されている状況に対応をしているのは児童相談所ですが、児童相談所自体の運営の問題もあります。(※2)Friday記事が取り上げた、ヘルプマークをお守り代わりで身を守ろうとする少年少女が、ヘルプマークに頼らなくても子どもとしての権利を十分に確立するために何がなされるべきかが問われていると考えます。

ヘルプマークを所持している当事者として

 ヘルプマークを所持している当事者である私が、ヘルプマーク自体をどう考えているのかをお話したいと思います。私自身は、普段ヘルプマークを書類などを入れるリュック型のビジネスバックにつけています。これは別に誰かに助けてもらうといったことよりも、自身が障害者としての自覚と障害者の側に立って行動をしたいというアイデンティティ的な意味から用いている側面が強いです。よく、このヘルプマークを所持して電車に乗ると、席を譲ってもらったりすることがありますが、周りに妊婦さんや年配者の方がいる場合、その人たちに座ってもらうようにしています。

 私自身については、自分の障害を理由に席を譲ってもらうとか、そうしたことでの配慮は必要はないと考えています。ただ、自分の障害で困った際に助けてもらう事もあるのだから、他の困っている人たちに出会ったら、その人たちを手伝うべきであり、「困ったときはお互い様」という互助の精神で自分の障害に臨みたいと考えています。その意味では、ヘルプマークは免罪符でもなければ、特権でもなく、むしろ愛や苦しみの分かち合いの象徴として使われるようになればと思っています。ですから、Friday記事の少女たちのヘルプマークの使われ方も目的外使用であるとは言え、不正利用とまでは言えないのではないかと思うのです。障害者に限らず、困っている人、苦しんでいる人への助け合いという形でヘルプマークが活用されてほしい、そんなことをFriday記事から感じました。

おまけ


 私事ながら、本日誕生日を迎えました。気分を一新し、初心忘れるべからずの精神で、皆さんとともにnote記事に臨みたいと思います。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1)

(※2)


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