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日々の雑感⑦-政治が人々を分断する-


日常で中国人に接すること

 先日、「政治に対する雑感17」をアップロードした日、私は、昼食に中国人が経営する四川料理店のホイコーローの弁当を食べに行った。別に、日中関係云々ということを意識したわけではない。ただ、たまたま中華料理を食べたいという気になり、かつ安い値段で売っていた弁当を買いに行ったというだけである。私は四川料理は辛いのかを中国人の店員に訊ねたところ、店員は辛くないのもあると返事をした。ほとんどの場合、「大人の対応」以前に私と中国人店員との関係のように、自然に普通の会話をしているのが通常パターンなのではないか。

 SNSでうっぷん晴らし、国士気取りで、中国人に対してヒステリックに対応をするのと同じような形で現実に接しているとしたら、それこそ、本当の意味でアブない人ではある。とは言うものの、実際電車の中などで中国語らしき会話をしているだけで、怒鳴り散らす人がいることも事実である。(※1)その意味で「政治に関する雑感17」にあるように、むやみに日中間の対立を煽ることのリスクが何を意味するのか、そしてそんな情報や時代の潮流に流されることがどれだけ自分自身の軽薄さを体現しているか、が問われると言える。

時代の風潮に迎合するメディアの危険性

 それでも、メディアはやたら中国人に対する侮蔑感、憎悪を煽るような報道が流れる傾向にある。すべてをいちいち取り上げるつもりはないが、ひどい一例として挙げられるのが、FNN系列で報道された韓国における反中デモのニュースであろう。反中デモの主催者がどういうメンバーなのかといったことを報道せず、また、デモの背景をビザ免除で中国人観光客が増えたからという極めて表面的な事由だけで、デモの背景には差別、偏見がないのかといったことに一切言及がなかった。そもそも韓国にはチャイナタウンがほとんどなく、仁川にあるチャイナタウンも昔からの中国人も朴正煕政権において統制に置かれたことでほとんどいなくなっている。(※2)以上の背景からすれば、韓国において潜在的に中国に対する差別、偏見が存在しており、保守・反動的な韓国人が中国人への排他的言動を行っている可能性は否定できないのだが、そうした背景はこのニュースでは一切言及がされていない。

 このようなメディアの扇動性傾向に対して、問題があると考えるメディア関係者もいた。日本テレビ系列の夕方のニュース番組「news every.」は、11月28日のニュースにおいて、政治部記者が、高市の「存立危機事態」発言について、質問をした岡田克也に責めを帰すのは筋違いであり、高市自身の発言自体の問題を指摘する声が与党関係者から出たことを紹介したほか、日本テレビの政治部はナショナリズムを煽るような姿勢は取らないでいくということを言明した。また、以上の姿勢を裏付ける形で、その後の街のインタビューコーナーでは、訪日後20年を経過する中国人とその子どもがインタビューに応えるシーンが写された。ナショナリズムや差別、偏見を煽らないのはジャーナリズムの鉄則であり、当たり前のことを敢えて言明しなければならない状況にあるところに、日本社会の現状の深刻さを感じさせる。

目の前の人を殴れるのか

本当に中国人だけの問題か

 今回の題を「政治に対する雑感」とせず、「日々の雑感」としたのには理由がある。私の在籍する教会でお世話になった関係者、牧師先生にクリスマスカードを贈る際に、かつて教会に来ていただいた中国出身の牧師先生にクリスマスカードに寄せ書きをすることになったからだ。私は、思わず「何があろうと宗教は国境を越えて1つになる」と書いた。本当のところは、高市の中国に対する偏見性や、台湾における軍事的衝突においてアメリカとともに軍事力行使を行うという野心の問題点などにも言及をしたかったが、クリスマスカードということもあって、抑え目な形にした。

 また、先日両親と共に京都をした際、父が不調になったとき心配した観光客の中国人がみかんをくれるという優しい心配りをしてくれた。現実問題として、中国人の友人、親切にしてくれた人がいれば、どうしてもSNSやSNSに迎合するメディア関係者のように中国人への差別、侮蔑を伴う攻撃を憂いかつ強く抵抗したいという気持ちにならずにはいられないのではないか。

 こういった感想が出ると、すぐ、中国人と順番待ちでケンカになったとか、公衆の場で大きい声で騒ぐのが迷惑だとか、マナー違反やトラブルの点を強調する形で反発する声が出てくる。だが、冒頭にもある通り、基本的にはマナー違反、トラブルの点で日本で生活している中国人と揉めるといったことは私の経験上はあまりないし、ここに挙げられた事例は日本人でも目にすることが多いマナー違反、トラブルである。

権力を傘に来た外国人には沈黙か

 それに、マナー違反、トラブルの点での問題というのであれば、在日米軍の米兵のトラブルはより深刻である。もちろん、元米兵であるアレン・ネルソンの証言(※3)にある通り、海兵隊に入る兵士はアメリカにおいて差別的な扱いを受けていた人たちという点では被害者的側面がある人たちであることは間違いない。しかし、彼らが在日米軍の兵士であることを理由に、日本の司法権や捜査権において制約があるというのも事実である。在日米軍の問題がクローズアップされにくい理由としては、やはり日米関係を同盟として位置付ける以上、不都合な事実はあまり表に出したくないというのがあるからだろう。であるがゆえに、沖縄での抗議活動を行う人たちを金で動員されたとか、アカ呼ばわりする動きがあるのではないか。在日米軍の兵士は権力を傘に着ているという点では、通常の在日アメリカ人と異なるのだということを認識するべきである。

内向き志向の克服を

 冒頭のバナーには、浴衣と中国服を着た、いらすとやの子どもたちの絵を掲載した。ここからすると、浴衣を着たのが日本人の子どもで、中国服を着たのが中国人の子どもと思うのではないか。しかし、私は京都観光をした際に、和服を着ながら観光を楽しんでいる中国人が多いことに気づいた。大原三千院の客殿では着物を着た若くてきれいな女の子がしとやかそうに座るという写真にピッタリな光景があったが、彼女は中国語をしゃべっていた。大覚寺でも、紋付き袴、着物を着たカップルがいたが、訊くと彼らは香港から来ていたという。

 こうしてみると、もしかしたら、バナーにある子どもたちは最初は日本の子どもたちが浴衣を着、中国の子どもたちが中国服を着ていたが、お互いが相手の服に興味を持ち、交換をしたのかもしれない。もちろん、女の子のお団子ヘアーは中国人の女の子が日本人の女の子にいろいろ手ほどきをしたのである。そして、中国人の男の子は浴衣を着てニコニコと喜び、日本人の女の子はチャイナドレスに口を開けて喜び、他の子たちも、異なる文化の服装を着て嬉しそうにしているというシーンを表現したものと解釈する余地はないだろうか。

 私たちはよく「国際化」という言葉を耳にするが、本当の意味の「国際化」とは自分の殻に閉じこもらないことであろう。ともすると、自分に都合のいい外国人だけにばかり目をむき、都合が悪いとみなす外国人を差別、偏見で見るというダブルスタンダードはいつ終わるのであろうか。脱亜入欧的発想の克服こそが求められている。


私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) Xユーザーの西田亮介/Ryosuke Nishidaさん 午後3:48 2025年12月5日など。先日、発達障害者の当事者会で、ヘルプマークを付けていることで言いがかりをつけられる可能性があるからしない、と話していた人がいたが、この手のタイプは中国人へのヘイトも行う可能性がないのか危惧する次第である。

(※2) No 'real' Chinatown in S. Korea, the result of xenophobic attitudes ハンギョレ英文版 2006年8月9日 11:24

(※3) 『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』(アレン・ネルソン)|講談社

『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」「東京大空襲」』(三枝 義浩)|講談社

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