整体師とお坊さんとカカシ 第21話
男体山の登山口となる二荒山神社中宮祠は朝6時から受付け開始という。
僕は早めに民宿を出た。
入山料を払うと「下野国一之宮 日光二荒山神社登拝交通御守護 男体山登拝」のお守りを渡された。いよいよ修行が始まる感じがして気が引き締まる。
本社神苑の拝観は8時からなので、空海お手植えの「高野槙」を見るのは諦めた。とにかく男体山登頂を成し遂げねば。
掲げられた注意書きには『往復に要する時間は平均7時間です(休憩時間除く)』『午後は天候が急変しやすいので早めの下山を心がけましょう』とあった。
「よし、目標は8時間。こまめに休憩をとって、昼食時間を入れても16時までに戻ってくるぞ」
なにせ登山初心者なうえ体力に自信があるわけでもない。僕は考慮して予定時間に余裕を持たせた。
登拝口の鳥居をくぐってしばらくは石段が続く。周りは緑の木々がどこまでも並び薄暗いほどだ。しかし歩いているうちに楽しくなり、太陽に照らされない分、体力を消耗しないのだと前向きに捉えることにした。
『一合目』と彫られた石の標識を過ぎた辺りから道路事情が一変。階段ではなく、土と石と木の根っこが剥き出しの山道となる。一歩一歩足の踏み場を見極めながら進まねばならないので神経を使うし速度も落ちる。
「うわっ、気をつけないと足首を捻りそうだ。グリッってなったらやっかいだぞ」
平日だからか、登山者をほとんど見かけない。気兼ねなく声を上げて自分を元気づけた。
三合目から舗装された道路になりホッとした。心に余裕も生まれて景色を見渡せば、中禅寺湖が目に入った。民宿から見た角度とは違い、眼下に広がる湖が素晴らしい。しばし立ち止まって英気を養うと、再び先を急ぐ。
舗装道路が終わる辺りから四合目らしい。『登山道入り口』の看板と石の鳥居が出迎えて、リセットを思わせる。
「ここから本番ってことか」
僕は気合いを入れ直したが、やはり予感は的中した。
石段はすぐに自然石が転がる坂道となり、5合目、6合目と登るにつれて石から岩へレベルアップしていくではないか。
岩場を登るには足だけでなく全身を使うため疲れ方が違う。少し登っては一休みするので進み方も遅い。
心のどこかでまた舗装道路になるのではないかと淡い希望を抱くが甘かった。
7合目辺りから大きな岩がさらに増えて、岩、岩、岩、超えても超えても灰色の岩が待ち受けている。果たして体力がもつだろうか。
息は上がり、ベタベタとまとわりつく汗が皮膚呼吸をじゃましやがる。
おまけに慣れないトレッキングシューズのせいか、足にマメができたらしく痛い。歩く際に余計な神経を使わねばならずなおさら疲れがました感じだ。過酷な現状を目の当たりにしてつい弱気になってしまう。
「まさかここまでとわ」
僕は自分の選択を後悔しつつも、心のどこかでワクワクが芽吹くのを感じていた。
きついからと諦めていては何も変わらない。経験したことのない苦難を乗り越えてこそ「修行」と言えるはずだ。
己に渇を入れて重たい足を前に出し、さらに一歩一歩登ってゆく。
8合目から岩が少しずつ減り、9合目からは木造の階段になっていた。
ふと見れば辺りは背の高い木が急に減って森とは呼べない状態だ。標高による森林限界というやつか。おかげで見晴らしがよくなって山頂が近いことがわかり、ラストスパートのつもりで登った。
「嘘だろ、長い、長すぎる」
ところが頂上になかなか届かない。溶岩が固まって砕けた赤銅色の小さい岩で埋まる中を踏みしめ踏みしめして歩かねばならず、思ったように進まないのだ。
『霊峰 男体山頂 標高2486m』
横書きで記された山頂標識に辿り着くと思わず抱きしめた。
さらに少し先の高台にある二荒山神社奥宮を参拝し、傍らに鎮座する二荒山大神の御神像、そして御神剣を拝む。
僕は登頂成功の充実感に浸りつつ、ほどよい岩場に腰を下ろすと、女将さんが作ってくれたおにぎりをリュックから取り出した。
「いただきます」
手を合わすが早いか口に運ぶと、頬張りながら山々の絶景を満喫する。
汗で汚れないよう胸ポケットに入れていた腕時計を取り出すと、11時を少し過ぎたところだった。下山の時間はもっと短くなることを考えれば、予定通りに行きそうだ。
僕は下山し始めてすぐに素人考えだと痛感した。重力があるから理論的には早く歩けても、負担感がまったく違う。足をとられて転ばないように、ありとあらゆる部位に力を入れてバランスをとりながら降りてゆくからだ。溶岩の小ぶりな石にしろ、大きな岩にしろ、転がり落ちるところを想像するだけでぞっとする。
そろりそろりと歩を進めていたら、あろうことか雲行きが怪しくなってきた。
『午後は天候が急変しやすい』
注意書きの言葉を思い出してなおさら焦る。
「『泣きっ面に蜂』とはこのことか。この場合は『弱り目に祟り目』がふさわしいかもな、霊峰だけに」
などと独りごちていたら、頬にポツリと落ちるものがあった。
ポツリ、ポツリ、ポツリと頬や額、手の甲に感じる間隔が短くなり、やがて嫌でも雨だとわかる勢いに。
「まずいな。たしか避難小屋があったような気がするけど・・・・・・」
僕は登って来るとき目にした朧気な記憶を頼りに探しながら下山を続ける。
しかし雨は強くなる一方で、それらしい小屋はなかなか見つからない。
夏とはいえ標高があるから比較的涼しい。雨で濡れると体温を奪われてしまう。
だんだん凍えてきて歯がガチガチ鳴りだした。
「何とかしなけりゃ。このままだと本当に倒れて野垂れ死ぬぞ」
追い込まれると覚悟が決まるらしい。少し奥まったところに森があるのを見つけると即断した。
「あれだけ大きな木が茂っていれば雨宿りできる」
僕は山道から外れるのもかまわずその森へ向かって走った。
「くそっ、地面が濡れて滑るから足をとられてしまう。もうちょっと、あと100メートル・・・・・・」
残る力を振り絞るように足を上げて少しでも早く前に進もうともがく。
「あと少しだ、あと50メートル、あと、うわーーーっ」
*
「お母さん、お母さん、お母さん」
僕は写真でしか見たことがない面影に向かって呼びかけていた。
優しく懐かしい感じがする女性は微笑みながら見守っている。
「是光くん、そんなところで何やってんの、早く出てらっしゃい」
母だと思っていたが、しばらくすると別の女性になって僕に話しかける。
「え?部長?吉野かえでさんですよね」
長い黒髪と整った小顔、ちょっぴり強めな口調からすぐにわかった。
「おや、修行は済んだのかい。気をつけて帰ってくるんだよーーー」
また変わった。今度は民宿の女将さんに違いない。
僕はいったいどうしたんだろう。ここはどこなのか、なぜ夢ばかりみている・・・・・・。
「走馬灯!死ぬ間際に人生の思い出が一瞬にして駆け巡るというやつ。これが走馬灯なのか?」
そうつぶやいた途端、真っ暗だった目の前が薄ら明るくなった。
「おーい」
「もしもしー」
「だいじょうぶー」
誰かが僕の体を揺さぶってる。
「やっぱり死んでるよ」
「つついてみたら」
「ツンツン」
誰かが僕を指で突いた。
どうやら死んだと思われているらしい。
眩しいのでそっと目を明けてみる。
「うわぁ!生きてる-!」
「びっくりしたぁ」
叫び声とともに跳び上がる子どもたちが見えた。
だがどの子も顔がよくわからない。
「ここはどこ?」
「しゃべったーーー」
僕が上半身を起こしながら話しかけると、一目散に逃げてしまった。
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