小説『ドリップアウト』|第三話:焼き払った日
粉々に砕かれた人生でも、その一滴は踊る。
完璧主義、イジメ、偽り。そして、二度のうつ病。
僕の人生は音を立てて粉々に砕け散った。
呼吸の仕方も忘れるほど、分厚く、
乾いた壁に閉じ込められた日々。
その暗闇の先で見つけた「踊る一滴」とは。
まるで、珈琲ができるまでのような人生の物語。
主人公:一ノ瀬純 / 友人:広瀬徹 /
カフェのマスター:堀隆文
『ドリップアウト ―実体験に基づく物語―』
※この作品は、筆者の実体験をベースにした、
セミフィクションの私小説です。
一部、プライバシーや物語の構成上、
名称の変更や脚色を加えていますが、
綴られている感情の多くは
僕の身に起きた真実に基づいています。
第三章:モノカルチャー
-8歳-
僕が必死に積み上げてきた「できる子」という
完璧に思えたメッキは、
音を立てて剥がれ落ち始めた。
理由は簡単だ。
この頃になると、僕はろくに勉強もせず、
ろくに運動もしていなかったからだ。
あんなに好きだったかけっこも、
いつの間にか一番が取れなくなっていた。
二番になるくらいなら、走らない方がいい。
完璧でいられないのなら、
最初からやらない方がマシだ。
そう思って、僕は走るのをやめた。
学校からの帰り道、
通っていた保育園の横を通った。
かつてはあんなに広く、
どこまでも自由に見えていた園庭が、
今は驚くほど狭く、苦しく感じる。
世界が萎んでいく感覚が襲った。
そして、僕の窮屈な百点満点の生活は、
ある時あっけなく終わりを迎える。
………
……
…
教室に響く先生の怒声が、
最悪な日々の幕を開ける号砲となった。
常習化していたテストでの冒涜が、
先生に見つかったのだ。
けれど、僕をそれ以上に打ちのめしたのは、
連絡を受けて学校に来た母の、
ひどく落ち込んだ顔だった。
叱られるよりも、
その「失望」という名の静かな拒絶が、
僕の心に深く突き刺さった。
…
……
………
…………
ーーーー
感じたことのない恐怖へと変わる。
僕を包んでいた温い「祝福」の空気は、
一瞬にして凍りついた。
歪んだ「満点の生活」は、
跡形もなく無様に崩れていった。
居場所を失った僕は、
自分を誤魔化すために自慢話を並べ、
偽りを重ねるようになった。
「こんなすごいことがあった」
「家にいけばあんなものがある」
「僕はすごいんだ」と虚勢を張れば張るほど、
周りの友達は一人、また一人と離れていく。
………
……
…
気づけば、
僕の隣に立ってくれていたのは、
孝則だけだった。
………
……
……
僕は、破れた障子の向こう側にある、
あの薄暗い部屋に、
ますます深く依存していくようになった。
ゲームのドットが
窮屈そうに箱の中に押し込められている。
それを当たり前のように
僕は凝視してそこから動けない。
高いノイズが狭い部屋に響き渡り、
耳の奥を掻きむしる。
本当の世界から目を逸らし、
狭い箱の中で、点の一部となってゆく。
そこだけが、
僕が生きられる唯一の場所だと
信じて疑わなかった。
-9歳-
僕の世界は、ますます狭く、
暗い場所になっていった。
クラスの連中の視線が冷たい。
誰かが笑っていると、
自分の嘘がバレて
馬鹿にされているんじゃないかと、
耳の奥がカッと熱くなる。
学校での僕は、もはや「完璧な優等生」ではなく、
「何を考えているか分からない、嘘つきな一ノ瀬」だった。
家に帰れば、
妹の無邪気な笑い声が高いノイズのように
鼓膜を搔きむしる。
何も嘘をつかず、
ありのままの姿で愛されている妹を見ていると、
胸の奥がチリチリと焼けるように痛んだ。
………
……
…
「食欲ないの?」
母にそう言われて気づく。
自分はずっと箸の先を見つめて、
夕食の付け合わせを転がしていた。
母の心配そうな声さえ、
今の僕には「期待に応えられない役立たず」への
催促にしか聞こえない。
僕はただ黙って、自分の部屋にこもり、
足元のカーペットの毛羽立ちをじっと見つめる。
………
……
…
あとは、逃げるように孝則の家へ向かう日々。
孝則の家でコントローラーを握っている間だけは、
僕は「何者」でもなくて済んだ。
相変わらず破れた障子の隙間から入る光が、
埃を白く浮かび上がらせている。
そのモノクロームな静寂と比例して、
発光する箱の中だけは色鮮やかな魔法が放たれ、
敵をなぎ倒す。
その一瞬の万能感だけが、
僕がまだ生きていることを証明してくれる
唯一の世界だった。
-10歳-
この年、僕は自らの手で唯一の世界を焼き払った。
…
僕は一人になった。
たった一人の親友、孝則と喧嘩をしたのだ。
理由はあまりに些細で、そして惨めなものだった。あれほど没頭していた箱の中で、
僕は孝則に全く勝てなくなった。
勉強もダメ、運動もダメ。
嘘を塗り重ねてボロボロになった僕の中に、
唯一残されていた「ゲームだけは得意」という
最後の一片までもが、
目の前で粉々に砕け散った。
耐えられなかった。
その箱の中でさえ「敗者」になることは、
僕という人間の消滅を意味していた。
僕は孝則に、剥き出しの怒りをぶつけた。
「もういいよ、お前となんか遊ばない!」
今なら分かる。
本当に謝らなきゃいけないのは、僕の方だった。
けれど、
十歳の僕は、大好きだった親友よりも、
ちっぽけなプライドを選んだ。
謝る方法も、自分を許す方法も知らなかった僕は、
そのまま孝則と疎遠になった。
障子が破れた、あの埃っぽくて温かい部屋は、
もう僕の居場所ではなくなった。
逃げ場所を失った僕は、本当の意味で
独りきりの暗闇に放り出されたんだ。
………
……
…
放課後の教室で、
僕はただ自分の机の傷をじっと見つめていた。
………
……
…
視界に入るのは、誰かが彫った落書きと、
自分の指先だけ。
世界はこんなに広いのに、僕の居場所は、
この数十センチの机の上しか残されていなかった。
-11歳‐
小学校の卒業を間近に控え、僕は、
世界から色が消えたような日々を送っていた。
孝則がいない放課後は、
耐えがたいほど静かだった。
一人でいることは、
自分が誰からも必要とされていないことを
突きつけられる「拷問」と同じだった。
けれど、誰かに近づこうとすれば、
またあの惨めなプライドが邪魔をする。
――もう、誰も信じられない。
――でも、一人になるのは、死ぬほど怖い。
人を信じて、また裏切られるくらいなら、
最初から心に鍵をかけておいたほうがいい。
僕は、誰の心にも踏み込まず、
自分の心にも踏み込ませない「透明な壁」を、
自分の周りに張り巡らせた。
………
……
…
卒業式の予行演習。冷え切った体育館の床。
僕はただ、
自分の上履きの先をじっと見つめていた。
視界は足元のわずかな円の中に収まり、
周囲のざわめきは遠く、
まるで濁った水の中に潜っているかのように
籠もって聞こえる。
………
……
…
「中学校に行けば、きっと全部やり直せる」
呪文のように、それだけを繰り返していた。
汚れた過去も、
ついた嘘も、
親友を傷つけたあの日も、
全部この小学校に置いていこう。
僕はただ、春が来るのを震えながら待っていた。
新しい場所に行けば、
また「完璧な僕」に戻れるはずだと信じて。
-12歳-
二〇〇〇年、
千年紀の到来に世間は浮き足立っていた。
正直、僕はそんなことどうでもよかった。
自分のことで精一杯だったのだ。
中学にあがった僕の生活は、
意外にも順調に滑り出した。
小学校時代の「惨めな一ノ瀬」を
知る奴は少なかった。
昨年味わった「一人ぼっち」という名の拷問が、
皮肉にも僕の演技力を磨き上げていた。
場の空気を読み、
誰が何を求めているのかを瞬時に判断し、
最適な言葉を投げかける。
知ったかぶりの虚言はまだ残っていたけれど、
それすらも「場を盛り上げるスパイス」として、
以前よりずっと狡猾にコントロールしてみせた。
新しい友達もでき、
一緒に笑い合うこともできた。
けれど、
心の中にはいつも、
抜けない棘のような違和感があった。
――孝則。
同じ校舎の中にいるのに、
一度も言葉を交わすことはない。
廊下ですれ違うたびに、
心臓が握り潰されるような感覚に襲われる。
あの日、プライドを優先して「唯一の世界」を
焼き払ってしまったという後悔。
そして、
あれほど依存した関係が
いとも簡単に壊れるのだという絶望。
僕は、誰かと笑いながらも、
心のシャッターは重く閉ざしたままだった。
あれから僕は、
………
……
…
気が付くと
自分の足元ばかりを見つめるようになっていた。
たまに顔を上げても、
笑うクラスメイトの顔は
どこかフィルター越しのように遠く、
現実味がない。
まるで、
音の消えたモノクロ映画を観ているような、
色彩を欠いた光景。
もう二度と、あんな思いをするくらいなら、
誰も信じない方がマシだ。
いや、違う……
ただ、もう信じるのが、死ぬほど怖いのだ。
こんなことを考えながら、平和を装っていた。
しかし、その偽りで作られた平和ですら、
あえなく打ち砕かれてゆく…。
―― 13歳
その後、ほどなくして孝則は学校に来なくなった。
それから二度と、彼と会うことは叶わなかった。
(つづく)
【あとがき】
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
この物語は、僕が僕自身を取り戻すための、
そしてどこかで同じように息苦しさを感じている
誰かのための「人生」の記録です。
少しずつ、ゆっくりと綴っていこうと思います。
※この作品は実体験をベースにした私小説です。
画像制作や構成の一部にAIを活用しています。
追記
いつも温かい応援をいただき、
本当にありがとうございます。
想像以上に多くの方から反響をいただき、
僕自身、驚きと喜びでいっぱいです。
この物語を、一過性のものではなく
「長く、広く」継続し、
より多くの人の居場所にしたいと思いました。
当初予定していた
第二話以降の1週間限定公開を変更して、
運営方針を以下のように
アップデートさせていただきます。
【公開ルールについて】
第一話〜第五話: 常に「完全無料」で公開
第六話以降: 公開から、1週間限定で「無料公開」
※無料期間終了後の設定について
1記事100円の有料設定となりますが、
「誰でも無料で読めるチャンス」もご用意します。
💡 SNSでの紹介でずっと無料
「お金を払うのは難しいけれど、続きが読みたい」
という方もご安心ください。
noteの機能(SNS拡散による割引)を利用し、
SNSでこの記事を紹介してくださった方は、
期間終了後も無料でお読みいただけます。
あなたのシェアで、
まだこの物語に出会っていない
「どこかの誰か」に
居場所を届けるチャンスをください。
【いただいた応援の使い道】
有料で購読いただいた収益は、
うつ病の「あるある」発信や、
孤独を解消するための
「支え合いのコミュニティ」を
運営・拡大していくための
費用として大切に活用させていただきます。
▼ マガジン:ドリップアウト
第一話から最新話まで、
こちらからまとめてお読みいただけます。
【私小説「ドリップアウト」今後の展開】
第1話:落ちる一滴
第2話:完璧という呪い
第3話:焼き払った日(本記事)
第4話:剥離の時期(2026年2月7日更新予定)
……以降、毎週土曜日に更新予定(全11話)。
いいなと思ったら応援しよう!
サポートありがとうございます。いただいた応援は、今後のPodcast配信や、うつ病で得た経験を社会貢献できる活動へと繋げる大切な糧とさせていただきます。一歩ずつ進んでいきます。 温かいご支援に心から感謝します。