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小説『ドリップアウト』|第四話:剥離の時期

粉々に砕かれた人生でも、その一滴は踊る。


完璧主義、イジメ、偽り。そして、二度のうつ病。
僕の人生は音を立てて粉々に砕け散った。
呼吸の仕方も忘れるほど、分厚く、
乾いた壁に閉じ込められた日々。
その暗闇の先で見つけた「踊る一滴」とは。

まるで、珈琲ができるまでのような人生の物語。


主人公:一ノ瀬純 / 友人:広瀬徹 /
カフェのマスター:堀隆文

『ドリップアウト ―実体験に基づく物語―』
※この作品は、筆者の実体験をベースにした、
セミフィクションの私小説です。
一部、プライバシーや物語の構成上、
名称の変更や脚色を加えていますが、
綴られている感情の多くは
僕の身に起きた真実に基づいています。




第三章:モノカルチャー

-13歳-

友達が増え、このまま「安全な世界」を
泳ぎ切れると思っていた僕に、暗雲が立ち込めた。

視力が落ち、メガネをかけ始めた。

ただそれだけのことだった。 

けれど、クラスの不良たちが放った
「メガネっ子」という嘲笑まじりの言葉は、
驚くほど速く教室中に伝染し、
僕は格好のイジメの対象になった。

昨日まで笑い合っていた「友達」は、
一瞬で、僕を囲む冷ややかな「観客」に変わった。
順調だった毎日が、砂の城のように脆く崩れ去る。 陰湿さを増していくイジメに耐えられず、
僕は逃げるように学校を休むようになった。








数週間後。








親と教師に説得されて、意を決して登校した。



……
………


僕を待っていたのは、静まり返った教室だった。


………
……


イジメは、終わっていた。



………



親や教師が動いてくれたのか? 



……


誰かが僕を助けてくれたのか?







――違う。イジメの標的が、変わっただけだった。






それから、ほどなくして…










孝則は学校に来なくなった。










 それから二度と、彼と会うことは叶わなかった。






「ごめんね」











その一言が、どうしても言えなかった。

深く、深く後悔しても、もう遅い。

僕のちっぽけなプライドが、
彼の居場所さえも奪ってしまったのかもしれない。

僕の脳裏に、カランッと乾いた音が揺れる。

いつか幼い頃、
バトンを落としたあの瞬間が浮かぶ。

僕の手元から、
ゆっくりと期待がこぼれ落ちてゆく……。

人が怖い。何よりも自分自身が、もっと怖い。

視界の端で周囲の顔がぼやけてゆき、
僕は、誰にも開けないよう、
心の鍵を何重にも、何重にもかけ直していった。
視界はさらに狭まり、僕は部屋の隅で、
自分の膝だけを見つめるようになった。




………
……




気づくと、どうにもできない怒りと吐き気の中で、自分の髪をむしり取っていた。

指先に残る髪の根元の感触だけが、
僕の罪悪感をなだめてくれる唯一の痛みだった。


-14歳-


家族との会話は、もうほとんどなくなっていた。
僕に愛情が向かない分、
家族の関心はすべて妹へと注がれていた。

リビングから漏れ聞こえる温かな笑い声。

僕の部屋のドアを通り抜ける頃には、
僕を追い詰める不快なノイズに変わっていた。

学校では、孝則がいなくなった後も、
イジメの標的は次々と入れ替わっていった。

「次はまた僕かもしれない」

その恐怖に押しつぶされそうになるたび、
僕は無意識に右手を頭にやり、髪をむしり取った。



プチッ…


小さな断絶音と共に、指先に残る熱い痛みが、
かえって生を実感させた。
けれど、鏡を見るたびに絶望が襲う。
このまま髪を抜けば、また格好の標的にされる。

その恐怖が、また僕の指を動かす。

出口のない地獄。

僕の視界は、
床に散らばった自分の髪の毛を数えるだけの、
狭く惨めなものになっていた。



そんな時だった。

一人のクラスの女子と、
言葉を交わすようになったのは。

彼女と話している時だけは、
自分が「薄汚い負け犬」であることも、
抑えられない衝動も、少しだけ忘れられた。

暗闇に慣れきった僕のモノクロームな心に、
彼女の笑顔はあまりにも眩しく映った。

僕はあっという間に、彼女を好きになった。

僕たちは、クラスには内緒で付き合い始めた。

「僕にも、選んでくれる人がいたんだ」

付き合っているという事実が、
僕に小さな自信をくれた。




でも、その一方で、僕は心のどこかで怯えていた。




もし彼女が、孝則のように、
また僕の前から消えてしまったら……。


僕は、惨めなほど必死に彼女にしがみついた。

それは恋というにはあまりにも遠く、
底なし泥沼の中で見つけた「出口」のような感覚。

出口に向かおうとするほどに、
ゆっくりと、ドロドロと、
愛情は歪な形に変わっていく…。

​僕はあまりの必死さに、
その変化にさえ気づくことができない。
ただ、救いを求め続けることしか
できなくなっていった。


-15歳-

彼女との関係は続いていた。
不思議なことに、彼女と一緒にいる間は、
あんなに僕を苦しめた
「髪をむしり取る衝動」は消えていた。

けれど、その代わりに、
僕は別の「歪な衝動」に冒されていた。 

――束縛。

連絡が数分遅れるだけで、心臓が激しく波打つ。
世界に一人きりで放り出されたような感覚。

漠然とした恐怖に襲われる。

息ができず苦しい…。

 会えない時間は、
彼女が他の誰かと笑っているんじゃないかという
妄想が頭の中を支配する。

「どこにいるの?」 

「誰といるの?」

口から出るのは、彼女を気遣う言葉ではなく、
僕の不安をなだめるための尋問だった。
彼女の自由を奪うことでしか、
僕は自分を保てなくなっていたんだ。
それは彼女への愛ではなくなっていた。

ただ、
彼女は僕の正気を繋ぎ止める「道具」となり、
僕はまた一人で生きることが
死ぬほど怖かっただけなんだ。




そして、卒業の間際。

「もう、耐えられない」

彼女から告げられた別れは、あまりにも唐突で、
けれど当然の結末だった。

どうしたらよかったのか、分からなかった。

あんなに尽くしたのに。
僕には彼女しかいなかったのに。
悲しみよりも先に、行き場のない、
どうしようもない怒りだけが僕を支配する。

僕の視界から再び色彩が消え、
世界はまた、灰色のノイズで埋め尽くされた。

僕は、さらに多くの鍵を、
心の扉に何重にも重ねて閉ざした。

「誰も信じない。誰も必要ない」 

そう自分に言い聞かせ続ける。






………
……







ふと我に返ると、
床に落ちた誰かの消しクズを見つめていた。

ボロボロの靴先でそれを転がす。
ただじっと見つめ、何の迷いもなく潰し続けた。

中学生活に幕を引いた。


第四章:ストリッピング

-16歳-

僕は、自宅から電車で一時間以上かかる
工業高校に進学した。

理由はただ一つ。

僕という人間を、
誰も知らない場所へ行きたかったからだ。

小学校から重ねた嘘、親友を見捨てた罪、
彼女を道具にした執着。

遠い街に行けば、そのすべてを、
忌まわしい校舎に置いていける気がしたのだ。

けれど、入学してすぐに、
僕は自分の選択を後悔することになる。

実習服に身を包んだクラスメイトたちの目は、
僕とは対照的に輝いていた。 

「将来は設計士になりたい」

「エンジンの開発をしたい」

彼らは、
自分が何者になりたいのかをすでに知っていた。

休み時間になれば、
好きな機械や将来の夢の話で教室はあふれかえる。


僕には、何もない。

結局僕にあるのは、「嘘と罪と執着」だけで、
夢も希望も持たずにここへ来た。

途端に、自分の足元が不安定になるのを感じた。

人がおどける。声が遠のき、黒板が歪む。

教室が揺れる…。

……

「今、この瞬間をどう生き延びるか」

それだけで精一杯の僕にとって、
彼らの語る「未来」は、とてつもない焦燥感と、
逃げ場のない孤独を連れてきた。

自分との間に
厚い膜が張ったような感覚に襲われる。

周囲の熱も、音も、すべてが遮断された。

向こう側の出来事…。




………
……




気が付くと…

僕はただ、
実習ノートの端を指でなぞり続けていた。

視界には、新品のノートの真っ白な紙と、
鉛筆で黒く汚れた自分の指先だけ。

ここもまた、僕の居場所ではなかったんだ。

新しい制服という「殻」で身を包んでも、
中身はボロボロと剥がれ落ちていく。


-17歳-

僕は、偽りの自分を完璧に演出し続けることに、
すべてのエネルギーを注いでいた。

興味のないエンジンや車の知識を必死に詰め込み、
何とかクラスの輪の端っこに滑り込む。

そんな中で、どうしても目が離せない存在がいた。

広瀬徹

彼はいつもクラスの端で一人、本を読み、
音楽を聴いていた。

 寂しくないのだろうか…。


なぜ、周囲の顔色を窺わずにいられるのか。

一切の同調を拒み、静寂の中に佇む彼の姿は、
僕には手が届かない「孤高」に見えた。

僕はといえば、祖母の敷地にあったずっと使われていない小屋を借りた。
そこをクラスの奴らの「たまり場」にすることで、
かろうじて自分の価値を保っていた。

夜な夜な集まる友人たち。笑い声。響く音楽。

けれど、煙草の煙が充満するその小屋で、
僕はいつも冷めた心で彼らを眺めていた。

視界に入るのは、灰皿に押し付けられた吸い殻と、誰かがこぼしたビールのシミだけ。

「彼らは、僕を目当てに来ているんじゃない。
この場所が目当てなんだ」

差し出したバイト代と、提供した場所。
それらを取り払った後に残る「一ノ瀬純」には、
何の魅力もないことを僕が一番よく知っていた。

どれほど賑やかな場所にいても、
僕の鼓膜には自分自身の不安な鼓動だけが
ずっと響いている。

相変わらず、心の扉は重く閉ざされたままだ。

もう、鍵の開け方どころか、

どこに取っ手があるのかさえ、

分からなくなっていた。


-18歳-

この年、僕は二人の祖父を相次いで亡くした。

あまりに重なる死。

喪服を着て、
焼香の煙が白く揺れるのを見つめながら、
僕は自分の将来という空っぽな器を
どう埋めればいいのか、途方に暮れていた。

ある日、
教室の隅で静かに本を読む広瀬徹を見ていた。

僕は手汗をかきながら、勇気を振り絞って、
徹に声をかけた。

「あのさ、参考にしたいんだけど……
進路、どうするの?」

徹は、静かに本を閉じ、
そっと僕を見てこう言った。

「俺は、介護士になろうと思ってるよ」

理由を聞くと、彼は高一の時、
一番可愛がってくれた祖父が亡くなったこと。

その時、自分は何もできなかったこと。

だから、誰かの力になりたいのだと話した。

その言葉には、
僕がこれまでに抱えた嘘や執着とは正反対の、
剥き出しの「本物」が宿っていた。

彼がなぜ、
周囲の喧騒に惑わされず「孤高」でいられたのか。

その理由に、ようやく触れた気がした。

「……じゃあ、俺も徹くんと同じ学校に行こうかな」

思わず口を突いて出た言葉だったが、
徹はふっと笑っていた。


久しぶりの感覚だった。


介護がやりたいわけじゃない。

ただ、嘘で塗り固められた自分の人生だが。

徹の傍にいれば、少しはマシになるんじゃないか。

そんな身勝手な期待と、
一人になることへの恐怖を抱えながら、
僕は自分の進路を、
彼という光の方向へ向けたのだ。

厚い膜が張ったような感覚が薄れる。

ほんの少しだけ、
ここから抜ける隙間が空いたような気がした。

ホッとしたんだと思う。

僕は数年ぶりに心から笑っていた。


―― 19歳
「一ノ瀬くん、
コーヒーサーバーに一滴一滴落ちる雫を見るのが、
僕は好きなんですよ。
踊っているように見えるでしょ」

粉々に砕かれた豆から、凝縮された雫が生まれる。

(つづく)


【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は、僕が僕自身を取り戻すための、
そしてどこかで同じように息苦しさを感じている
誰かのための「人生」の記録です。
少しずつ、ゆっくりと綴っていこうと思います。
※この作品は実体験をベースにした私小説です。
画像制作や構成の一部にAIを活用しています。


追記:2026年1月30日
いつも温かい応援をいただき、
本当にありがとうございます。

想像以上に多くの方から反響をいただき、
僕自身、驚きと喜びでいっぱいです。

この物語を、一過性のものではなく
「長く、広く」継続し、
より多くの人の居場所にしたいと思いました。

当初予定していた
第二話以降の1週間限定公開を変更して、
運営方針を以下のように
アップデートさせていただきます。


【公開ルールについて】

第一話〜第五話: 常に「完全無料」で公開

第六話以降: 公開から、1週間限定で「無料公開」

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【私小説「ドリップアウト」今後の展開】
第1話:落ちる一滴
第2話:完璧という呪い
第3話:焼き払った日
第4話:剥離の時期(本記事)
第5話:琥珀色の扉(2026年2月14日更新予定)

……以降、毎週土曜日に更新予定(全11話)。

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