メガネ屋史郎は見えすぎる 第7話:気になる男
【あらすじ】
『メガネ屋史郎は見えすぎる』
観察眼が鋭いベテラン店長・史郎。
客の「様々な事情」まで見抜いてしまう彼は、
今日も静かに働きたい。
だが、その静寂をぶち壊すのが、
新人正社員の咲ちゃん。
彼女が笑顔で拾ってくる「厄介なお客様」に、
史郎はいつも振り回されっぱなし。
「見えすぎる」店長と
「見えなさすぎる」従業員。
噛み合わない凸凹コンビによる、
笑いと涙の眼鏡推理コメディ。
【登場人物】
史郎(店長):
観察眼が鋭いあまり、
客のことが「見えすぎる」ベテラン。
咲ちゃん(従業員):
元気と笑顔は100点だが、技術は10点。
爆弾(困った客)を拾ってくる天才。
【読者の皆様へ】
本作品は「note創作大賞2026(4/8〜7/8)」への
応募作です。
※毎週土曜日に更新中。
7月8日までに2万字完結予定です。
第7話:気になる男
普段、このメガネ屋は
平穏と静けさに満ちている…のだが!
今日はなぜか久しぶりに繁盛していて、
次から次へとお客様が来店してくる。
新規の購入希望や、レンズのみの交換希望。
視力測定、フレームの再調整に、
特注品の受け渡し。
メガネ屋というのは、意外とやることが多い。
そんな中、私はあることに気づく。
忙しくなると、従業員の咲ちゃんは、
どんどんメガネが汚れてくるのだ。
たぶん、繁忙に慣れていないせいで
テンパるのだろう。
面白いほど、独り言を言いながら
あっちこっちへと右往左往している。
そして、何度もかけている
メガネを上げ下げするからか、
レンズが指紋でべったりと汚れて
曇りガラスのようになっている。
「咲ちゃん。大丈夫だよ、落ち着こう。掛けてるメガネが汚れてるから、まずは綺麗に拭こうか」
「え!? 咲のメガネ、汚れてますか!?」
テンパっている咲ちゃんは、
おもむろに制服の裾で汚れたレンズを
ゴシゴシと拭き上げた。
「ちょちょちょ! ちゃんとメガネ拭きを使いなよ! レンズに傷がついちゃうよ(笑)」
「あ! あ! ごめんなさい! そうだ、あれを取りに行かなきゃだった!」
(繁忙に慣れてないとはいえ、テンパりすぎだろ……)
自分も新米のときは、
同じような時期もあったことを思い出す。
同時に、そんな修羅場を前にしても
淡々と作業できている今の自分が
なんだか恐ろしくなる。
カランカラン。
乾いた扉のベルが鳴る。
来店したのは、
作業着を着た50代くらいの男性だった。
結構体格が良い。
作業着には黒い汚れがこびりつき、
足元には頑丈そうなごつい靴を履いている。
メガネは、ややヴィンテージ感のある丸メガネ。
気になるのは、そのレンズだ。
さっきの咲ちゃん同様、
曇りガラスのようになっている。
その男性は、目が合うなり、
テンパっている咲ちゃんをすかさず呼び止めた。
圧倒されたのか、あるいは驚いたのか、
咲ちゃんは「ひっ!」と
思わず小さな悲鳴を上げている。
私は手元でレンズの加工をしながら、
横目で様子を伺った。
何やら、その体格の良い男性は、
掛けているヴィンテージのメガネを外し、
レンズを指さしながら真剣な顔で相談をしている。
見ると、咲ちゃんは
両手にティッシュを3箱ほど抱えたまま、
硬直して動けなくなっていた。
(あれ取りに行かなきゃって、ティッシュのことだったんだ……)
最近の咲ちゃんは絶好調だったが、
今の彼女は違う。
完全に繁忙でいっぱいいっぱいなのだ。
(来るか……来るのか……久々に、あれが来てしまうのか……)
「店長ーーーー!!! 助げでくだざいーーー!」
(来たーーーー!!!)
最早、泣きそうになっている咲ちゃんの顔。
パニックのせいか、
腕に抱えられたティッシュの箱が
無惨にひしゃげている。
そしてよく見ると、
彼女は片手に自分のメガネ、
もう片手にお客様のメガネを持って
駆け寄ってきた。
(いや、いったいどういう状況ーそれ!!!)
「店長! 店長! あちらの男性のお客様がですね、傷がつかないレンズがほしいそうなんです! 毎日丁寧に使っているし、こまめに掃除しているのにどうしてもすぐに傷がついちゃって、何本も何本も買い替えてるんですって! このメガネも、せっかく高いレンズにしたのにすぐにダメになっちゃったんですって! 変ですよね! おかしいですよね! 咲、今ティッシュの補充をするところだったんですけど、どっちを先にやればいいですかね!? 別のお客様も測定室で待たせてるし、咲はどうすればいいですかーーー!」
咲ちゃんは、
とてつもない早口でベラベラとまくしたて、
完全に混乱している。
ツッコミたくなる言葉をグッと飲み込み、
私は言った。
「ちょっと待って! いったん落ち着こうか。まず、お客様のメガネを勝手にこっちへ持ってきちゃダメだよね。返しに行こう」
そうして2人で男性の元へ戻ると、
咲ちゃんは間違って預かったメガネではなく、
ひしゃげたティッシュ箱を男性に手渡していた。
(あー。もう彼女は、限界だ……)
「咲ちゃん。まずは測定室のお客様の対応をお願いできるかな? その他の対応は私がしておくから。私に任せて。あとで飲み物をご馳走するから、よろしくね」
「え! 飲み物ご馳走してくれるんですか!? じゃあ咲、ずっと気になってた向かいに新しいお店の新作の、クリームがいっぱいかかったジェラートみたいなやつがいいですー! 頑張りますー!」
(こいつ……奢られると分かった途端、めちゃくちゃ高そうな飲み物要求してきやがった……!)
潰れたティッシュ箱を持ったまま、
ルンルン気分で測定室に消えていく咲ちゃん。
私は男性の対応を急ぐ。
「お待たせいたしました。先ほどのスタッフは別のお客様の対応に入りましたので、ここからは私が代わって対応させていただきます。お話は伺いました。レンズがすぐに傷ついてしまってお困りだとか?」
「そうなんです。このメガネも、別の店で3ヶ月前に買ったばかりなんですけど、レンズがすぐに傷ついてしまって。視界が悪くて仕事にならないんですよ」
「一度、拝見してもよろしいですか?」
受け取ったレンズを光に透かしてみると、
確かに表面が激しく傷だらけになっていた。
男性は困り果てた様子で、
悲しそうに言葉を続ける。
「そのメガネ屋に行って保証で直してくれって頼んだんですけど、自損の場合は保証できないと断られてしまって……。高いレンズにしてもらったし、ハードコーティングっていうんですか? 傷防止の一番いいやつにしてもらったのに、すぐに傷だらけになっちゃうんです。ちゃんと綺麗に洗ったりもしてるんですよ……? 取り扱いも丁寧に、大事に使っていたのに、理由が分からなくて……」
「なるほど。それは、やりきれない思いをされましたね。……ちなみに確認なのですが、先ほど『綺麗に洗っていた』と仰っていましたが、具体的にどのような方法で洗われていたか伺ってもよろしいでしょうか?」
「あー、仕事終わりには必ず洗って掃除しています。会社にあるハンドソープでレンズに泡をつけて洗っていたし、汚れが酷いときは、お風呂場でお湯でしっかり流してました」
「なるほど。お客様、原因の1つは、まさにその『洗い方』ですね」
「え!?」
「結論から言うと、一般的な食器用洗剤のような『中性洗剤』なら洗っても大丈夫なのですが、石鹸やハンドソープ、ボディソープといったアルカリ性や酸性のものは絶対にNGなんです。メガネレンズの表面には、反射防止や撥水のための非常にデリケートなコーティングが施されています。そこにアルカリ性や酸性の液体がつくと、化学反応を起こしてボロボロに剥がれたり、ひび割れたりしてしまうのです。そして、1度剥がれたコーティングは二度と元には戻りません」
「え!? そうなんですか!?」
「つまりこれは、物理的な擦り傷ではなく、コーティングが剥離してしまった『クラック現象』という状態なんです。そしてもう1つ、それは必ず『水』で洗うこと。レンズのベースであるプラスチックと表面のコーティングは、熱にとても弱いのです。40度以上のお湯をかけると、素材の膨張率の違いにコーティングが耐えきれず、ひび割れの原因になります。そのため、お風呂場での丸洗いも実はNGなんです」
「そうだったんですか……!」
「そして、気になることがあります。お客様のお仕事の環境についてです。……もしかして、お客様は溶接などの高温を扱う作業をされていませんか? この小ぶりな丸メガネを選ばれたのも、溶接時に被るフェイスシールドの邪魔にならないようにするため……だったりしますか?」
男性は目を見開いた。
「なんでそこまで分かるんですか!? まさにその通りです、溶接の仕事をしてます。昔からコンタクトレンズが体質に合わなくて、仕方なくメガネをかけてるんですよ」
「やはり、そうでしたか……。残念ながら、その溶接作業による過酷な熱環境自体が、プラスチックレンズにとっては最もクラック現象を起こしやすい環境と言えます」
「そうだったのか……。じゃあ、どうしようもないんですかね。高いハードコーティングとやらも、私にとっては無意味だったのか……」
落胆する男性の目を見つめ、
私は不敵に微笑んだ。
「お客様。そこで、私から2つの提案があります」
「え!?」
「1つは、仕事専用のメガネを分けること。そして2つ目は、その仕事用メガネのレンズを『ガラスレンズ』に変えることです」
「ガラスレンズ? メガネのレンズって、みんなガラスじゃないんですか?」
「現在、メガネ市場で流通しているレンズの9割以上はプラスチックレンズなんです。なぜ今回、あえてガラスレンズにすべきなのか……それは、ガラスこそが『熱に非常に強く、さらに傷もつきにくい』という無敵の特性を持っているからです。正直なところ、お風呂に入ろうが、サウナに入ろうが、溶接の火花が飛んでこようが、ガラスレンズなら安心してご利用いただけます」
「本当ですか!?」
「ただし、もちろんデメリットもあります。プラスチックに比べて重いこと、そして強い衝撃で割れるリスクがあることです。ですが、お客様のメガネを拝見した限り、度数はそこまで強くありませんし、何より普段から道具を丁寧に、大事に使用されているお客様です。うっかり落としたり放り投げたりはしないでしょう。つまり、道具の特性を理解して大切に扱える『お客様だからこそ』、自信を持ってオススメできるのです。いかがでしょうか?」
「ガラスレンズ……。ぜひ、使ってみたいです!」
その日、男性は
店内で新しいフレームを1本選び、
ガラスレンズでご注文くださった。
そして、今まで掛けていた丸メガネは、
プライベート用として
プラスチックのレンズ交換をしていった。
…
…
…3日後。
「店長ー! この前言ってたガラスのレンズが届きましたー! 咲、ガラスレンズをみるの初めてですー!」
「お、そうか! 咲ちゃんは初めてか。じゃあ、あとで加工してみる?」
「えー! いいんですかー!? やりますやりますー! あ、あと、思い出しました! 店長、この前約束した新しいお店の新作の、クリームたっぷりのやつご馳走してくれるって言ってましたよねー!」
「あ、そういえば言ったね(笑)。分かった、このまま休憩をもらうから、ついでに買ってくるよ。ガラスレンズのお客様は棚に保管してて。」
「やったー!!! 楽しみにしてますー!!!」
(仕方ない……最近は本当に頑張ってくれてるし、買ってきてやるか)
…
…1時間後。
「咲ちゃん、言ってた新作のやつ買ってきたよー。すごい行列で大変だったんだからね」
加工場に向かうと、
そこには不敵な笑みを浮かべた咲ちゃんがいた。
「ふっふっふ……店長。咲、やりましたよ! 自分で調べながら、あのガラスレンズを加工しちゃいました! 店長へのサプライズです! すごいでしょ! 褒めてください! 咲を思いっきり褒めてください!!!」
私は買ってきたばかりのドリンクを手に、その場に凝固した。
「咲ちゃん……。君、今なんて言った……?」
「え!? だ・か・らー! さっき届いていたガラスレンズを加工したんです! 咲が1人でですよ!? すごくないですかー!」
私の顔から、みるみる血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「咲ちゃん……君、とんでもないことをやったね……」
「へ?」
「ガラスレンズを削った後の加工機では、そのままプラスチックレンズが削れなくなるんだよ……。なぜなら、加工機の中に目に見えないガラスの微粒子が飛び散るから、後から削るプラスチックレンズが全部傷だらけになっちゃうんだ。だから、ガラスレンズは原則、1日の営業の『最後』に削るか、削った後に徹底的に掃除しなきゃいけないんだよ……。今のままじゃ、次のお客様のレンズが加工できない……」
「へ……。じゃあ、これどうなるんですか……?」
「今から加工機の完全大掃除だよ、咲ちゃん……。覚悟はできてるよね……?」
「ひーーー!」
「ちなみに、この新作クリームたっぷりジェラート も没収です」
「そんなーーーー!!! 咲のジェラートがーーー!!!」
その後、ガラス片まみれになった
加工機の地獄の清掃方法を、
彼女にみっちりと叩き込んだのは言うまでもない。
そして、
レクチャーを受けている最中にもかかわらず、
隠れて新作クリームたっぷりジェラート を
ちょいちょい盗み飲みしていた咲ちゃんを、
私はしばらく許さないと心に決めたのだった。
__to be continued
【あとがき】
今回のエピソード、いかがでしたでしょうか。
眼鏡は、ただ視力を補う道具ではなく、
その人の世界の見方を変えるものだと
思っています。
主人公の史郎を通して、
日常の何気ない景色が
少しだけ鮮やかになる瞬間を描きたくて、
この物語を書きました。
※この作品は、
画像制作や構成の一部にAIを活用しています。
【史郎のメガネ豆知識】
今日は、
メガネの正しい清掃方法をお伝えします。
①まずは「水洗い」で砂埃を流す
いきなりメガネ拭きで乾拭きするのは絶対にNG。
レンズの表面についた微細な砂埃を引きずって、
自らヤスリで削るように傷をつけてしまいます。
まずは水で丸洗いしてゴミを流すのが鉄則です。
②油汚れには「薄めた台所用中性洗剤」
皮脂やメイクの汚れが気になるときは、
手のひらに台所用の中性洗剤を1、2滴垂らし、
水で少し薄めてから指の腹で優しく
レンズを撫で洗いします。
③ティッシュで「水気を吸い取る」
洗った後は、
ティッシュを優しく押し当てるようにして
水気を吸い取ります。
ここでゴシゴシ擦ってはいけません。
水滴を残したまま自然乾燥させると、
水垢がシミになって取れなくなります。
④仕上げに「綺麗なメガネ拭き(セリート)」
で拭き上げる
水気が完全になくなったら、
ここで初めてメガネ拭きの登場です。
レンズの端を優しく持って、
一方向に滑らせるように拭き上げます。
☝メガネ拭きの洗濯について
メガネ拭きは何度も使っていると、
皮脂汚れを吸い込んで
逆にレンズを汚すようになります。
実は普通に洗濯して何度も使えるのですが、
「柔軟剤」を使ってしまうと
繊維に油分がコーティングされてしまい、
油汚れが拭き取りづらくなります。
台所用の中性洗剤で手洗いするか、
しっかりすすいで陰干しがオススメです。
▼ マガジン:小説「メガネ屋史郎は見えすぎる」
第1話から最新話まで、
こちらからまとめてお読みいただけます。
【小説「メガネ屋史郎は見えすぎる」今後の展開】
第1話:なんでもいいだけの男
第2話:見せてくれない女
第3話:破裂した男
第4話:気になっていた女
第5話:言い張る男
第6話:似合わない女
第7話:気になる男(本記事)
第8話:小さくなる女(2026.06.20更新予定)
最後まで、ご清覧いただき、
誠にありがとうございました。
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