「わかってくれた嬉しさ」で、関係まで決めなくていい
わかってくれた。
しかも、表面的なところではなくて、
自分でもまだうまく言葉にできていなかったところまで、
ちゃんと受け取ってもらえた気がした。
その瞬間、胸のあたりに入っていた力が抜けることがあります。
ああ、通じた。
ちゃんと届いた。
言い終わったあとに残っていた緊張がほどけて、
呼吸が少し深くなるような、あの感じ。
私はあの感覚が、すごく嬉しいです。
少し前にも、そんなふうに感じたことがありました。
自分の中にあった曖昧な感覚を、相手の人がきれいに拾って返してくれたんです。
「ああ、それです」と思ったのと同時に、
私は少しだけ前のめりになっていました。
この人は違うかもしれない。
この人は、わかってくれる人かもしれない。
でもあとから思いました。
その“通じた嬉しさ”と、
その人との関係は、同じではないのかもしれない、と。
今日は、そのことを書いてみます。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。
ひとつひとつ、大切に読んでいます。
今日もここに置いていきます。
わかってくれたとき、人はその人を特別に感じやすい
自分の気持ちが、ぴたりと届いたとき。
しかもそれが、表面ではなく、
もう一歩奥のところまで受け取られたと感じたとき。
人は思っている以上に、心が動くのだと思います。
普段、全部は伝わらなかったり、
どこか少しずつズレたり、
「そういうことじゃないんだけどな」と思うことが多い人ほど、
その一回の“通じた感じ”は大きい。
だからこそ、その嬉しさの勢いで、
相手そのものを一気に特別視しやすい。
この人は特別かもしれない。
この人は信用できる人かもしれない。
この人は、ちゃんとわかってくれる側の人かもしれない。
でも、そこで気持ちが大きく動いたからといって、
そのまま関係の意味まで決めなくていいのかもしれない、と私は思いました。
それは“関係の特別さ”ではなく、“相手の力量”かもしれない
あとから冷静に考えてみて思ったのは、
あのとき私が感動したのは、
私との関係の特別さというより、
相手の理解する力の高さだったのかもしれない、ということです。
言葉を受け取る力。
行間を読む力。
曖昧なものの輪郭をつかむ力。
相手の気持ちを、雑に扱わずに丁寧に返す力。
そういう力がある人は、
きっと私に対してだけではなく、
いろんな人に対しても、ある程度そうできる人なんだと思います。
つまり、
「こんなにわかってくれるなんて」と感じた出来事は、
私が特別だった証拠というより、
その人の力量に触れた、ということでもあるのかもしれない。
ここを混ぜてしまうと、
こっちだけが一気に距離を縮めそうになったり、
相手への期待を大きくしすぎたりする。
そして後から、
「あれ、私が感じたものと、この関係はまた別だったのかもしれない」
と、少し戸惑うこともある。
距離感は、近づくことそのものより“速さ”で違和感が出やすい
今回いちばん書いておきたいのは、ここです。
距離感って、
近づくことそのものより、
近づく速さで違和感が出やすい。
これは人との関係でも、けっこうある気がします。
近づくこと自体が嫌なんじゃない。
わかってくれる人に惹かれること自体も、たぶん自然なこと。
でも、
通じた嬉しさの勢いのまま、
気持ちも信頼も関係の意味づけも、一気に前へ進めようとすると、
どこかで苦しくなる。
相手が悪いわけでもなく、
自分が悪いわけでもなく、
ただ“速さ”が少し合っていなかった、ということもある。
そう思うと、
気持ちが動いたことはそのまま認めながら、
関係については少しだけゆっくり見てもいいのかもしれません。
「嬉しかった」は本物。でも、関係の判断は別でいい
大事なのは、
わかってもらえて嬉しかった、という気持ちまで疑わないことです。
あのとき安心した。
救われる感じがした。
ちゃんと届いた気がした。
それは、本当だった。
でも、その本当と、
「この人は特別な人だ」
「この人は信用できる人だ」
「この人とは近い関係だ」
という判断は、同時に決めなくてもいい。
嬉しさは受け取る。
ありがたさも受け取る。
でも、関係の意味づけは急がない。
その切り分けがあるだけで、
気持ちまで雑にしなくて済む気がします。
通じたことは、ちゃんと嬉しい。
でも、通じた嬉しさで、関係まで決めなくていい。
だから今の私は、
そのことを自戒をこめて、覚えておきたいと思っています。
もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。
▼合わせて読みたい
今回の話は、「わかってくれた嬉しさ」と「その人との関係」を分けて見る、という話でした。
でも、そもそも自分が何にこんなに心を動かしたのか。
その細かい反応を拾うこと自体が、自己理解の入口なのかもしれません。
・「私ってこうなんだ」を拾えると、少しだけ自分が頼もしくなる
そしてもうひとつ。
人とのあいだで、気づくと意味を背負いすぎたり、必要以上に引き受けすぎたりする。
そんな感覚に心当たりがある方には、こちらもつながると思います。
・「全部、私のせいかも」——その思考、使い方を間違えてた
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