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「私がなんとかしなきゃ」——そう思ったとき、もう始まっているのかもしれない

まだ返していないのに、もう疲れている。

そんなやりとりが、たまにある。

相手に何か言われた。
返事を考えている。
ちゃんと返したいと思っている。
それだけのはずなのに、胸のあたりが重い。

それでも私は、
返したほうがいいかな、
無下にしたら冷たいかな、
もう少し丁寧に言えば伝わるかな、
早く返信してあげなくちゃ、
早く楽にしてあげなくちゃ、
早く解決に導かなくちゃ、
と、気づけばそっちに取りかかってしまう。

今日は、そんなときの話を書きます。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。ひとつひとつ、大切に読んでいます。
マガジンに追加していただけることも、ありがたく受け取っています。
今日もここに置いていきます。

削れているのに、取りかかってしまう


雑に返したくない。
放っておくのも違う気がする。
できるなら、こじれずに、ちゃんと伝わる形にしたい。

その気持ち自体は、悪いものじゃない。
むしろ私は、そこを大事にしてきたからこそ、
相手の事情も考えるし、
言い方も考えるし、
なるべく傷つけない形を探したくなる。

でも、厄介なのはそこから先だった。

私は、自分が削れていることに気づかないまま、
その“ちゃんと”に取りかかってしまうことがある。

返事を打つ前から重い。
考えるだけで気が削れる。
まだ送ってもいないのに、もう疲れている。

それなのに、
いや、ここで黙るのは冷たいかも。
私がちゃんとしたら変わるかも。
もう少し整理して返したら落ち着くかも。
と、自分を説得しながら続けてしまう。

たぶん私は、
削れているのに「頑張ろう」と思っているんじゃない。
削れていること自体に、まず気づいていない。

真面目な人ほど、
ここが自動運転になりやすい気がしている。

消耗は、誠実さの証拠じゃない

前の私は、
しんどいけど向き合うことを、
当たり前だと思っていた。

苦しいけど返す。
重いけど説明する。
わかってもらえないなら、もっと整えて伝える。

そうやって、
自分が少し無理をしてでも関係を整えることが、
当然なんだと思っていたところがある。

でも今は、
少し違う見方をしている。

しんどい。
重い。
急かされるような感じがする。
相手のことなのに、なぜか自分のタスクみたいになっている。

そういう感覚が出ているなら、
それは「ここが頑張りどころですよ」というサインじゃなくて、
「何かがズレていますよ」というサインかもしれない。

私はよく、
消耗しているときほど
“ここでちゃんとしなきゃ”と思ってしまう。

でも本当は逆なのかもしれない。

削れながらやっているなら、
その誠実さの向け方、量、タイミング、
どこかで無理が起きている。

すり減ってまで続けることは、
美しさでも正しさでもなく、
自分の感覚を置いてきぼりにしているだけかもしれない。

どうして降りられないのか

とはいえ、
ここで止まれたら苦労しない。

たぶん降りられないのは、
相手が怖いからだけじゃない。
自分の中に、いくつかの前提があるからだと思う。

ちゃんと応じるのが当然。
関係を壊したくない。
相手にも事情があるのかもしれない、と思ってしまう。
ここで引いたら、私がモヤモヤする。
私が少し頑張れば、収まる気がしてしまう。

そういうものが重なると、
本当はしんどいのに、
「ここで離れる」という発想が出にくくなる。

それに加えて、
私は“期待されること”に弱いのかもしれない、とも思う。

頼りにされた。
相談された。
この人は私に話してくれた。

そうなると、
応えたい、と思ってしまう。

ちゃんと返したい。
力になりたい。
期待を裏切りたくない。

しかもそれを、
「信用された」「選ばれた」と受け取って、
少し嬉しくなっている自分もいる。

頼りになる相手だと思われたのかもしれない。
ちゃんとした人だと見てもらえたのかもしれない。
そう思うと、
期待に沿えるように頑張ろうとしてしまう。


でも今思うと、
それは本当に“信用”だったのか、
少し立ち止まって見てもいいのかもしれない。

相手はただ、
寄りかかりやすい相手、
引き受けてくれそうな相手、
押したら抱えてくれそうな相手を、
本能的に見分けていたのかもしれない。

だとしたら、
私は“頼りになる人”として選ばれたというより、
“引き受けてくれる人”として選ばれていた可能性もある。

ここ、正直ちょっと痛い。
でも、この痛さを見ないままだと、
私はまた嬉々として、その役割に入ってしまう気がする。

引き受けないことも、誠実さのひとつ

ここ、ずっと誤解していた気がする。

返すことが誠実。
説明することが誠実。
わかってもらおうとすることが誠実。

たしかに、それが必要な場面もある。
ちゃんと届く相手もいる。
少し言葉が足りなくても、
受け取ろうとしてくれる関係もある。

でも、全部がそうではない。

どれだけ整えても、
受け取る前提そのものがない場面がある。
こちらが言葉を足すほど、
なぜかこちらだけが疲弊していく関係もある。

今回書きたいのは、
そういうときの話です。

自分を削ってまで差し出す誠実さは、
自分にとってよくないだけじゃなく、
相手にとっても、たぶん健全じゃない。

本来、その人が引き受けるものまで
こちらが引き受けてしまうと、
相手は自分の課題を自分のものとして持ちにくくなる。

だから、
差し戻していいんだと思う。

これは私が全部背負うことじゃない。
これは、あなたの側の問題でもある。
私はそこまで引き受けない。

そうやって返すこと。

かわいそうだから抱える、を続けないこと。
苦しそうだから、こっちが全部整える役に回らないこと。

それも冷たさじゃなく、
ひとつの誠実さなのかもしれない。

人を切るんじゃなく、自分に戻る

ここで難しいのは、
相手そのものを否定したいわけじゃない、ということだと思う。

その人にはその人の事情がある。
背景もある。
だから白黒で切って、
悪者にしたいわけじゃない。

でもそれと、
今の私がどこまで引き受けるかは別の話だ。

人を否定しなくてもいい。
でも、自分を消耗させる関わり方まで引き受けなくていい。

今はその役割をやらない。
今はその熱量に乗らない。
今はその相手に、その形で誠実さを差し出さない。

それは見捨てることとは、少し違う。

相手の人生のハンドルまで握らないこと。
自分のハンドルを、自分の手元に戻すこと。

たぶん今回の話は、
全部の人間関係に当てはまる法則ではない。

ちゃんと話せば通じる相手もいる。
誠実さが育てる関係も、もちろんある。

それでも、
こちらだけが削れていく場面では、
別の見方が要る。

そのときは、
相手が正しいかどうかより先に、
私はもう消耗していないか、
を見たほうがいいのかもしれない。

削れているなら、
それは無理して進めの合図じゃないのかもしれない。

少し引いていい。
降りていい。
差し戻していい。

誠実さは、
誰にでも同じ量をばらまくことじゃなかった。

自分を守りながら渡すことも、
ちゃんと誠実さのうちなんだと思う。

もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。


▼合わせて読みたい

今回の話は、「私がなんとかしなきゃ」が始まるときの、自分の消耗に気づく話でした。

でも、その前段階で、
「わかってくれた」
「頼りにされた」
その嬉しさで、関係の意味まで急いで決めてしまうことがあります。

そんな感覚に心当たりがある方には、こちらもつながると思います。

そしてもうひとつ。

相手の「どうしても」には反応できるのに、自分の「どうしても」は引っ込めてしまう。
その流れごと見たい方には、こちらもどうぞ。


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もし見落としがあったらごめんなさい。あとから気づくこともあるのですが、その分もちゃんとありがたく受け取っています。

ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。

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