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「連絡来てないかな」私は自分を二十四時間営業にしていた


スマホを見ていたのではなく、待機していた

気づいたら、スマホを見ていた。

LINEが届いていないか。
メールが来ていないか。
どこかから連絡が入っていないか。

別に、待ち遠しく思っている連絡があったわけではない。

それなのに、私は無意識にスマホを確認していた。

楽しみにしている、というより、異常がないかを見ている感じだった。
警備員が巡回するみたいに、何か起きていないかを確認していた。

その時、ふと思った。

私は、スマホを見ていたのではない。
「何かが起きた時に、すぐ対応できる自分」でいようとしていたのかもしれない。

いつでも返せるように。
いつでも気づけるように。
いつでも反応できるように。

私は、自分をずっとスタンバイ状態にしていた。

そう気づいた時、唖然とした。

そして、痛かった。

それは、ただのスマホ癖ではなかったからだ。

私は、自分の時間を生きているつもりで、誰かに呼ばれる前から、自分を差し出していたのかもしれない。


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呼ばれる前から、もう差し出していた


私は、連絡が来た時だけ反応していたのではなかった。

連絡が来る前から、もう待っていた。

誰かに呼ばれた時に、すぐ「はい」と言えるように。
何か頼まれた時に、すぐ動けるように。
何か問題が起きた時に、すぐ対応できるように。

自分の一部を、いつも空けていた。

それは一見、責任感のようにも見える。
ちゃんとしていることのようにも見える。
人を大事にしていることのようにも見える。

でも、その奥にあったのは、もう少し苦しいものだった。

呼ばれたら応じなければいけない。
気づいたら返さなければいけない。
待たせてはいけない。
困らせてはいけない。
雑にしてはいけない。

そのために、私は自分を先に差し出していた。

まだ誰にも頼まれていないのに。
まだ何も起きていないのに。
まだ私の時間だったはずなのに。

その時間まで、私は誰かのために空けていた。

ここに気づいた時、唖然とした。

私は、私の人生の中で、こんなにも「受け」の姿勢でいたのかと思った。

自分から動くのではなく、外から何かが来るのを待つ。
自分から選ぶのではなく、誰かの用件に反応する。
自分の今を確かめる前に、誰かから何か届いていないかを確かめる。

まるで、自分の主導権を、通知の向こう側に預けているみたいだった。

私には「営業時間外」がなかった

この感覚を考えていた時、「営業時間」という言葉が浮かんだ。

お店には、営業時間がある。

開いている時間があり、閉まっている時間がある。
対応できる時間があり、対応しない時間がある。
それは冷たいことではなく、運営するために必要な境界線だ。

でも、私は自分に対して、その感覚を持っていなかったのかもしれない。

いつでも開いている。
呼ばれたら開ける。
来られたら応じる。
頼まれたらできるだけ差し出す。

営業時間外です、と言う発想がなかった。

自分の中に、閉店時間がなかった。

だから、スマホを見る。
LINEを確認する。
メールを確認する。
何か起きていないか、無意識に巡回する。

それは、便利な生活習慣というより、私自身を二十四時間営業にしている感覚に近かった。

もちろん、仕事や役割として、緊急対応を担っている人もいると思う。

けれど、私がここで気づいたのは、そういう制度上の待機とは少し違う。

誰かに頼まれたわけでも、決められた役割があるわけでもないのに、私生活の中でまで、自分を勝手に開けっぱなしにしていたということだった。

ここが痛かった。

私は、誰かに優しくしたかっただけかもしれない。
ちゃんと対応したかっただけかもしれない。
迷惑をかけたくなかっただけかもしれない。

でも、その結果、自分の時間に鍵をかけることができなくなっていた。

私の中に、「今は閉めています」がなかった。

軽く扱われた、と感じた時

このことは、最近の別の違和感ともつながっている気がした。

約束していた時間に、電話がつながらなかったことがあった。

先日、十時から十一時の間に電話しよう、と約束していたことがあった。
その一時間、私は電話に出られるようにしていた。
でも、結局つながらなかった。

もちろん、事情があったのかもしれない。
忘れていただけかもしれない。
悪気はなかったのかもしれない。

それでも、私は思った以上に傷ついた。

ただ電話に出なかった、というだけではなかった。

私は、待つ側に置かれた感じがした。
約束を軽く扱われた感じがした。
私の時間が、あまり大事にされていないように感じた。

その感覚が、はっきり嫌だった。

けれど、その後に私は、すぐ自分の内側へ戻りそうになった。

私が自分を軽く扱っているから、こういう扱いをされるのかな。
私がそういう相手として見られているのかな。
私にも原因があるのかな。

そう考える癖が、私にはある。

自分に戻って見ることは、大切な時もある。

でも、そればかりしていると、相手のしたことまで、全部自分の中に回収してしまう。

本当は、まず分けてよかったのだと思う。

相手がしたこと。
私が感じたこと。
これから私が伝えていいこと。

相手がしたことは、約束の時間に電話に出なかったこと。

私が感じたことは、軽く扱われたようで嫌だったこと。

これから伝えていいことは、約束していた時間に出られないなら、一言ほしいということ。

この三つは、同じではない。

私は、ここをすぐに混ぜてしまう。

相手の事情を想像する。
自分の原因を探す。
責めすぎないようにする。
大ごとにしないようにする。

その前に、本当は一度だけ、置いてよかった。

私は嫌だった。

『私は』『嫌だった』。


その感覚を、消さなくてよかった。

境界線は、冷たさではなく営業時間だった

境界線を引く、という言葉は、少し強く聞こえることがある。

拒絶するような。
突き放すような。
冷たくなるような。

でも、今回の感覚で言うなら、境界線はもっと実務的なものだった。

営業時間を決めること。

今は開ける。
今は閉める。
ここまでは対応する。
ここからは対応しない。
この時間は返す。
この時間は見ない。
これは引き受ける。
これは私のものではない。

それだけのことなのだと思う。

誰かを嫌いになるためではない。
誰かを拒むためでもない。

自分を二十四時間営業にしないため。

呼ばれていない時間まで、先に差し出さないため。

常に反応できる人でいようとすると、相手から見た私は、「いつでも開いている人」になってしまう。

この人なら返してくれる。
この人なら待ってくれる。
この人なら多少遅れても許してくれる。
この人なら何とかしてくれる。

相手が意識的にそう思っているとは限らない。

でも、こちらがいつも開けていると、関係性の中で、そういう配置になりやすいのかもしれない。

だから今、私は断る練習が必要な時期にいるのだと思う。

強くなるためではない。

自分を雑に扱わせないため。
自分の時間をなかったことにしないため。
自分を「いつでも使える状態」に置きっぱなしにしないため。

役に立たない自分は、いてはいけないのか

ここまで考えて、もう少し奥にあるものにも触れた。

私はどこかで、役に立たない自分は、いてはいけないように感じていたのかもしれない。

苦労している自分。
ちゃんと応えている自分。
誰かの役に立っている自分。
すぐ反応できる自分。
迷惑をかけない自分。
待たせない自分。

そういう自分でいることで、ようやく存在していていいような感覚。

反対に、ただ楽しそうにしている自分。
何の役にも立っていない自分。
自分のために時間を使っている自分。
すぐに返さない自分。
相手の都合に合わせない自分。

そういう自分には、どこかで許可が出ていなかったのかもしれない。

だから、私は待機していた。

誰かの役に立てるように。
責められないように。
ちゃんとしていると言えるように。
必要とされた時に、すぐ差し出せるように。


自分が休んでいる時間も、どこかで薄く営業中の看板が出ている感覚。

何もしていない時間を、安心して何もしていない時間にできない。

楽しんでいる時間を、安心して楽しんでいる時間にできない。

誰かから連絡が来ていないか。
何か起きていないか。
私が対応すべきことはないか。

そうやって、自分の時間の中に、いつも外側の気配が入り込んでくる。

それは、静かに無意識に自分を削る。

大きな事件ではない。
誰かにひどいことを言われたわけでもない。
目に見えて奪われたわけでもない。

でも、少しずつ削れていく。

自分の時間のはずなのに、完全には自分のものにならない。
休んでいるはずなのに、どこか待機している。
自由なはずなのに、いつでも呼ばれる準備をしている。

この削れ方は、見えにくい。

だからこそ、気づいた時に痛いのだと思う。

二十四時間営業を、少しずつ終えていく

私は、人に応じることをやめたいわけではない。

連絡を返したい時もある。
頼まれたら力になりたい時もある。
約束を大事にしたい気持ちもある。

それはなくさなくていい。

ただ、呼ばれる前から待ち続けることは、少しずつやめたい。

来ていない連絡のために、自分を空けておかなくていい。

まだ起きていない問題のために、自分を警備員にしなくていい。

誰かが困った時のために、自分の時間を先に差し出さなくていい。

スマホを見る前に、一度、自分に戻る。

私は今、何をしていたのか。
私は今、どこにいたのか。
私は今、自分の時間を生きていたのか。

その確認を、外側より先にする。

連絡が来ていたら、その時に見ればいい。
返せる時に返せばいい。
今すぐ返せないなら、今すぐ返せないままでいい。

約束を雑にされた時は、嫌だったと感じていい。
必要なら、言葉にして伝えていい。
相手の事情を想像する前に、自分の感覚をなかったことにしなくていい。

境界線とは、
自分の中に、営業時間を取り戻すことなのかもしれない。

私は今、開いている。
今は、閉めている。
ここまではできる。
ここからはできない。

そうやって、自分の時間に鍵をかけること。

そして、必要な時に、自分で開けること。

私は、誰かに呼ばれる前から、自分を待機させなくていい。

二十四時間営業を、少しずつ終えていく。

役に立っている時だけではなく、何も返していない時間の私にも、ここにいていい場所を返していく。

それはきっと、冷たくなることではない。

自分を、自分の側へ戻していくことなのだと思う。


読んでくださり、ありがとうございます。

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