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リスクに気づいた人が、責任者になるわけじゃない。

「油断できないな」と思っていた。

その人のことを考えるたびに、どこかヒヤヒヤしていた。
何か起きるかもしれない。
そのとき、こちらに負担が来るかもしれない。
そう思うと、意識の端をずっと持っていかれる感じがあった。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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今日は、「リスクに気づいたとき、どこまで自分が背負うのか」という話です。

◆ リスクに気づくと、意識を持っていかれる

リスクに気づくことがある。

「あれ、大丈夫かな」
「このままだと危ないかもしれない」
「あとで何か起きるんじゃないかな」

そう思った瞬間、まだ何も起きていないのに、意識だけが先に持っていかれる。

担当になったわけではない。
頼まれたわけでもない。
責任を引き受けたわけでもない。

それでも、頭の中ではもう考え始めている。

何か起きたらどうしよう。
誰に負担がかかるんだろう。
自分にも影響が来るんじゃないか。

そうやって、まだ現実には起きていないことを、先に神経で受け取ってしまう。

たぶん私は、それを「油断できない」と呼んでいた。

でも、少し立ち止まって考えた。

油断できない、ということは。
私は何を見張ろうとしていたんだろう。

◆ 見えたことと、背負うことは違う

リスクを感じること自体は、悪いことではないと思う。

むしろ、気づけるからこそ防げることもある。
違和感に鈍感でいるより、早めに気づける方が助けになる場面もある。

けれど、ここでひとつ混ざりやすいものがある。

リスクに気づくことと、
そのリスクの責任者になること。

このふたつは、同じではない。

たとえば、仕事でもあると思う。

「あの案件、納期が少し危ないかも」
「あの人、まだ確認できていないかもしれない」
「このままだと、後で誰かが困るかもしれない」

そう気づいた瞬間に、自分の中で小さく警報が鳴る。

もちろん、必要なら声をかける。
確認する。
共有する。
できる範囲で動く。

でも、気づいた人が、そのまま責任者になるわけではない。

見えたからといって、全部を自分が管理できるわけではない。
心配だからといって、全部を自分が背負えるわけではない。
気になるからといって、その人の人生や判断まで自分の担当にできるわけではない。

ここを分けないと、意識だけがずっと取られていく。

◆ 背負えないものまで、背負おうとしていた

今回、私がいちばん大きく気づいたのはここだった。

私はリスクを感じていた。
だからヒヤヒヤしていた。
油断できないと思っていた。

でも、そのリスクをよく見てみると、
私が責任を持てるものではなかった。

私が負担できるものでもない。
私が代わりにリカバーできるものでもない。
私がコントロールするものでもない。

もちろん、気持ちはある。

心配する気持ち。
応援したい気持ち。
助けたい気持ち。
できれば悪い方に転ばないでほしいと思う気持ち。

それはある。

でも、気持ちがあることと、役割として背負えることは違う。

ここをごっちゃにすると、相手の課題まで、自分の神経で肩代わりしてしまう。

本当は相手が考えること。
相手が選ぶこと。
相手が引き受けること。

そこまで、私の意識が先に行ってしまう。

その状態を、私は「心配している」と思っていたけれど、
もしかすると半分は、相手のリスク管理者になろうとしていたのかもしれない。

◆ 守備範囲を確認してから、静観する

静観する、という言葉が浮かんだ。

静かに見る。
すぐに手を出さない。
相手の課題を、自分のものとして抱え込まない。

ただ、静観は「何もしない」とは少し違う。

私にとっての静観は、
守備範囲を確認したうえで見ることに近い。

これは何のリスクなのか。
その責任者は誰なのか。
私はそれを実際に背負えるのか。

この三つを見てから、立ち位置を決める。

もし自分に判断権があるなら、動く。
自分が負担できる範囲なら、助ける。
自分が関わることで状況がよくなるなら、関わる。

でも、判断権もない。
負担もできない。
リカバーもできない。
それなのに意識だけ奪われているなら、一度線を引く。

それは冷たいことではないと思う。

背負えないものを、背負えるふりをしないこと。
相手の課題を、自分の不安で管理しようとしないこと。
自分の神経を、他人の人生の見張り番にしないこと。

そのための線引きなのだと思う。

◆ 気づいた人が、責任者になるわけじゃない

リスクに気づく人は、たぶん優しい。
よく見ている。
先のことを考える力がある。
だからこそ、危うさにも気づく。

でも、その力がある人ほど、
気づいた瞬間に、自分の役割まで広げてしまうことがある。

「見えた」
「気になる」
「心配」
「だから私がどうにかしなきゃ」

この流れに、少し待ったをかけたい。

リスクに気づいた人が、責任者になるわけじゃない。

気づいたことは、気づいたこと。
背負うかどうかは、また別の判断。

私にできること。
できないこと。
やると削られること。
むしろ自分が生きること。

そこまで含めて、役割は決めていい。

心配してもいい。
気になってもいい。
胸がざわついてもいい。

でも、そのざわつきだけで、背負う場所まで進まなくていい。

私の守備範囲は、相手をコントロールすることではなく、
リスクを見たうえで、自分の立ち位置を決めること。

そして、背負えないものは背負わずに、静かに見ること。

それだけで、意識を少し自分の手元に戻せる気がした。

もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。

▼合わせて読みたい

今回の記事では、
リスクに気づいた瞬間に、意識まで持っていかれてしまうことについて書きました。

近いところで、
「確認しただけ」のつもりだったのに、
気づけば自分が窓口や担当者のようになってしまうことがあります。

不安で先回りする前に、
「ここまでが私の役割です」と小さく線を引くための記事です。

確認しただけなのに、私が担当になる。

もうひとつは、
相手の反応や空気を受け取りすぎて、
いつの間にか自分が処理する側になっていた、という話です。

心配することと、全部を引き受けることは違う。
自分が持ちすぎていた荷物を、少しずつ元の場所に戻していく記事です。

受け取るのをやめたら、なぜか責められた気がした。

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◆ マガジン掲載お礼
記事をご紹介いただいたマガジンを、気づいたものから掲載しています。
見つけるたびに、嬉しく受け取っています。



ご紹介くださり、ありがとうございました。
これからも、置いてよかったと思っていただける記事を、ひとつずつ書いていきます。

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