役に立たないと、存在価値がない気がしていた。
誰かの役に立てた日は、やっぱり嬉しい。
「助かりました」と言われた。
自分の言葉や行動が、相手の力になった。
その場にいた意味が、少しだけ見えた気がした。
そういう日は、
自分のことも少し肯定しやすい。
でも、だからこそ。
役に立てなかった気がする日は、
反対に、自分まで小さくなってしまうことがある。
提案したけれど、響かなかった。
手伝おうとしたけれど、必要とされなかった。
頑張ったつもりなのに、反応が薄かった。
それだけのことなのに、
「私は、あまり価値がなかったのかもしれない」
みたいに感じてしまう。
*
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今日は、
「役に立つこと」と「自分の価値」を、いつの間にか同じものにしていたのかもしれない、という話を書いてみます。
役に立てるのは、たしかに嬉しい
役に立ちたい。
この気持ちそのものは、悪いものではないと思う。
誰かの困りごとが少し軽くなる。
自分の言葉で、相手が少し安心する。
自分の仕事で、誰かの手間が減る。
そういう瞬間は、やっぱり嬉しい。
「ああ、やってよかった」
「少しは力になれたのかもしれない」
「ここにいた意味があったのかもしれない」
そんなふうに思える。
仕事でも、人間関係でも、
誰かの役に立てることは、たしかに喜びになる。
そこにお金が発生することもある。
信頼につながることもある。
またお願いしたい、と思ってもらえることもある。
だから、
「役に立つことに価値がある」
という感覚は、まったく間違いではないと思う。
ただ、私の場合、
そこから少し先まで行ってしまっていたのかもしれない。
役に立てたら、価値がある。
役に立てなかったら、価値がない。
いつの間にか、 そんなふうに変換していた。
「役に立つ」は、誰かの価値観の中での評価だった
よく考えると、
「役に立つ」というのは、かなり相手側の基準に近い。
相手が困っていることに合っていたら、役に立つ。
相手が求めている形に合っていたら、評価される。
相手のタイミングに合っていたら、ありがたがられる。
だから、同じことをしても、
別の人には響かないことがある。
その人には必要なかった。
その場面では求められていなかった。
そのタイミングでは、受け取る余裕がなかった。
そういうこともある。
つまり、
役に立つかどうかは、
自分の価値そのものというより、
誰かの価値観の中での評価に近いのかもしれない。
評価は、あっていい。
評価されたいと思ってもいい。
評価を取りにいく場面があってもいい。
仕事なら、相手の求めているものに合わせることも大事だと思う。
「この人は何を必要としているんだろう」
「どうしたら助かるんだろう」
「どういう形なら届くんだろう」
そう考えて動けることは、ひとつの力でもある。
でも、
評価を見にいくことと、
評価を自分の価値そのものにしてしまうことは、たぶん違う。
他人の物差しで、自分の価値を測っていた
私はたぶん、
他人の物差しを借りて、
自分の価値を測ろうとしていた。
相手が喜んだら、私は価値がある。
相手に必要とされたら、私はここにいていい。
相手に評価されたら、私はちゃんとできている。
逆に、
反応が薄かったら、私は足りない。
必要とされなかったら、私は意味がない。
役に立てなかったら、私は価値がない。
そんなふうに、
外から返ってきた評価を、
そのまま自分の価値にしていたのかもしれない。
でも、それだと苦しくなる。
なぜなら、
他人の評価は変わるから。
人によって変わる。
場面によって変わる。
タイミングによって変わる。
相手の状態によっても変わる。
昨日は喜ばれたことが、今日は求められないかもしれない。
ある人には助けになったことが、別の人には余計なお世話になるかもしれない。
同じ言葉でも、届く日と届かない日がある。
そんな揺れやすいものを、
自分の価値の最終判定にしていたら、
私はずっと、誰かの反応に合わせて上下することになる。
価値を、他人基準だけにしなくてよかった
もちろん、
人からどう見られるかを全部無視する、という話ではない。
評価は見ていい。
評価から学んでもいい。
必要なら、相手の価値観に合わせて動いてもいい。
でも、それはあくまで、
その場での評価の話。
自分の価値そのものまで、
そこで決めなくてよかった。
役に立てなかった日があっても、
それは、
「その人の、その時の、その基準には合わなかった」
ということかもしれない。
「私は価値がない」
まで、急いで結論づけなくてよかった。
ここを分けるだけで、
少し呼吸がしやすくなる。
役に立てる自分を、否定しなくていい。
評価されたい気持ちも、なくさなくていい。
ただ、
役に立てなかった日まで、
自分の価値が下がったことにしなくていい。
いま、どの物差しで見ているのか
最近、立ち止まりたいときに、
こう問い直すようにしたいと思った。
今、私はどの価値観で判断しているんだろう。
これは、
他人の評価を取りにいく場面だろうか。
それとも、
自分の価値観を守る場面だろうか。
私は本当は、どうしたいんだろう。
この問いがあるだけで、
少しだけ、自分の手元に戻ってこられる気がする。
他人の評価に合わせることもできる。
でも、合わせないことも選べる。
評価を取りにいくこともできる。
でも、それを自分の価値そのものにはしない、と決めることもできる。
役に立つことは、嬉しい。
でも、
役に立つ私だけが、価値のある私ではない。
評価は、誰かの物差しで見た結果。
自分の価値は、その物差しだけで決めなくていい。
役に立てなかった日も、
反応が薄かった日も、
必要とされなかったように感じた日も。
それだけで、
自分の価値まで、手放さなくていい。
よければ一言だけ。
いまのあなたにいちばん近かった一文、どれでしたか。
読むだけでももちろん大丈夫です。
▼合わせて読みたい
「役に立たないといけない」と思い込んで、自分を削ってきた人へ
役に立てた日は安心するのに、役に立てなかった日は自分までダメになった気がする。
そんなふうに、自分の価値を“条件つき”で見てしまう感覚があるなら、こちらも近いです。
「ちゃんと返さなきゃ」で疲れる人は、“返事”じゃなく“印象”を背負っているからかも。
相手にどう思われるか、どう受け取られるかまで気になってしまう。
他人の反応を自分の担当にしすぎているかもしれない、と思った方にはこちらもつながります。
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