「どうしたい?」の前に、ルールが答えてしまう
笑顔でいなければいけない。
挨拶はきちんとしなければいけない。
みんなと仲良くしなければいけない。
私は、こういう“ちゃんとしたルール”を、わりと真面目に守ってきた方だと思います。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。ひとつひとつ、大切に読んでいます。…今日もここに置いていきます。
最近、ひとつ気づいたことがありました。
私は、「自分の気持ちがない」んじゃなかった。
気持ちより先に、ルールを通す癖があるだけだったんだな、ということです。
本当は嫌だとか、疲れたとか、距離を取りたいとか。
そういう気持ちがゼロだったわけじゃない。
ただ、その前にいつも別の声が出てきていたんです。
「ちゃんとしなきゃ」
「それは失礼かもしれない」
「感じよくしておいた方がいい」
「大人なんだから」
「ここで崩すのは違う」
先にそっちが答えてしまうから、自分の気持ちは後ろに回る。
気づけば、自分でも“私は別に平気なんだ”と思いやすくなる。
でも、そうじゃなかったのかもしれません。
気持ちがないんじゃない。
ルールが先に答えてしまうから、本音が出る前に話が終わっていただけだった。
ルールは、たぶん私を守ってきた
ここでややこしいのは、ルールそのものが悪者じゃないことです。
挨拶をする。
笑顔を向ける。
人となるべく穏やかに関わる。
それ自体は、たしかに大事なことだと思うんです。
相手を守るためでもあるし、自分を守るためでもある。
無用な摩擦を減らしたり、社会の中で安心して生きるための知恵でもある。
たぶん私は、そういうルールにずいぶん助けられてきました。
怠けないため。
嫌な思いをしないため。
ちゃんと生きるため。
そうやって身につけてきたものだから、簡単には外れない。
むしろ、長年がんばってくれた古参幹部みたいなものなんですよね。
だから、ルールを捨てればいいという話ではないんだと思います。
ただ、その古参幹部が、いつのまにか自分の気持ちより上座に座っていた。
そこが、しんどさの正体だったんじゃないかと思いました。
そのルール、今の私を守ってる?
たとえば、「笑顔でいなければいけない」というルール。
基本としては、わかる。
感じがいい人でいたいし、無愛想でいたいわけでもない。
でも、そのルールをどんな場面にも同じように当てはめると、おかしくなることがあります。
たとえば、自分をいじめてくる相手。
見下してくる相手。
こちらを雑に扱う相手。
そういう相手にまで、毎回ニコニコして、きちんと挨拶して、感じよくしていたらどうなるか。
たぶん相手は、「この人にはこうしていい」と学習するんですよね。
こちらが守っているつもりのルールが、結果として自分を守ってくれなくなる。
ここで初めて思うんです。
あれ、これって本当に“ちゃんとしてる”んだっけ。
それとも、ルールに縛られすぎて、自分の境界線まで差し出してるんだっけ、と。
“みんなと仲良くしなければいけない”も、似ている気がします。
仲良くできるなら、その方がいい。
でも、仲良くしてはいけない相手もいる。
近づかない方がいい相手もいる。
笑顔で処理しない方がいい場面もある。
なのに、ルールだけを正解として握っていると、そこが見えなくなる。
ルールは大事だけれど、いつでもどこでも100%適用すればいいものではない。
どんな場面でも同じように守ればいい、というものでもないんですよね。
守ってくれるはずだったルールが、場面によっては自分を苦しくさせることもある。
だからこそ、“そのルールを今ここで適用するかどうか”は、別で見たいんです。
礼儀のつもりが、義務になっていないか
たとえば、何かをしてもらったとき。
感謝を伝えるのは自然なことだと思います。
ありがとうを返したい、という気持ちもある。
でも、それがいつのまにか
「相当のお返しをしなくちゃいけない」
に変わることがある。
ここまで来ると、少し苦しくなるんですよね。
感謝ではなく、義務みたいになる。
気持ちというより、追い立てられる感じに近くなる。
こういうとき、自分に聞いてみたいんです。
それは礼儀?
それとも惰性?
礼儀だと思っていたものが、ただの惰性になっていることもある。
優しさのつもりが、防御になっていることもある。
自分の意思ではなく、義務だけで動いていることもある。
ルールって便利なんです。
迷わなくて済むし、考えなくて済むし、正しさっぽく見える。
でも、便利だからこそ、自分の気持ちを飛ばしてしまうことがある。
本当はそこまでしなくていいのに。
本当は、ありがとうだけで十分だったのに。
本当は、少し距離を取った方がよかったのに。
それでも、「ちゃんとしなきゃ」が先に出ると、そっちが採用されてしまう。
常識は便利だけど、万能じゃない
たぶんここで一回、立ち止まりたいんですよね。
これはルールなのか。
これは常識なのか。
そして、そのルールは今の私にも必要なのか。
もっと言うなら、
そのルール、今ここで適用する?
と、自分に聞いてみたい。
笑うのは優しさなのか。
それとも、防御なのか。
我慢するのは大人だからなのか。
それとも、嫌だと言う許可が自分に出ていないだけなのか。
返すのは礼儀なのか。
それとも、もう惰性なのか。
そうやって見てみると、今まで“正しい”と思っていたものの中に、
もう今の自分には合っていないものが混ざっていることがあります。
気持ちがないんじゃない。
先に校則みたいな内規がしゃしゃり出てきてるだけ。
なんだか妙に人間らしいな、と思います。
ルールの前に、一回だけ自分に聞く
大事なのは、ルールを捨てることじゃないんだと思います。
ルールの前に、一回だけ自分に聞くこと。
「私は、どうしたい?」
「そのルール、今の私にも必要?」
「それは礼儀?それとも惰性?」
このワンクッションがあるだけで、ルールに使われる側から、ルールを使う側に戻れる気がします。
挨拶をするにしても、
笑顔を向けるにしても、
距離を取るにしても、
お返しをするにしても、
“自分で選んだ”になるかどうかは大きい。
同じ行動でも、惰性でやるのと、選んでやるのとでは、消耗のしかたが全然違うんですよね。
ちゃんとしたい気持ちは、悪くない。
礼儀を持ちたいのも、悪くない。
人に優しくありたいのも、悪くない。
ただ、それがいつも自分より前を歩くと、苦しくなる。
だから私はこれから、
ルールを守る前に、自分を置いていかないことを覚えたいと思っています。
「ちゃんとしなきゃ」の前に、
「私はどうしたい?」を一回だけ挟む。
それだけでも、自分の中の順番は少しずつ戻ってくる気がしています。
もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。
もしかすると、
「どうしたい?」の前に答えてしまうものは、
ルールだけじゃないのかもしれません。
同じ出来事でも、
人はそれぞれ「自分の前提」で受け取っている、という話。
「ちゃんとしなきゃ」
「そうするのが普通」
そう思った瞬間、
もう答えは決まってしまうことがある。
もしかするとそれも、
気持ちより先に“ルール”が答えている状態なのかもしれません。
そんな受け取り方の話を、こちらにも書いています。
👉
そしてもうひとつ。
「感じたこと」と「どう動くか」は、
本当はもう少し自由でいいのかもしれない。
そんなことを考えた記事です。
👉
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