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「これ送って大丈夫かな」で、手が止まる。——相手の気持ちを考えすぎて、“正しい返し”を選んでしまう

「どうしよう」と、手が止まる。

送る前から、もう考えすぎている。
この言い方でいいかな。
重くないかな。
冷たくないかな。
変に思われないかな。

まだ何も起きていないのに、頭の中ではもう相手の反応が始まっている。
私はこれを、たまにやってしまいます。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。スキやコメント、フォロー、本当に嬉しいです。ひとつひとつ、大切に読んでいます。今日もここに置いていきます。

相手に失礼がないように。
感じ悪くならないように。
ちゃんと伝わるように。

そうやって整えようとすること自体は、悪いことじゃないと思うんです。
むしろ丁寧さだし、やさしさでもある。

でも、それが行きすぎると、だんだんおかしくなる。

相手の気持ちを妄想しすぎて手が止まる。
相手の反応を先回りしすぎる。

すると、本当は自分の中にあったはずの
「これ、ちょっと違う」
「私はほんとは今、気が進んでない」
みたいな小さな違和感が、後ろに下がっていきます。

先に気にしているのは、相手の“今”じゃない

ここでややこしいのは、私たちが気にしているのが、目の前の事実だけじゃないことです。

実際の相手の気持ち、ではなくて、
こう思うかもしれない。
嫌な感じになるかもしれない。
がっかりするかもしれない。
面倒な人だと思われるかもしれない。

そういう“まだ起きていない反応”まで、先に引き受けようとしてしまう。

だから、返事ひとつにも安全策を盛りたくなるんですよね。

やわらかくして。
角を取って。
でも誤解されないようにして。
でも重くならないようにして。
でも薄くなりすぎないようにして。

そうやって整え続けるうちに、今度は何を言えばいいのかわからなくなる。

“正しい返し”を選ぶほど、自分が見えなくなることがある

たぶんここで起きているのは、
言葉選びの問題だけじゃないんだと思います。

本当は、自分の違和感より“正しい対応”を優先してしまっている。

この場では、こう返すのが大人だよね。
ここは感じよくしておいた方がいいよね。
今それを言うのは違うよね。

その判断は、たしかに間違いじゃないことも多いです。
社会の中で生きる以上、ある程度の配慮や調整は必要だから。

でも、そのたびに自分の違和感を後回しにしていると、
だんだん「私はほんとはどうしたかったんだっけ」が見えにくくなる。

それで手が止まる。
何もできなくなる。
自分を削ってでも、安全な方へ寄せたくなる。

たぶん苦しいのは、気を遣っているからだけじゃない。
自分の感覚を置き去りにしたまま、形だけ整えようとしているからなんだと思います。

ちょうどよくできないのは、思いやりが足りないからじゃない

しかも厄介なのは、そのあとです。

違和感を無視して“ちゃんとした対応”を選び続けると、
どこまで丁寧にしたらいいのか、どこから引いたらいいのか、わからなくなってくる。

その結果、
どこまでも丁寧にしすぎるか、
どこまでも素っ気なく、雑にしてしまうか、
極端に振れやすくなる。

ちょうどよくできない。
臨機応変に選べない。

でもこれは、思いやりがないからじゃないんですよね。
むしろ逆で、相手を気にしすぎているからこそ、加減がわからなくなることがある。

自分の感覚を土台にできていないまま、
“正解っぽい対応”だけで動こうとすると、
場面ごとの見極めが難しくなるのは、ある意味当然なのかもしれません。

純度を守ることには、ちゃんと意味がある

ここで私は、違和感を大事にすること自体を否定したいわけじゃありません。

むしろ、違和感をごまかさないことには力があると思っています。

それをちゃんと見ようとするから、
言葉が澄んでいく。
混ざりものが減っていく。
本物感や、オリジナル感や、信用につながる。

だから“純度を守る”ことには、意味がある。

ただ、純度を上げれば上げるほどいい、でもないんですよね。

上げすぎると、孤立しやすくなることもある。
少しのズレも許せなくなったり、
自分にも人にも厳しくなったり、
結果として動けなくなったりする。

だから必要なのは、純度を捨てることじゃなくて、
どこで守って、どこでゆるめるかを見ることなんだと思います。

手が止まったときに、先に見たいこと

もし「これ送って大丈夫かな」で手が止まったら、
その場で正しい返しを探す前に、こう聞いてみるのもありかもしれません。

・私は今、何を怖がってる?
・相手の反応を先回りしすぎてない?
・本当はどこに違和感がある?

うまく返すことより先に、
自分の中の小さな引っかかりを見つける。

それだけでも、
“正しい形”に自分を押し込む感じは、少し減る気がしています。

まず戻したいのは、“相手”より“自分の違和感”

たぶん最初の一歩は、上手に返すことじゃない。

送る前に、
相手がどう思うか、より先に、
私は今、何に引っかかってるんだろう。
どこが無理なんだろう。
何がちょっと違うんだろう。

そこを一回見ることなんだと思います。

違和感を採用したからといって、いつもそのまま出せるわけじゃない。
社会の中では、整えることも必要です。

でも、整える前に一度、自分の感覚を置いていかない。
それだけでも、削れ方は少し変わる気がします。

「これ送って大丈夫かな」で手が止まるとき、
本当に見たいのは、相手の顔色だけじゃないのかもしれません。

自分の中に、もう小さく出ているサイン。
それを先に見つけられたら、
“正しい返し”に全部を預けなくてもよくなる気がしています。

もしどこかひとつでも引っかかったら、スキだけ置いていってもらえると嬉しいです。
また読みたいと思っていただけたら、フォローもぜひ。

▼合わせて読みたい

「どうしたい?」の前に、ルールが答えてしまう
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