リアリズムか映画的嘘か。樋口真嗣が『新幹線大爆破』で守った「屏風」の謎
シネマ・ゴースト:「うう……腰が、腰が砕ける……。新青森から東京まで、ずっと座りっぱなしは、生身の人間には酷だよ……。あ、やあ、同志くん。奇遇だね、こんな新幹線のホームで」
わたし:「シネマゴス、相変わらず幽霊みたいに神出鬼没だね。ワタシもさっき、Netflixで樋口真嗣監督の『新幹線大爆破』を観終えたところだよ。凄まじい迫力だったね!」
なぜ現代の指令所に、アナログな「巨大ボード」があるのか?
わたし:「JR東日本が全面協力しただけあって、E5系の走行シーンとか、本物の駅を使った撮影とか、リアリティが凄かった。でも、一つだけ気になったところがあって……」
シネマ・ゴースト:「ほう、どの辺りが気になったのかなぁ?(ゴキゴキと腰を鳴らしながら)」
わたし:「総合指令所のシーンだよ。斎藤工さん演じる指令長が、巨大な電光表示板を凝視して指示を出していたでしょ? 現代の指令所って、もっとモニターが並んだデジタルな空間イメージがあったんだけど、あのレトロな装置は本物なのかな?」
シネマ・ゴースト:「ふふふ、鋭いね、同志くん。あれはね、通称『屏風(へいぶ)』と呼ばれる、昔の新幹線総合指令所にあった巨大表示板のことだね」
わたし:「『屏風』? やっぱり、昔の装置なんだ」
シネマ・ゴースト:「そう。実際のJR東日本では、とっくの昔に撤去されて、もっと高度なシステムに移行しているんだよ。つまり、あのシーンは現代のリアルな指令所を描いているわけじゃないんだ」
わたし:「えっ、じゃあ、あんなにリアリズムを追求している作品なのに、どうしてそこだけ嘘をついたの?」
シネマ・ゴースト:「そこが、樋口真嗣監督の『映画的な嘘』、あるいは『オマージュ(敬意)』だとワタシは睨んでいるよ。1975年のオリジナル版『新幹線大爆破』では、宇津井健さん演じる運転指令長が、双眼鏡でその『屏風』を凝視して、ギリギリの攻防を繰り広げるシーンが、映画の象徴的なアイコンになっていたんだ」
わたし:「映画のアイコン……」
シネマ・ゴースト:「そう。厳密な現代的リアリズムよりも、オリジナル版が持っていた『映画的な力』や、それを見た観客が抱くであろう『情感』を優先した、確信犯的な演出なんじゃないのかなぁ? もし、あそこがただのモニター画面だったら、あの張り詰めた空気感や、人間が巨大なシステムと対峙している、という絵作りは難しかったかもしれない。作り手の、過去作への深いリスペクトと、映画としての見栄えを天秤にかけた結果の選択、と言えるよね」
コンテに隠された、さらなる「因縁」
わたし:「なるほど……そういう裏事情があったとはね。ただ古い装置を使っているわけじゃなくて、映画としての『情感』を守るための、計算された演出だったんだ」
シネマ・ゴースト:「でしょ?……でもさ、実はまだ、あの爆弾の緻密なデザインや、犯人と1975年版との衝撃的な血縁関係についても、気になってたんだ」
わたし:「まだ何かあるのか?」
シネマ・ゴースト:「うん。その辺の話は長くなるから、こっちのレポートで確認してみて。……あ、腰が限界だからマッサージ頼んでいい? 特に仙骨のあたりを……」
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