amuとumu|「気仙沼から、ブランドがどう生まれたのか」を語り尽くす地方の想いが詰まったトークセッション
amuとumu、Xで出会った2者が「気仙沼から、ブランドがどう生まれたのか」を語るトークセッションが、宮城県気仙沼市太田地域にあるHAMACHIDORI GALLERYで開催された。
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amuとumuがブランドについて語り明かすトークセッション「気仙沼から、ブランドがどう生まれたのか」
amu株式会社の代表取締役CEO 加藤広大氏とumuの代表/デザイナー 日野有紗氏のトークセッションは、展示会「Buddy Collection EXHIBITION by amuca®」の3日目に行われている。
2日目にamu株式会社の創業についてトークセッション「amuが気仙沼で創業した意味」が行われ、3日目にマテリアルブランドamuca🄬から生まれたプロダクトのデザインについてトークセッション「気仙沼から、ブランドがどう生まれたのか」が行われた流れとなっている。

amuとumuの自己紹介、そして出会いのいきさつを語る
トークセッション「気仙沼から、ブランドがどう生まれたのか」は、amu株式会社とumuの自己紹介から始まった。amu株式会社の紹介は昨日同様の説明に加えて、加藤氏が2015年に唐桑を訪れ気仙沼市にハマった話やサイバーエージェント等での仕事を経て、2019年に地域おこし協力隊として気仙沼市に着任し、気仙沼市での仕事を始めた話などが語られている。
一方、umuの代表でありデザイナーの日野氏は、気仙沼市に生まれ、服飾の専門学校を経て、東京都をフィールドに仕事をしている経緯を語った。日野氏は、独立後にデザイン~パターン~裁断~縫製の工程すべてを一人で行い、ポップアップにて販売するところまで自身の手で行っている。そこには、手仕事を大事にしたい日野氏の想いがあることも語られている。
関東出身で気仙沼市をフィールドにしている加藤氏と気仙沼市出身で関東をフィールドにしている日野氏の出会いは、X(旧 Twitter)だったそうだ。日野氏が気仙沼市に帰省したとき、父親からamuについて教えられ、環境問題に関心を持っていたこともあり、amuについて強く興味を抱いて調べたところ、とても好感を持ったようだ。
『いつか一緒に何かやりたい』
同時に、協働意欲も抱いたそうだが、何となく企画書を作って送るなど、しっかりとしたプロセスを踏まないと一緒に何かをやるのは無理でないかと思い、その時はXをフォローするに留めたとされる。一方の加藤氏は、フォローされたことを知ってすぐに、日野氏のumuについて調べ、フォローを返すとともにダイレクトメッセージを送付。
『スピード感に感動した』
日野氏は、その行動の速さにいたく感動し、一緒に何かやらせてもらいたいという想いを強くしたという。ところで、加藤氏はどうしてそれほどまでに迅速な行動を取ったのだろうか。理由はいくつかあったようだ。まず、率直にumuのプロダクトを可愛いと感じたこと。『大野さん(社員)が好きそうだと思った』と加藤氏は嬉しそうに語る。
『ラランドが着ていて、ラランドが好きだったので凄いと思った』
昨日放送の #バゲット にて、ラランドのサーヤさんにumuのセットアップをご着用いただきました。
— umu / arisa hino 🦭 (@umujp_) February 23, 2023
スタイリングは西村茜音さんです。
ありがとうございました🕊️〽️#ラランド #サーヤ #日本テレビ #umujp https://t.co/U1rqIXgMaX pic.twitter.com/FjRny2FHMQ
加えて、ラランド好きの加藤氏にとって、umuをラランドが着ていた点も魅力に感じたことが伝えられている。そして、amu同様に気仙沼市を大切にしているumuの日野氏から、服飾について学びたいと心か想えたこともまた、日野氏と一緒に仕事をしたいと思った大きな理由だと話している。
amuとumuは、どんな経緯でブランドを立ち上げて、これまで運営してきたのか
amu株式会社がマテリアルブランド「amuca🄬」を立ち上げる上で重要な点として、リサイクルがしたいというよりも、過程をちゃんと届けることで素材を大切に使いたいと思ってもらえることが挙げられた。
「amuca🄬」が使われているアパレル製品には、すべてQRコードがついたタグが付随している。このQRコードを読み取ると、原料となっている廃漁具を提供してくれた漁師・漁業者などのストーリーが読めるようになっている(ぜひ下記クラウドファンディングで購入して確認して欲しい)。
『漁具のストーリーに惚れて事業をやっているので、一人一人の漁業者と話しながら面白いと思ってやっている。このタグを通じてストーリーを届けることをやらないと、ただの布を提供しているだけになってしまって意味がない』
amuca🄬のブランドを立ち上げ、その運営をすることについて、加藤氏は熱を込めて語る。こうしたストーリーに共感してくれる人々とコラボレーションし、様々な製品を出していく。今後も、このような取り組みをやっていきたいと語る。
一方で日野氏は、umuのブランド名が自身の名前由来であり、また有無⇔umuであり、目に見える洋服を通じて目に見えない想いをを生み出したいと語った。ブランドデザインは波をイメージしており、生み出されるプロダクトはすべて何らかの形で海がモチーフとして使われていると説明する。ちなみに、umuのブランド名は、三軒茶屋のマックで考えたそうだ。
また、日野氏はものづくりについて『何か作りたい気持ちをずっと持っていた』と切り出し、緑をテーマにファーストコレクション「緑めかし」を実施したこと、そのときの原動力には反骨心のようなものがあったことを語っている。加藤氏にも、反骨心のようなものが原動力にあったことから、ここでも共感が生まれていた。
amuとumuの譲れないこと
ともにブランドを手掛ける立場として、加藤氏と日野氏が、それぞれ譲れないポイントを語っている。加藤氏は、地域や漁業・漁業者、水産といったamu株式会社が大切にしたいものに対するリスペクトがあるかどうかを挙げている。これがコラボレーションをする上で、何より大切であると加藤氏は言葉に熱を込める。
一方で日野氏は、自分で作り、できる範囲でやっていくことを挙げる。あるとき、大量生産をしないにしても工場に製造を依頼して良いのでないかと思ったことがあるそうだ。しかし、ポップアップに立ってお客様と話す中で、作った人自体が価値になると感じる機会があった。だから、今後も自分の手で作っていくことを譲れないことだと語った。
amuとumuが抱く気仙沼市への想い、そしてブランドでの表現について
最後にamuとumuが抱く気仙沼市への想いが語られている。加藤氏は、東日本大震災を経て、気仙沼市が「海と生きる」を打ち出したところに痺れたと話し、海との付き合いで生まれてきた市民性への愛おしさを語った。
『今シーズンのカツオを食べたかといった会話が街中で行われているところが可愛い。カツオを食べれば、誰でもその会話に参加できる。この平等さ、差別的でないところが好き』
また、先日中国の港町を見てきたとき、刺し網を手入れする光景が中国でも日本でも同じことに気付き、海と生きているのは気仙沼市だけでなく、港町のどこでも等しく見られることに感激するとともに、amuca🄬が、気仙沼市からスタートして、世界中の港町のストーリーを届けられる媒体になれたら良いと思ったと語っている。
日野氏は、服飾の専門学校に在学中に東日本大震災が発生し、学校を辞めて仕事をした方が良いのでないかと家族に話し、反対された経験を話す。その後、友人から『ジャージで生活していたけど、好きな服を着たときに気持ちが上がった』と伝えられ、水をかけられた気持ちになったと当時を思い出しながら語った。
『好きな服を着ることで、好きじゃない服を着るときよりも気持ち良くなる。その事実を知って、服をやっていこうと思えた』
東日本大震災によって訪れたこの経験が、日野氏がumuのブランドで服飾をやっていく原点になったようだ。また、日野氏は、このときから海を考えながら服を作るようになったと話し、実際に作った製品を店ながら、どこに海のモチーフが入っているかを丁寧に語った。
また、この後に行われた質疑応答の中で、amuとumuによって生み出されたホヤぼーやのトートバッグのデザインについて和気藹々とした紹介の時間が提供されている。ホヤぼーやだけでなく、多種多様な気仙沼市要素が溶け込むように取り入れられているトートバッグである。ぜひ購入して、気仙沼市を身近に感じて欲しい。
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