地方で創業する意味を語る|宮城県気仙沼市発・すごいベンチャー100に選ばれたamu株式会社の軌跡と想い
いらないものはない世界をつくる。
宮城県気仙沼市で産声を上げたスタートアップamu株式会社のビジョンだ。そして、同社が目指すゴールの一つでもある。創業者であり代表取締役CEOの加藤広大氏はそう語る。
amu株式会社は、これまで廃棄されてきた使われなくなった漁網などの廃漁具を回収し、ケミカルリサイクルを行い、素材やアパレル製品として人々が再利用できるようにする、漁具の物語を継承する事業を行っている。
アパレル製品として新たな姿を得た漁具は、2025年夏にクラウドファンディングサービスMAKUAKEを通じて世に姿をお披露目した。これにより、漁師とともに人々の生活を支えてきた漁具が、多くの人々の日々の相棒として新たな物語を紡げるようになった。
2025年8月16日。宮城県気仙沼市の太田地域で、空き家を再利用して生まれたアートギャラリー「HAMACHIDORI GALLERY」で、amu株式会社とグラフィックデザイナー 志田淳 氏による展示会、そしてトークセッションが開催されている。今回のnoteでは、その様子を伝える。
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amu株式会社創業までのエピソードと気仙沼市で創業した意味が語られたトークセッション
展示会「Buddy Collection EXHIBITION by amuca®」の二日目。8月16日に行われたトークセッションは、「amuが気仙沼で創業した意味」と題して、amu株式会社 代表取締役CEO 加藤広大氏、共同創業者 芦原昇平 氏、グラフィックデザイナー 志田淳 氏の3名が登壇した。
トークセッションでは、amu株式会社の事業説明、志田淳 氏による「HAMACHIDORI GALLERY」及び太田地域での活動の説明が行われた後、3人の出会いやamu株式会社創業前後にまつわる話、そして同社が気仙沼市で創業した意味に関してトークが行われている。
加藤氏・芦原氏・志田氏の3人を繋いだ存在
加藤氏、芦原氏、志田氏の3人の出会いについては3人とも『覚えていない』としつつも、加藤氏がco-baで志田氏と初めて対面した際の第一印象が『エグい髪型をした兄ちゃん』であったことや志田氏がその際に透明な名刺を渡したエピソードが展開され、会場を沸かした。
加藤氏と芦原氏の出会いは、唐桑のシェアハウスであり、また2人とも気仙沼市の担い手育成事業「ぬま大学」の同期(第5期生)で、昔から深く関わり合いを持っており、創業を一緒にやるのが自然だったといった仲良しエピソードが語られ、会場は温かな空気に包まれた。
ちなみに3人ともにNPO法人ETIC. ローカルベンチャー協議会が設立したローカルベンチャーラボの同期である。
amu株式会社創業までの道程
amu株式会社の創業までには、様々なエピソードがあったことも語られている。加藤氏・芦原氏2人の創業者は、ともに創業前にぬま大学に参加し、地域でやりたいことーーマイプランに取り組んでいるが、このときに取り組んだ内容は、加藤氏が水産業活性化(生産者支援)であり、芦原氏は食に関するテーマだった(志田氏は、ぬま大学のコーディネーターだった)。
amu株式会社に繋がる創業のアイデアは、世界中が新型コロナウイルスによるパンデミックによって混沌としている時期、加藤氏がかつてシェアハウスで生活を共にしていた同級生とオンライン飲み会をしていたときに湧いたそうだ。
『漁網からスニーカーができたらかっこいい。地域ごとのデザインを持ったスニーカーで旅ができたら良さそう。気仙沼市発でスニーカーを作るなら、漁網を使うのが良いんじゃないか』
そのアイデアをぬま大学、ローカルベンチャーラボで繋がりを持っていた志田氏に話したところ『最高!』の一言が返ってきた。ここからamu株式会社の創業への道が始まった。
創業に向かっては、ぬま大学のマイプランのときから手伝ってくれていた芦原さんが自然にジョインし、3名でスニーカーをテーマにした議論が交わされるようになった。
また、スニーカー事業は、ローカルベンチャーラボによってブラッシュアップされたようだ。その際には『スニーカーにこだわらなくても良いのでないか』と提案されることもあったようだ。その提案を受け、広大氏はジャケットも検討し、試作も行っている。
千年もの長い長い時間、海を漂う漁網が百年着られるジャケットになり、家族3世代にわたって着られるコンセプトを思い描き、強く惹かれた当時の様子が熱を持って語られている。
一方で、創業までには大きな山場もあったようだ。試作まで進んだジャケットだが、とあるボタンの掛け違いにより、事業化が困難になってしまった。結果、一時的に加藤氏・芦原氏・志田氏の議論にもブレーキがかかった。
『一時期、コミュニケーションを取れなくなった』
そのときのことを思い出しながら、芦原氏はそう語った。実のところその裏で、加藤氏は何としても事業を立ち上げるべく、ケミカルリサイクルができる企業に対して猛烈なアプローチを行っていたそうだ。
そして、その内の一社が出資を決めてくれた。それがUBE株式会社(旧・宇部興産株式会社)である。UBE株式会社は、加藤氏がオールナイトニッポンで聴き知っていた会社であり、最も繋がりを持ちたい会社だったと語っており、運命的な出会いを感じさせるエピソードに会場は驚きと笑みに溢れた。
こうして、amu株式会社は始動し、様々な協力者達と共に現在の廃漁網リサイクル事業を実現し、今に至る。
amu株式会社のロゴができるまで
トークセッション「amuが気仙沼で創業した意味」では、amu株式会社のロゴが創られる過程や社名が決まる過程、事業化するにあたって議論されたことについても語られている。
社名は、よく『網を扱っているからamuなの?』といった話を受けるそうだが、実のところ編集や編纂といった意味合いにおける”編む”を意図されているようだ。教科書に載るような事業をしようという考えがあった中で、”編む”は本を作る意味も持つことから、しっくりくるとしている。
ページを編む、前後を組み替えて意味合いを変えていくーー編集・編纂。そういった点にしっくりくると加藤氏は語っている。また、「舟を編む」が好きだったことも、理由の一つとして語られていた。
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ロゴ作りでは、志田氏が本の閉じ紐などに魅力を感じながら創られたエピソードが語られた他、初期の頃にはアイヌモチーフがあったことも語られている。諸説あるとされるが、気仙沼の名がアイヌ語起源とされることから着想が得られたようだ。
amu株式会社の事業化にあたっては、マーケティング面での議論もあったとされる。とりわけペルソナづくりには膨大な時間がつかわれたそうだ。ペルソナとしては”まさみちゃん(28歳)””将暉くん(28歳)”が生まれ、とくに将暉くんの像は、その後の事業展開にも影響が生まれているとされる。
amu株式会社が気仙沼市で創業された意味とは何か
最後に、amu株式会社設立にあたり、株式会社の形態が選ばれた理由、そして気仙沼市で創業された意味についてトークが交わされた。前者については、加藤氏に強い想いがあったとされる。
『地方発の事業について”良いことをやっているが儲かっていない”って話を散々言われてきた。だから資本主義の仕組みに乗って認めてもらうところにこだわりがあった』
加藤氏は熱弁する。だから外部資本を調達し、グロース企業・スタートアップとして創りたいと熱望していた。結果的に、外部資本を入れることができ、事業も軌道に乗ってきている。かつて抱いた想いが形になりつつある。まさに強い想いがあったからこそ、ここに至れたのだと感じられる。
『東京で登記した方が、得られるお金が多い。けど、自分は気仙沼市に納税したいし、自分達がいたことで気仙沼市の光景が面白くなっていくことにワクワクしている』
『美味い魚を食べ続けたい。そのために、漁業者や水産業をサステナブルなものにすることに興味があるし、そこに寄与できるようになりたい。いつか気仙沼市の高校生の起業を支援したい』
気仙沼市でamu株式会社を創業する意味について、加藤氏はこのように語った。起業するなら、断然東京の方が有利だが、それでも気仙沼市で起業した決断の奥底にある、気仙沼市の愛を感じられる想いである。
『広大さんほど気仙沼市に対してどうこうという思いを強く持っているわけではない。地方での事業というと、手触り感のある範囲で事業をする人が多いので、地方発でエクイティ(外部資本)を入れてやりたいことをやる、地方の資源を使ってこういうことをここからやれるってことを見せることに意味がある。そうして気仙沼市に貢献できる』
芦原氏は、地方発の地域資源を使ったスタートアップとしての意味を語る。そこには、気仙沼市はもちろん、地方全体の可能性に対する強い想いが感じられた。
自分が面白いと思う街で生きていきたい|グラフィックデザイナー 志田淳 氏が語る太田地域・エリアリノベーションへの想い
トークセッション「amuが気仙沼で創業した意味」では、amu株式会社に関する話だけでなく、会場である「HAMACHIDORI GALLERY」のオーナーであり、ディレクター/グラフィックデザイナーの志田氏が取り組む太田地域のエリアリノベーションに関してもトークが行われている。
太田地域では、地域そのもののリノベーション事業が展開されている。本noteで度々取り上げている空き家開きは、その一環である。このエリアリノベーション事業を推進している一人が、志田氏である。
志田氏は、グラフィックデザイナーとして、気仙沼市発のクラフトビール「BLACK TIDE BREWING」や福島県双葉郡川内村の「naturadistill川内村蒸溜所」など数多くのプロジェクトに携わる傍ら、地域全体のディレクション/デザインを担っている。
『気仙沼市において、唯一現存している昭和の漁師文化の残りがあるのが太田地域。一度廃れてしまったこのエリアは、現在気仙沼市のかつての暮らしを見られるエリアになっている』
『かつて様々な地域から漁師が訪れて賑わったように、この太田の地をクリエイターが集うカルチャーの震源地にする。ギャラリーを通じて多種多様なアーティストが訪れ、その都度それを見に様々な人々が訪れるエリアにする』
太田地域の持つ価値、現在進めているエリアリノベーションについて、志田氏はそう語る。
『現存している建物、そして文化を継承していくことで、それらが持っている価値が高まると考えている。だから建物を次世代に継承していく』
『日常的に人が歩いている状態を作りたい。歩くことで気付けることがある』
また、エリアリノベーションが生み出す価値やそれによって目指したい姿について、このように語った。そうした想いの根源にあるものは何か。そんな問いを向けられ、志田氏はこう答えた。
『自分が面白いと思う街で生きていきたい』
よく地方には何もなくて退屈だと言われる。この言葉は、その地域に住んでいる人々ほど口にしがちだ。しかし、街や地域に何かを生み出すのも、その地域を退屈ではない場所にするのも、そこに住んでいる人々である。
志田氏の想い、そして行動からは、我々地方に住む人々が忘れ去ってしまった真理を感じ取れる。とても本質的で、将来を明るいものにするために、今一度考えた方が好い内容に違いない。
加藤氏・芦原氏・志田氏のトークセッションは、地方の進むべき道を示すような光が感じられる内容だった。こうした話が全国に広がり、地方の未来がわずかでも明るくなれば好い。心からそう感じるひとときだった。
※以下3日目のイベントのnoteに続きます
写真で見る「amuが気仙沼で創業した意味」と「使い道を考える展」、気仙沼市太田地域の空き家たち




















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