木造駅でしゃこちゃんと人の温かみにふれつつ東日本大震災以前の街を思い出す|青森県つがる市木造
青森県つがる市の木造(きづくり)は、同市で最も人口の多い地域であり、同市の市役所や体育センターなど多くの公的な施設が集まっている中心的な地域である。2026年4月5日。青森県を旅行した際に同町を訪れ、散策した。
そのときの様子と街を歩く中で感じた想いを記録する。それは、東日本大震災前と後の岩手県・宮城県境の沿岸部を知っていて、それぞれに対して靄ついた想いを置き忘れてきた筆者個人に閉じた想いである。
ちなみに訪れたきっかけは、岩手県陸前高田市の泊まれる古本屋山猫堂でつがる市について多くのお話を伺ったことである。お陰で自分の目でつがる市を見られ、考え、気付きを得られ、人々との出会いもあった。心から感謝し、ここに記す。
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木造駅でしゃこちゃんと人の温かみに触れる|青森県つがる市木造
朝8時。小雨がちらつく中、JR五能線木造駅に到着すると巨大なしゃこちゃんが迎えてくれた。デカい。とにかくデカい。そして可愛い。言葉にし難い愛嬌がある。遮光器土偶のしゃこちゃんは、同駅を象徴する存在で、その巨体は遥か遠方からでも確認できるほど大きな存在感を放っていた。








木造駅前でしゃこちゃんを見上げていると、駅の方が声をかけてくださった。お話を伺う。どうやらしゃこちゃんの目が光るらしい。電車の到来前後で目が光り、電車の出入りを教えてくれるようだ。木造駅から少し歩き、振り返って、しゃこちゃんを見上げる。なるほど確かに目が光っている。神々しい。
併せて駅の方がマンホールにしゃこちゃんが描かれていると教えてくださった。言われるがままにマンホールを見ると、確かにしゃこちゃんが描かれている。どこか柔和な微笑みを浮かべているように見えるしゃこちゃんだ。実に味のある可愛らしさについつい見入ってしまう。

駅の方に御礼を伝え、木造地域の散策に出る。朝早いこともあり、人の姿が見えない。天気の影響で全体的にどんよりとした空気が漂っている。静まり返り、遠くを走る車が水たまりをかき分ける音だけが響く。その静けさは何となく心地好い。加えて、どこか懐かしさを覚える。東日本大震災以前の地元の様子を思い起こさせるのだ。

写真と文章で見る青森県つがる市木造




































空き家・倒壊した建物がそのままの姿で残る木造駅周辺を歩きながら昔を思い出す|青森県つがる市木造
『木造駅周辺にある家屋の半数程度が空き家でなかろうか』
木造駅に戻り、木造駅の方から話を伺った中で伝えられた言葉である。今回、筆者が歩いたのは一時間程度。木造駅から真っ直ぐ歩き、つがる市役所側に曲がり、そこから駅へと戻る1kmあるかないか程度の短い距離である。
その短い距離の中で、明らかに空き家と見られる家屋が目立った。だから、木造駅の方が話す、空き家率50%程度という見解は、それほど外れていないのでないかと感じた。
また、少なくとも筆者が散策中に見かけた空き家のような家屋の2割~3割程度は、建物に目に見える程度の損傷が見られ、その多くはほとんど倒壊状態にあった。倒壊していなくても屋根が抜け、部分的に潰れている建物が決して少なくなかった。
これが雪国か。そう思わずにいられない。宮城県気仙沼市~岩手県釜石市において多少空き家を見て回っているけれど、屋根が落ちている物件はほとんど見る機会がなかった。まして半壊以上の倒壊状態の空き家はまるで見なかった。
空き家バンクや中古物件サイトに掲載されている物件ばかり見ているのだから、それはそうだと思われるかもしれないけれど、決してそういうわけではない。散策がてら人々から忘れ去られたような地域に建つ、放置物件も見ている中で、そうした倒壊状態の家屋を目にしていないのだ。
つがる市は、雪の影響のみならず、日本海側から吹く強い風の影響も大きく受けると伺う。だから余計に建物が傷み、壊れ、崩壊していくそうだ。決して裕福な地域ではないと思われるし、多くの地域同様に人口は流出・減少して行っている。
だから、空き家は放置され、崩壊しても解体されずにそのまま残される。一方で、住民の中には駅近くに新しい家を構える者もいれば、既存の家屋を修繕・改修する者もいる。
結果的に、崩壊状態にある家屋と比較的新しい家屋、その両極端な建物たちによって斑模様の地域が出来上がる。もちろん後者で生活している人々からは不安や不満が出るだろうし、そもそもつがる市最大規模の町であり、象徴的な駅を抱える地域だ。
行政としても放置し続けるわけにはいかないのだろう。3年後の2029年度着工を目標に、木造駅駅前の再開発計画が動き出している。この再開発がどのような形になるかは分からないけれど、再開発に意識が向かうのは、少し歩いただけの筆者でも察するものがある。
木造駅から街を歩きながら東日本大震災以前の世界を追憶する
木造駅から駅前の商店街・住宅街を歩きながら、東日本大震災以前の岩手県大船渡市・陸前高田市の光景を思い浮かべ、フラッシュバックめいた追憶をしていた。街全体がどんよりとした空気に支配されていた頃である。
人がおらず、仕事も金もなく、希望という希望がない、道端で人が首を吊っていたような時代だ。誰もが不景気な話ばかりを交わし、じわりじわりと生活を蝕まれ、息苦しく生き難い日々を過ごしていた。
『東日本大震災が起こる前の街は良かった』
東日本大震災以降、何度となくその言葉を見聞きしたけれど、到底頷けるものではなかった。あの時代の一体どこにどのような良さがあったのだろうか。東日本大震災が起きて良かったとは思わないにしても、東日本大震災があったから、街は変わったのだ。
人も金も入ってきて、新しい建物が並び、新しい仕事が生まれた。夢や希望を語る様子も見られるようになった。東日本大震災以前のあの頃になかったありとあらゆるものが、今のこの街にある。
ノスタルジックな気分になるのもノスタルジーに浸るのも自由だし、否定する気は毛頭ない。失われた命があったのは事実だ。それも多くの命が奪われた。彼ら彼女らが生きていた世界の方が幸せに違いない。
けれど、東日本大震災以前の街にあったのは絶望で、希望なんてなかったじゃないか。ただの一つもなく、どうにかしなければならないと思いながらどうすることもできず、ただ不満を口にし、ありとあらゆることを諦め続けなければならなかった。
20そこらの筆者に対して、会社を経営する人々が、会社を支えている人々が、口を揃えて苦悶の言葉を吐き、絶望を語り、限界の状態で生きていることを真剣な声で語る。それを何度も何度も何度も何度も何度も聴かせられる。そんな世界だ。
聴きながら、何もできず、ただ聴くことしかできない自分に輪をかけて絶望し、いつ終わるともしれない人生に暗澹たる気分に浸り、それでも生きるしかないのだからと足掻きながら、無力な自分に苛立ち焦るばかりの世界だった。
木造駅から歩きながら、そんな時期、そんな世界がかつてあったことを思い出していた。そして、どこか沈んだ空気が漂う中で、倒壊した建物が放置され、抜け殻となったビルが立ち並ぶ様子を見ながら、嗚呼、もしかするとここは東日本大震災が起こらなかった大船渡市・陸前高田市の15年後の姿なのかもしれない。
そんな失礼極まりない感情を抱いた。どんな世界でだって幸福に生きている人々は普通に存在しているし、日常生活を送る世界は日常でしかないし、見ず知らずの人々の苦しさを決めつけるなど愚かでしかないけれど、どうしたところで記憶の彼方に消えていたあの苦しい世界が広がっているように思えた。
同時に、当時は絶望するばかりで何もできなかったけれど、もしかして今ならばわずかながらにせよ何かできるのでなかろうか、とともすれば傲慢でしかない想いを抱いた。もしも本当に困っている人々がいるなら、何とかしたいと願う人々がいるなら、何か手伝いたいと感じた。
あちこちが壊れてしまっている景色を目の当たりにして、見て見ぬ振りをするのはどうしたところで違うと思うし、目を背けるのは15年前までの在り方と何も変わらないのだから、それは許されないように思えた。
15年の月日が経つ中で、いつしか置き忘れてしまっていた景色、どこか目を背けていた世界が、今も目の前に存在しているのかもしれない。東日本大震災によって多くを手にした私は、そろそろ何か返さないといけないのではなかろうか。そう思うのだ。
とはいえ求められてもいないことを勝手な思い込みでするのは有難迷惑であるし大きなお世話であるし余計なお節介でしかないわけで、当面は行けそうなときに訪れ、今回の旅でお世話になった方々を中心に、まずは話を聴いていきたいと思う。どの道、再開発が行われる地域だ。その趨勢も見ていきたい。
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