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空き家を通じて人の営みの重なりを感じる|ダンサー・荒悠平 氏「ノーシークレットライブ」in 泊まれる古本屋山猫堂

『この家でこれをやるならここというのがある。たとえば、この家に住んでいた人が、朝起きて外の雪を見るならこの辺に立っていたというのが分かるような。自分の人生を生きている感覚に、他の誰かもかつてやっていたことをなぞるというのが、重なっていく感じがある』

ダンサーの荒悠平 氏は、岩手県陸前高田市を訪れてからの一週間、そこで空き家というものに触れてきた時間を振り返りながらそう語った。2026年2月21日。泊まれる古本屋山猫堂で、荒悠平 氏による「ノーシークレットライブ」が開催された話をしよう。

本イベントは、山猫堂が取り組んでいるアーティスト・イン・レジデンス「モグAIR 2025」の第三弾である。「空き家」をテーマに、ダンサー・荒悠平 氏が、陸前高田市で過ごす中で生み出したアートに触れる。今回は、そんな「ノーシークレットライブ」の様子を記録する。


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ダンサー・荒悠平 氏が空き家と陸前高田市の音を踊りと音楽で表現する「ノーシークレットライブ」in 泊まれる古本屋山猫堂(岩手県陸前高田市)

荒悠平 氏による「ノーシークレットライブ」は、同氏とコーディネーター・木津谷 氏が、陸前高田市内の空き家を旅するフィールド・レコーディングの音ーー声や足音、波の音、風の音、空き家の中に残された楽器たちの音ーーをBGMに始まった。

「ノーシークレットライブ」は音楽から始まった

しょんぼりとした雰囲気を醸し出すギターの音色に歌声を乗せて奏でられる「灯油こぼしちゃったときの歌」をオープンニングに、空き家の定期メンテナンスに同行しながらフィールド・レコーディングが行われた様子が伝えられる。

ここ、山猫堂も、元は空き家だそうです。
江戸時代の末期に建てられたとのことで、すごく古くて、だからきっと、いろんな人が暮らしてきた家なんですよね。
ここを歩いて、座って、くつろいで、
置いてある家具も、いろんな家から持ってきた物らしいです。
そういう物や空間を感じたりするっていうことは、
物の形をなぞったり、場所に触れたり、移動したり、佇んだり、そうやってするダンスもあって、
たとえば、

荒悠平 氏「ノーシークレットライブ」

荒悠平 氏は、山猫堂の空間や置かれている物の間や上をなぞるような滑らかな動きとともにそう語る。腕を、指先を、肢体をうねらせながらーー

なんかね、たとえば、この場所で誰か亡くなってるみたいなこともあるかもしれなくって、そういう場所で踊るとかね、
でも、そういう可能性も踏まえて何かしていくっていうのは、アーティストじゃなくっても、生きていくっていうのは、そういうことです。
だから、
だからっていうわけじゃないんですけどね、この、もしかしたら知らず知らずのうちに何かを壊したり、壊すような振る舞いをしているかもしれないっていうことをね、
今回は、その怖さというか、リスクみたいなものを、皆さんとか、特に山猫堂さんと一緒に持ちたいなと思って、
はい、すみません、山猫堂さんにもリスクを負ってもらいます。
具体的には、
えーと、皆さん、一緒にこちらに来ていただけますか?

荒悠平 氏「ノーシークレットライブ」

その言葉を皮切りに、参加者全員が山猫堂へと移動する。そこで荒悠平 氏が告げる。これから目を瞑った状態で山猫堂の店内を踊りながら移動するーー会場に居た全員が驚きとともに息を呑む。

同時に、『知らず知らずのうちに何かを壊したり、壊すような振る舞いをしていたのではないか』ーーその怖さについて、これから目の前で行われるリスクのあるパフォーマンスを想起して思ったように見えた。

荒悠平 氏の視界を閉じた状態での踊りが始まる。参加者たちが固唾を飲んで見つめる中、荒悠平 氏は空間を泳ぐように、あるいはかつて空き家だった山猫堂に犇めく、かつて誰かが手にしていた物たちの合間を漂うように踊り進む。

世界を撫でるように滑らかに、艶やかに、ゆったりと山猫堂の中を踊り進む姿は、あたかもどこに何があるかを理解しているかのようでーー空き家だった過去、泊まれる古本屋となった現在ーーこの家屋の中で生活してきた人々の軌跡をなぞりながら進んでいるのでないかと思うほどだった。

目をつぶった状態で山猫堂の中を踊るパフォーマンス

踊りながら移動する荒悠平 氏を追うように、参加者たちは山猫堂の中を歩む。目を見開いて歩く参加者たちは、何かを壊さないようにゆっくり、ゆっくりと歩き、また荒悠平 氏の踊りによって壊れる物がないように気を払う。荒悠平 氏の踊りを通じて『何かを壊すかもしれない』『目の前の物が壊れるかもしれない』そんなリスクを体感する。

何物も壊れずに荒悠平 氏の踊りが終わり、『みんな、そこにいたんですね。』と話す同氏の声に、一同は笑い声を上げた。おどけたような言葉への笑いだけではなく、そこには何物も壊れずに済んだことへの安堵も含まれていたのではなかろうか。荒悠平 氏のパフォーマンスは続く。

再びギターを手に取った荒悠平 氏が、「冬から春にかけてのハミング」「がんづき」の2曲を歌う。どちらも空き家とは関係ない。しかしながら、冒頭の「灯油の歌」も併せて、これら3曲は同氏が陸前高田市を訪れ、同市の人々と話したり、生活したりしなければ生まれなかった歌だ。荒悠平 氏は、その事実を話し、ギターを持ったまま山猫堂の中を再び歩く。

家によって全然でる音ってちがうと思うし、物の量とかによって、歩く動線も変わってくるんですけど、
今日、もし、時間が合えば、その、朽ち果ててる家も見てみてもいいかなと思ってて、けっこう、というか、かなり衝撃的だと思いますけど、あの、きれいな家見てから見ると、衝撃的です。

荒悠平 氏「ノーシークレットライブ」

BGMーーフィールド・レコーディングの木津谷 氏の声が店内に落ちる。陸前高田市内にあって、山猫堂がメンテナンス対応をしている、ひどく傷んだ空き家の説明が些かの悲壮感を孕んで参加者たちの耳を打つ。そして、家の中を歩いているとは思えないような荒んだ音が会場内に降り注いだ。

最後に『古い家』という歌を歌って、今日のパフォーマンスは終わりです。

荒悠平 氏「ノーシークレットライブ」

寂し気な声音で、かつて誰かが建て、住んだ、今は誰も住んでいない家を想った歌が歌われる。寂しく、寂れた風が吹き抜けるようで、でもどこか穏やかで優しい歌が、山猫堂の中を満たす。

そんな歌を聴きながら、かつて空き家だったけれど、今は人で満たされている。誰かが住んだ余韻と誰もが訪れる福音を感じられる、誰かが住んだ状態から解き放たれた山猫堂に想いを馳せた。寂しいけれど温かい。”古い家”を感じられる歌とともに、荒悠平 氏の「ノーシークレットライブ」は幕を閉じた。

驚いたのは、ここまでのすべてが脚本通りであったことだ。荒悠平 氏が語る言葉の多くが、踊りながら移動する時間が、BGMで語られるフィールド・レコーディングの音声が会場に流れるタイミングのすべてが、脚本通りだった。完璧なタイムコントロール。時間さえもが荒悠平 氏の手のひらの上で踊っていたかのような精密さが、驚愕の感動を沸き起こした。

空き家の不思議、陸前高田市と東京の違いを語る|ダンサー荒悠平 氏・山猫堂店主越戸 氏トークイベント

荒悠平 氏による「ノーシークレットライブ」終了後、滑らかに同士と山猫堂店主・越戸 氏によるトークイベントへと移行した。冒頭、越戸 氏から「モグAIR2025」のアーティスト一覧を作成するときの話がなされた。荒悠平 氏の肩書がダンサーだけでなく、”その他”を加えた点が印象的だったようだ。

『”その他”と言った時、演劇など色々なことをやっていて、今回は踊らないかもしれないと思った。けど、さすがにダンサーで踊らないみたいな尖っている人になるのは違うと思ったし、自分が住んでいるところとは違う地域で今回は踊らないというのは感じが悪い。結果的に身体的なこともやった』

プロフィール作成当時の想いを思い出しながら、荒悠平 氏はそう答え、加えて今回のパフォーマンスに行き着くまでの経緯について語った。

『空き家っていうのも、自分が扱うにはどこまでやっても誠実さが足りない。一週間そこらいただけで、皆さんが大事にしているのと同じくらいに、文化など様々な要素を大事にできないと思った。
そこで、空き家で立てる音とかを録ったらどうかと思って、レコーダーを持参した。空き家で採取したものを何か使いたい。それが自分より前に出たら良いかなと。
陸前高田市に来てから、寒くて屋内に居て、なぜか曲を作っていた。10曲くらい。ここに来ないとできないことって好くて。そういう経緯で、今回のパフォーマンスができた』

荒悠平 氏と越戸 氏によるトークイベント

次に越戸 氏は、実際に空き家に入って、見た物や印象的だったことについて尋ねた。荒悠平 氏は、全部で4戸ーー綺麗に手入れされている空き家や家具はすべて出されていたが賞状などが残っている空き家などーーを見た印象を語った。

『家具は全て出ていたけど、賞状だけ残っていたのが不思議だった。家屋内の物が片付けられていないところが部分的にある。誰かが暮らしていた形跡があって……。色褪せたポスターがあったり、介護ベッドがあったり。ピアノやアコーディオンも見た。フィールド・レコーディングの途中で流れていた音はそれらの楽器を触ったもの。キレイな音を出せて、大事にされていたんだろうなと凄く印象的だった』

その上で、最後に目にした廃屋のようになってしまっていた空き家について触れた。

『朽ち果てたって表現がぴったり。ホコリも積もらない。時が止まっている。冷蔵庫の中みたいな感じで、時間が経つとこうなるのかと。ただ、生物的な人間がいたっていう感覚があった。心霊現象的なものでなく。単純に人が住んでいた気配があるというのを感じるんだなと。多分、山猫堂にもそういうのがある。人間ってそういう生き物なんだと感じた』

人間が生活していた痕跡、気配が、人間が居なくなっても家屋の中に残り続ける。人間はそうした残り続ける生き物。ある種の永続性のような力を人間が持っているのではないか。

そんな思考が巡るような話で、そういう目で空き家ーー家屋を見た経験を筆者は持って来なかったため、大きな気付きを得た気分になった。荒悠平 氏の語った空き家の印象について、越戸 氏は言う。

『山猫堂は柱とか床などを直していない。よく見ると、畳の上にくぼみや擦れている所とかがある。話を聴いていて、山猫堂の建物を初めて訪れた当時を思い出した。屋内を見ていると、かつて人が暮らしていたときの動線や置いていた物などが分かる。この建物を山猫堂として使うとき、そうした形跡を残した方が面白いなと思ったし、自分がその形跡を消すのは不誠実に思えた』

続けて、荒悠平 氏は今回陸前高田市を訪れて、山猫堂に宿泊していた期間で印象的な出来事について語った。

『印象的だったのは、亜美さんが話していたこと。3年くらい前に干し柿を作り始めるとき、柿を干すために釘を刺さないとと思って建物を見たら、釘が既に刺さっていた。つまり、この家で干し柿を干すならこの場所というように、この建物で何かをやるならこの場所というのがある。
たとえば、僕はちょっと前に朝起きたとき、外の雪を見ようと思った。そのとき、かつて住んでいた人が、雪を見るならこの辺に立っていたというのが分かる。自分の人生を生きている感覚に、他の誰かもかつてやっていたことをなぞるというのが、重なっていく感じがある』

その話を受けて、越戸 氏は、東京で暮らす中でそうした感覚があるかを尋ねた。

『家ではない。どこかの建物や道とかを見ていて感じることはある。たとえば、曲がりくねっている道が多いところを見たとき、空襲の被害が少なくて区画整理の対象にならなかったのかなとか、リアルタイムで渋谷駅が工事をずっと続けているとか』

越戸 氏は、『集団の生物性のようなものがある。東京だと外部に、陸前高田市だと家の中にそれが出てくる』と頷き、荒悠平 氏が直近1年半の間に陸前高田市を4度訪れていることに触れ、その感想を訊いた。

『すごく楽。仲良くなった人が多いというのもある。一昨年11月から4回。今住んでいるところとそんなに離れていないところにある実家よりも帰って来ているから、ほぼ実家の感覚。陸前高田市の人は皆オープンだし、距離が近くても遠くても気にしない人が多い。
東京とかの都市は、誰と仲良くするかを意識的・無意識的に選んでいる。選ぶ余地があるから。陸前高田市の場合、関わった人とは関わる。たとえば話が合わない人相手でも長く話す。そうしたことが、QOLに関わっていない。
普段は今日の飲み会嫌だったなとか、何かと比べる思考回路が平気で存在している。残酷な話だけど、自分も周りの人にやられている。
陸前高田市は、そこに居るから仕方ない、それで楽しんでやっている。東京よりも健康的』

越戸 氏は、東日本大震災後に陸前高田市に移住した人々が、移住してから10年以上経過していることに触れ、移住者は地域の良さを語るけれどもそこまで単純な話ではなく、仮に地域が良くなかったとしても居心地が悪いわけでなく、人間関係というインフラの在り方ができていて、人と人との間にある距離感ができているからそれだけ長く住んでいるといった話を交わしたことを話した。荒悠平 氏が続ける。

『陸前高田市の人々は、ジャッジを捨てている。多分、僕が東京から離れるってなったときは、地域を選ぶと思う。どこの地域は何が良い、そこに住んでいる人がどう良くて、どこは良くなくてとか。けど、人によって選ぶとかは失礼な話。
陸前高田市の場合、巡り合わせだって話になると思う。今回の取材のとき、知らないおばちゃん家に入って30秒で一緒にランチして、その後薪割りをした。そこにジャッジが存在していない。
仮に薪割りが嫌だと言ったとしても、あっそで済む』

越戸 氏は、荒悠平 氏が語る陸前高田市の人々の話を受けて、自身が移住先として陸前高田市を選んだ理由について語った。

『陸前高田市を選んだのは、色々と言ってくる人はいるけど、最終的に誰かがやらないとならないからねとやる人が多い。結果的に優しいだけで、人情のような話ではない。そういう人が多いから、住むならこの地だなって感じがした』

荒悠平 氏は、そういう感覚で暮らしている人々の前だと素直にパフォーマンスができると話し、その理由を語った。

『東京とかだと、公演の良し悪しをジャッジされるけど、元々そういうもののためにダンスを始めたわけでない。よく分からないと受け止めてもらえる。そういう感覚が東京とは違う』

越戸 氏は、東京はシビアであると反応し、山猫堂でアーティスト関連の取り組みを行う際のアーティスト選びが一か八かになる一方で、この場を訪れてくれる人ならば、どんなアーティストが公演しても参加者が良い感じに持ち帰ってくれる安心感があると語った。荒悠平 氏が頷く。

『話が面白かろうがつまんなかろうが居ていい、楽しんでいい、価値感が関係ない。昔、舞台で起きたことはすべて正解と言われた。それがある』

この後、質疑応答が行われている。質問として、荒悠平 氏にとってダンスとは何かが尋ねられた。

『OS。僕を成り立たせている仕組みで、当たり前に自分の仕組みとしてやれるもの。自分がどういう仕組みで動いているか外の世界と関わっているか、どういうエンジンで動いているか止まっているか。風呂に入っているときも寝ているときも常にその仕組みが動いている。だから肩書は常にダンサー。ダンスは僕にとって、常に剥ぎ取れないもの』

最後に、参加者より「ノーシークレットライブ」の終わりに歌われた「古い家」を聴いて、その生々しさが良かったという感想が伝えられ、荒悠平 氏が「古い家」の作曲、発表について解説した。

『ボロボロの家に入ったのは5-6分だけど、音がすごかった。危ない音がしていた。「古い家」は、そこから帰ってきて作った曲。だから音階とかコードがすごく変。通常ありえない音が入っている。
そして、この曲だけは楽譜を見ないで歌おうと思って歌った。歌っている最中に変な間とか出たとき、リアルに次なんだ? という形になるけど、それでも許容されるなと思った。
この場だからできたと思う。東京でもできると思うけど、今日の感じは今日ここでしか起こらない。
元々用意していた最後の歌詞は、歌っている中で言いたくなくなっちゃった。元々は”人が住まなくなった家が解き放たれていく”だったけど、”人が住んだ余韻が響き渡る、誰かが住んだ家が解き放たれていく”に変えた』

参加者から大きな拍手が向けられ、荒悠平 氏・越戸 氏によるトークイベントは終わった。そして、「モグAIR2025」における荒悠平 氏によるパフォーマンスの全てが幕を閉じた。荒悠平 氏の活動は今後も続く。この機会にぜひInstagramやPodcastをフォローして欲しい。


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