インドのシルク屋で組体操した話⑥ バラナシ2日目。ガンジスと太ももと殴り合い
シルク屋に向けて作戦会議
ラウールと青春を過ごしたバラナシ初日の夜、宿に戻りKと作戦会議をした。翌日はラウールがシルク屋に連れて行くと言っていた。友人の店だから安いという。前回の大理石屋と同じ匂いがした。
前回の大理石屋での敗北を振り返った。結論はひとつだった。相手の土俵に乗ったのが全ていけなかった。
相手の作った空気に飲まれて心が萎縮した。萎縮したから弱気な顔を見せた。弱気な顔を見せたから中途半端な態度になった。中途半端な態度だから足元を見られた。全部、相手の土俵に乗ったことから始まっていた。
今回は違う。こちらの土俵に引きずり込む。主導権を握る。要らないものは絶対に要らないという態度を貫く。拘束されても動じない。なるべく日本から持ってきたもので物々交換を済ます。武力行使も辞さない。私とKは武道系の部活出身だった。いざとなれば型を見せて威嚇する手もある。
主導権を握るためにこちら主導で意味のわからない提案をまず呑ませる。その流れで出た案が組体操だった。以前読んだ某漫画で、組体操で主導権を握るシーンがあった。あれが頭に残っていた。加えてインド軍が組体操バイクパフォーマンスをするという話を聞いたことがあった。インド人は組体操が好きかもしれない。日本の運動会の組体操文化とも重なる。日本人とインド人の友情のシナジーが生まれるかもしれない。意味のわからない提案でも、これなら呑ませられる気がした。まずラウールで検証する。
ラウールで組体操を検証
翌朝、エントランスに降りるとラウールが待っていた。いつもの飄々とした顔だった。こちらは作戦会議済みだ。こちらは違う。昨夜の作戦会議を頭の中で一度なぞった。主導権を渡すな。先手を取れ。ラウールの手元と目線を確認した。笑顔だった。笑顔は信用しない。深呼吸して出迎えた。
開口一番、経費の請求が始まった。昨日かかった交通費やら何やらをリストアップして請求してきた。昨日「日本人はフレンドだからお金はいらない」と言っていた男の請求だった。あの言葉は何だったのか。ほんとにそんなにかかるのかと聞くと「トラストミー!」と半ギレで言った。
大した額ではなかった。ただ正直なところ、昨日の交通費や食事代はラウールが出してくれていた。それは事実だ。払ってもいいという気持ちはあった。ただ「まあいいか」と財布を開けた瞬間に相手の土俵に引き込まれる、それが大理石屋で学んだ教訓でもあった。数秒だけ考えた。恩義はある。ただ揉めるより主導権を取り戻す機会を別で作った方がいい。戦場を選ぶのも戦略だ。それが結論だった。とりあえず払った。
経費の話が落ち着いたところで、本日の行程をラウールと確認した。朝はボートでガンジス川へ、その後サールナートへ向かい、午後はシルク屋へ行くという流れだった。シルク屋という単語が出た瞬間、私とKは目を合わせた。今日の本番はそこだ。今はラウールにそれを悟られないようにしておく。
ひとしきり話が終わったところで、ラウールが突然しゅんとした顔をした。
次に500ルピーがなくなったと言い出した。
さっき渡したばかりだ。どこに行ったんだと思いながら、机の下や椅子の周りを一緒に探した。見つからなかった。ラウールはとても悲しそうな顔をした。追加で500ルピーをよこせという顔だった。演技なのか本気なのかわからなかった。ただどちらにせよ出す理由はない。
こちらは作戦会議済みだ。Kと一緒にとても悲しそうな顔をして同情だけした。お金は出さなかった。
しぶしぶ引き上げようとするラウールに言った。今度こそ主導権を取り戻す番だ。
「日本に古くから伝わるおまじないをしよう。悪い気を払える」
ラウールは怪訝な顔をした。続けた。
「3人で三位一体となることで全員の気が集まる。日本人はみんなやっている」
嘘だ。全部嘘だ。ただラウールは半信半疑のまま頷いた。
3人でピラミッドを作った。

ラウールはわけがわからないという顔と悲しい顔が入り乱れた表情で写真に収まった。写真は撮れた。主導権はこちらに移った。インド人と組体操は可能であるという結論に達した。我々は自信を深めた。
ラウールのロイヤルエンフィールドで川辺へ向かった。インドの有名なバイクで、わかる人にはわかる。

出発前にパニババアからパニを2本買っておいた。今日も2本だった。
ラウールが運転し、後ろに私とKが乗った。朝早い道には路上で寝ている人が多かった。
「クーラーがないから外で寝た方が涼しいんだ」
ラウールが言った。40度超えの夜を屋内で過ごすより外の方がましということらしかった。インドの夏の夜がどれだけ過酷なのかを思い知った。
川辺へ向かう道中、雑談をしているとラウールが「インドでは友達同士で仲良しだと手をつなぐのが当たり前だ」と言い張った。ふうん、と思いながら歩いていると、手をつないで歩いてくる男性2人組がいた。ラウールと面識があるらしく、挨拶を交わした。Kが聞いた。
「彼らも仲良し?」
ラウールはバッサリ言った。
「いや、こいつらはゲイだ」
当の2人組は気まずそうにサッと手を放した。聞こえていたらしかった。
ガンジス川の朝
朝のガンジス川でボートに乗った。
4人だった。私、K、ラウール、漕ぎ手。
朝日がガンジス川に差し込んでいた。対岸には火葬場があり、煙が上がっていた。川には花が流れていた。静かで、神聖な空気だった。インドという場所の本質がここにある気がした。毎日騙されるか騙されそうになるかで、インドという場所に対してずっと戦闘態勢でいた。でもこの瞬間だけは、その緊張が全部抜けた。ここにいてよかったと思った。
ラウールは他のボートをしきりに気にしていた。視線の先を追うと、他のボートに乗っている女性客の太ももだった。
「ねえ、あの太もも見て」
それが始まりだった。ボートに乗っている間、ラウールはほぼ太ももの話しかしなかった。別のボートが通るたびに実況が入った。こちらが朝日に感動しようとするたびに実況が入った。漕ぎ手は慣れた様子で漕ぎ続けていた。
Kが朝日を撮った写真を見返すと、たまたま他のボートの客の太ももが写っていた。拡大してラウールに見せた。ラウールは手を合わせた。
「アリガトウゴサイマス」
神聖な空気はどこかへ消えた。
サールナートで説法スタイル
ボートを降りてサールナートへ向かった。
サールナートは、ブッダが初めて説法をした場所として知られる仏教の聖地らしい。バラナシから少し離れた場所にある。
ラウールが言った。
「日本人はブッディストだからサールナートに行きたいだろう」
熱心な仏教徒というわけではなかった。ただアライバルビザの宗教欄にブッディストと書いてしまっていた。無宗教というと大変な目に遭うと聞いていたのでそのままにしていた。ノリノリのふりをしてサールナートへ向かった。
バラナシから車で数十分で着いた。ラウールは入り口までついてきたが、暑いので嫌だと言って戻った。Kと自由行動で寺や仏像を見物した。
寺の入り口で仏像の前に立ち、型の練習ポーズをとった。戻る前にラウールに写真を撮らせた。威嚇の予行練習だった。ラウールは引いた顔で撮っていた。
ブッダが初めて説法をした地ということで、何かスピリチュアルな影響を受けたのかKが説法スタイルを取り始めた。楽しく写真を撮っていると、謎のインド人が近づいてきた。
「お前たちは何をしているんだ?」
我々は日本から来た敬虔なブッディストでブッダをリスペクトしており、悟りに近づけるよう記念撮影をしていると適当な説明をした。するとKの澄んだ瞳に感動したのか「俺も参加させてくれ!」と言い出した。一緒に写真を撮った。

別れ際に男が言った。
「せっかく仲良くなったのだからこの仏像のお土産を買わないか」
土産屋だった。やられた。仏像ポーズで笑っている間に完全に気を抜いていた。バラナシに来てからラウールとの青春があり、ボートがあり、サールナートの空気があった。知らないうちに警戒心が薄まっていた。インドを楽しんでいた。それ自体は悪くない。でもそれをついてくる人間がいる。ただ、本当の勝負はこのあとのシルク屋だ。ここで体力を使い果たしてどうする。愉快な写真も撮れたし、大した額でもない。記念に買っておく。そう自分に言い聞かせた。
受け取った瞬間、異変に気づいた。臭かった。なんというか、うまく説明できないのだが、とにかく臭かった。仏具屋特有の香炉の匂いとも違う。インドの市場の匂いとも違う。これは何の臭いなのかと考えながら袋に入れ、袋を閉じ、鞄の奥に押し込んだ。それでも臭かった。帰国後、この仏像は僧侶の友人へのお土産になった。
ラウール、殴り合い
車に戻ると周辺で罵声が飛び交っていた。どうやらラウールが他の運転手と揉めており、人だかりができていた。
罵声はだんだん大きくなり、気づいたら殴り合いを始めた。周りの人が慌てて止めていた。
さっき型のポーズで威嚇したつもりだった。ラウールはそれを上回る本物を見せてきた。主導権を取られた気がした。どうしたのと聞いたら「なんかむかついたから」とのことだった。特に何も言えなかった。私もKもビビっていた。目を合わせた。このあとすぐシルク屋だ。大理石屋の借りを返す場所が来る。
この狂暴な男とシルク屋で組体操ができるのか!?
